小学校の卒業式、「袴(はかま)禁止」に賛否
■小学校の卒業式で袴 これを禁止するところも
最近、小学校の卒業式で袴をはくのが流行っているそうです。一生に一度の記念の日ですから、華やかな衣装を身に着けて出席したいという気持ちも分からないことはないですが、他方で、それがエスカレートすることに懸念する声もありますし、学校によっては、すでに袴を禁止するようなところも出ているようです。
ネットで袴のレンタル業者の値段を調べてみますと、安いもので1万5千円ほどから、高いものなら10万円を超えるようなものもあります。また、袴のレンタルだけで済むものではなく、他に小物類や着付け、髪のセット、記念写真などの費用を含めると、どうも平均で数万の費用がかかっているようです。
私の子どもの頃は、小学校の卒業式といえば、中学の制服(学生服やセーラー服)での出席が普通で、女性の先生が袴をはかれていたのを思い出します。私立の中学に進学する子が何人かいて、その子らに配慮する意味や、自由に好きな服装で出席したいという気持ちから、いつの頃からか、ブレザーやワンピースなどが一般的になっていったように思います。
それが、ここ2~3年のことだと思いますが、都市部で袴の着用が流行りだしたのです(AKBの衣装で出席する子も多いらしい)。
もともと小学校で制服を義務付けているような学校ならば、卒業式でも制服を着用させればよいわけですが、多くの小学校では私服ですので、卒業式だけ特別に服装を制限することも難しく、ネットではさまざまな意見が出されています。
たとえば、禁止を含めて制限することに反対する意見には、このような意見があります。
- 子どもや親の自由に任せればよいのであって、あえて制限する必要はない。
- どのようなデザイン、色の服を着るのかは、個人の自由であって、あまりにも場違いな服装の場合は、その都度注意することで足りる。
- そもそも、服装は自己表現の手段であって、表現の自由の一つだ。
これに対して、何らかの規制をすべきだとの意見には、このようなものがあります(個人的な理由と社会的な理由とがあります)。
- 日頃、和服を着慣れないので、壇上に上がった場合に転倒するおそれがある。
- トイレに行くのが大変だ。
- たった1日の式のために数万の出費は無駄である。
- 派手な衣装がエスカレートする可能性がある。
- 何よりも経済的に裕福でない家庭のことを考えるべきだ。
このように、規制賛成・反対の意見があるわけですが、これについて、どのように考えればよいのでしょうか。
■〈ドレスコード〉としての「袴禁止」
私は、この問題はいわゆる〈ドレスコード〉という観点から整理することはできないだろうかと思っています。
ドレスコードとは、服装に関するルールであり、社会の中のさまざまな場面で、その場にしかるべき装いだとされる服装に関する決まり(ルール)のことです。どのような服を着るかは、本来は他者(特に主催者)に対する配慮、つまりエチケットでしょうが、時には主催者によって一定の服装を指定されることもあります。たとえば、冠婚葬祭の服装やレストラン、劇場などでの服装の決まりです。慣習的なこともあれば、明文で書かれる場合もあります。
このような観点からは、卒業式の袴の問題はどのように考えるべきでしょうか。
結論から言えば、卒業式における服装については、学校が〈ドレスコード〉として一定程度の制限を設けるべきではないかというのが私の意見です。
卒業式は、学校が主催者となって執り行うセレモニーです。そこにどのような服装で出席するのかは基本的には個人の自由ですが、服装について不必要に華美になっていく傾向があるとしたら、その流行に乗れない子どもたちへの配慮として、学校が一定のルールを設定することも教育の一貫として大切なことだと思います。
ただし、制限や禁止といっても、従わない児童に対して式への出席を認めないといった強制的なものではなく、それを受け入れるかどうかは、最終的には本人と保護者の判断です。かりに、学校が、禁止違反に対して出席停止などの罰則を作ったとしても、その法的効力については疑わしいと思います。学校としては、保護者の見識に強く訴えかけるにとどまらざるをえないのではないかと思います。
■弱者へのこころ配りのない自由は、道徳的退廃につながる
これは、問題を膨らませて言えば、個人が自己の願望を追求するときに、他者への配慮はどうあるべきか、あるいは、社会の仕組みはどのように組み立てられるべきかという、政治哲学的なテーマにも関わってくる問題です。
人は願望をもって社会の中で生きています。しかし、その願望を実現する手段は、すべての人に平等に与えられているとは限りません。個人の能力以外の環境的要因も含めて、自分の願望をそれほど苦労なく満たすことができる恵まれた人もいれば、自分のささやかな願望ですら、たとえば金銭的な理由から我慢しなければならない人も大勢います。
この卒業式の袴の問題は、社会におけるこのようなルール設定の根本問題の一つだと思います。
卒業式は、すべての子どもにとって一生の思い出となる重大なセレモニーです。そのような場で、経済的な理由から服装について苦い思い、悲しい思い、悔しい思いをしている子どもがいたとしたら、そのような子どもに対する配慮は、教育の現場としてたいへん重要なことではないでしょうか。
他者への配慮という道徳的な行動原理は、「権力者」(この場合は、学校)によって押し付けられるべきではなく、多元的で寛容な社会を目指すならば、道徳に関する判断を上から押し付けることは危険であるという意見もあるでしょう。それぞれが道徳的に最善だと思う選択を保障することが、公正な社会として大切であるという意見もあるでしょう。
そのような考えは基本的に正しいと思います。しかし、私は弱者へのこころ配りのない自由は、道徳的退廃につながると思います。経済的に恵まれない家庭で、子どもにせがまれた親の気持ち、あるいはそのような親の気持ちを思って我慢する子どもの気持ち、このようなことに配慮して学校は、一種の〈ドレスコード〉として、不必要に華美な服装にならないように一定のルールを設定することは教育機関として正しい行いだと思います。(了)
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