資産形成の成功体験が次の成功体験につながるとき
金融の主舞台が資本市場に移転するとき、国民の資産形成が始動します。そして、国民の資産形成における成功体験が次の成功体験につながれば、日本の金融は大きく変わるのです。
金融構造改革
金融庁の行政目的は、コーポレートガバナンス改革を通じた産業界の持続的成長と、国民の安定的な資産形成との二つに集約されていますが、この二つは、企業金融の主たる機能を銀行等の預金取扱金融機関から資本市場へ移転することによって、自然に生じる帰結なので、実は、同じことの二側面にすぎないわけです。
貯蓄から資産形成へ
国民の資産保有のあり方として、貯蓄は、静態的な、受動的な、消極的な購買力の保存を意味していて、典型的には、銀行預金の形態をとりますが、資産形成は、動態的に、能動的に、積極的に購買力を増大させる努力を意味していて、具体的には、投資信託等を通じた資本市場での運用になるわけです。
貯蓄が資産形成に転換していけば、預金が資本市場に流出していき、銀行の貸借対照表においては、負債である預金の減少に並行して、資産である融資が減少し、資金調達を行う企業の貸借対照表においては、銀行からの借入金による負債が減少し、社債の発行による負債が増加し、また、株式の発行による資本が増加していきます。
資本市場からの圧力によるコーポレートガバナンス改革
資本市場は資金調達競争の行われる場なのであって、優れた経営のもとで、投資家の信頼を得た企業は、有利な条件での資金調達を行うことで、更に優れた企業となり、投資家の信頼を得られない企業は、資金調達が困難となって淘汰されていく、こうした競争が常に企業の経営革新を生み出すわけです。この資本市場における資金調達競争こそ、コーポレートガバナンス改革を通じた産業界の持続的成長の原動力になるのです。
金融庁としては、産業界のコーポレートガバナンス改革を促すためには、企業金融の主たる舞台を銀行から資本市場に移転させなければならず、その先決課題として、資本市場で投資信託の運用を行う投資運用業者について、投資家の利益だけを目的とした業務運営に改めさせ、技術的能力を高度化させて、その結果として、国民が安心して投資信託を利用し、資産形成に取り組めるようにする必要があるわけです。
国民の預金に対する選好
かねてより、貯蓄から資産形成への転換が進まないことについては、有力な論拠として、国民の資本市場機能に関する知識の不足があげられてきました。しかし、料理屋が繁盛しないのは、国民の味覚が未熟だからではなく、単に高くて不味いからであるように、投資信託が普及しないのは、国民が無知だからではなく、単に高くて不味いからでしょう。
また、非常に長い期間にわたって、物価上昇率の極めて低い状況が続き、その結果としてゼロ金利が定着しているなかでは、預金は、十分に投資対象としての機能を果たしてきたうえに、元本保証という魅力まであるのですから、国民は、愚かだから、不味い預金を選好してきたのではなく、賢いからこそ、美味しい預金を選好してきたとも考えられるのです。
投資信託改革とNISAの拡充
金融庁は、高くて不味いラーメン屋は流行らないとの常識のもとで、資産運用の高度化、あるいは顧客本位の業務運営の徹底と称して、投資信託の質の改善と手数料等の合理化を推進してきました。その結果、まだ多くの改善の余地を残すにしても、現状では、投資運用業界の意識改革が進んできたところです。
そこをNISAの拡充で後押しするわけです。投資信託等に対する税制優遇措置であるNISAについて、2024年以降の大幅な拡充を実現したことは、金融庁にとっては、非常に大きな意味をもちます。このNISAの拡充の前提としても、投資信託の徹底した改革は不可欠であり、また逆に、拡充されたNISAが投資信託の発展を後押しすることは、投資運用業界にとっての大きな利益誘因になって、自主自律的な改革を促すと期待されるのです。
資産形成の成功体験
誰にとっても、預金から株式の投資信託へと一気に進むのは適当ではなく、預金から債券へ、債券から株式へ、株式から外国の債券と株式へと、段階的に順次に試しながら、投資成果を確認しつつ、徐々に展開するのが自然なのです。その意味で、金融庁は国民の成功体験を重視しているわけです。
ところが、日本の大きな問題点として、ゼロ金利が長期間にわたって定着するなかで、債券に魅力が全くなくなっていて、預金から資産形成への展開は、一気に株式等へという不自然なものにならざるを得なかったために、不自然であるが故の失敗体験こそ生まれはしたものの、自然な成功体験は生まれなかったのです。おそらくは、ここに資産形成の健全な発展を阻害してきた真の要因があるのです。
イギリスとアメリカの先行事例
イギリスとアメリカにおいては、今から40年も前に、金融の主体を銀行から資本市場に移転する改革が始まっています。当時の両国は、物価上昇の沈静化に伴って、高金利の状況から金利低下に転じる局面にあったので、預金は高利回りの債券に自然に流れていき、金融構造改革は順調に始動しました。そして、債券市場への資金の流入は、金利低下を加速させて、債券価格の上昇をもたらしたので、投資家は、高い投資収益率を享受でき、成功体験を得ることができたのです。
次いで、両国が物価高のなかの経済の低迷という困難な状況から脱却し、低迷を続けていた株式市場が上昇に転じたとき、債券での成功体験に基づく投資家の資金が流入し、株価の上昇を加速させていきます。こうして、成功体験が成功体験を生むという好循環となり、それが今日まで継続しているわけです。
当時の日本でも、イギリスとアメリカに続いて、同様の金融構造改革は予定されていたと考えられますが、経済状況と金融構造は両国とは大きく異なっており、実現することはありませんでした。以来、日本の周回遅れという問題が始まって、現在に至るのです。
国民は賢い
イギリスとアメリカでは、国民に金融知識があったから、金融構造改革が実現したのではなく、適切な環境のもとで金融構造改革がなされたので、自然と国民の成功体験が生まれ、その成功体験が好循環となって資金の流れを変えて、金融構造改革が実現したのです。日本では、金融構造改革の時機を失したために、国民の成功体験が生まれなかっただけのことで、金融知識の問題ではありません。
日本国民の賢いことを示す歴史的事実があります。1989年5月から1990年9月まで、日本銀行が一時的な金融引き締めを行ったために、10年国債の指標銘柄の利回りは急上昇し、1990年9月に8.7%を記録したのですが、国民は、この極めて短い時間だけに生じた好機をとらえて、債券を買い求めるために金融機関に殺到したのです。問題は、この後、成功体験が次の成功体験につながらなかったことです。
異次元緩和の終焉
日本銀行は、非常に長く金融緩和政策を継続してきて、最終的には、異次元と称される超緩和政策にまで至ったわけですが、今まさに、金融緩和の基調を維持しつつも、微妙な修正を行おうとしています。もちろん、日本の現況においては、金融政策を引き締めに転じることはあり得ないので、あくまでも、金融緩和の継続のなかで、異次元緩和の正常化がなされるわけです。
今後、異次元緩和の終了により、金利が緩やかに水準調整していけば、中短期の債券に魅力が生じ、水準調整に一段落つけば、中長期債券に魅力がでてきますから、預金から債券市場への資金移動が生じ得るはずです。逆に、金融政策の立場からも、金利を上昇基調に転じさせることなく、債券市場の混乱を回避するためには、預金から債券への資金移動が安定的に生じ、債券への買い需要が継続することが必要なのです。