【富田林市】ガラス越しに見える優しい表情!修験道の祖を祀る新堂の役行者さんに行ってきました。
富田林駅から見て東北東の方角、東高野街道の近くに新堂の役行者(えんのぎょうじゃ)さんというスポットがあることを知りました。役行者と言えば飛鳥時代に活躍した役小角(えんのおづぬ)のことで、山岳信仰の修験道を開いたことで有名な人。
では、どんな像がどういう風に安置されているのか、確認するために見てきました。
新堂の役行者さんを地図で確認すると見ると、次の通りです。
西暦634年に生まれた役行者(えんのぎょうじゃ)に関しては様々な伝承があります。
- 幼少から梵字(ぼんじ)が書けた
- 20代の頃に藤原鎌足の病気を治癒させた
- 鬼の夫婦を弟子にした
金剛山地から和泉山脈にかけての山々にて開いた葛城修験や吉野山の南にある大峯(峰)山で、女人禁制の修験道の道場を開いたのは有名ですね。
ところが699年には「人々を言葉で惑わしている」と讒言され、伊豆大島に流罪となってしまいます。そこからも伝承があり、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山に登ったといいます。
役行者の創建寺院を調べると、河内長野市の観心寺と岩湧寺、河南町の弘川寺と高貴寺、金剛山山頂にある転法輪寺、岸和田市にある大威徳寺などがあります。いずれも葛城修験に関する山の中にある寺。
残念ながら金剛山地や和泉山脈から離れている富田林市には、役行者が創建した寺は調べてみる限り見つかりませんでした。
創建寺院はありませんが、いろんな伝承が残る偉人の役行者を信仰する人は多かったと推測されます。
今回の新堂の役行者さんのすぐ近くにこちらの教蓮寺や専光寺という寺院があるので、関係性がないか確認してみました。
周辺の寺はいずれも浄土真宗の寺院なので、直接の関係はなさそうです。
とはいえ、浄土真宗の蓮如が白山・石動山・熊野にある山岳信仰から阿弥陀信仰をとり入れたという情報があるので、山岳信仰の修験道と浄土真宗がまったく無縁というわけではない気もします。
さて、新堂の役行者さんの前に来ました。個人の家の横にある小さなお堂です。由来などについては調べてみましたが、不思議なことに何も出て来ません。
もしかしたらこの家の方か関係する人が修験道の関係者(山伏)の人で、この場所に役行者を祀っているのかも知れませんね。
コンクリートブロックで作られたお堂ですが、この中にもうひとつ小さなお堂が入っています。
近づいてみました。コンクリートのドアは何もついていませんが、奥の小さなお堂にはガラスが入っていて反射してしまいます。
木像の役行者像が安置されています。どうにか中の姿が撮れるようにチャレンジ。
上手く角度を考えながらようやく姿が見えました。役行者は山岳信仰修験道の祖ですが、実に優しそうな表情をしていますね。その下にある小さな明王像は対照的に厳しい表情。
横には掛け軸のようなものが見えました。富田林市内にはこのほかに喜志駅の北、木戸山町にもあるので、次は木戸山の役行者像を見てみようと思いました。
新堂の役行者さん
住所:大阪府富田林市若松町3丁目5-16 軒下
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩10分
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