1錠8万円の薬が「安い」わけ クスリの価値はどう決まる?
去年9月に発売された薬が、大きな話題となりました。名前は「ハーボニー配合錠」。驚きはそのお値段で、1錠およそ8万円。1日1回3か月飲むので、合計の薬剤費は670万円以上に及びます。(4月に価格の改定があり、現在は1錠5万5千円程度)
高級な新車が買えてしまうほどのお値段ですが、実はこの薬、「安い」と指摘する意見もあるんです。一体どういうことなのでしょうか?
「画期的な新薬」その実力とは
この薬は、C型肝炎という病気の治療に使われます。C型肝炎は、肝臓に「C型肝炎ウイルス」が感染することで引き起こされます。
肝臓で炎症が起きやすくなり、肝臓の機能が衰えたり(肝硬変)、がんができてしまう危険が高くなります。
年間3万人近くが亡くなる肝臓がんの原因の80%がC型肝炎ウイルスとされ、感染者は国内に約110万〜125万人いると考えられています。
これまで、いちど住みついたC型肝炎ウイルスを追い出す方法がさまざま検討されてきたのですが、一部の患者さんにしか効かなかったり、副作用が大きかったりなど問題も多く、治療が難航するケースが少なくありませんでした。
ところが今回発売されたハーボニー配合錠は、新たな技術によってC型肝炎ウイルスの増殖を食い止めることに成功。過去の試験では、参加した「全て」の患者さんに明確な効果が確認されたという、驚異的な成果を挙げました。非常に高額な薬ですが、必要な患者さんには公費により医療費が助成されるため、自己負担は月額1万円~2万円で済みます。
とはいえ、1錠8万円以上ってどうなんでしょう。大部分の医療費は助成されるとしても、その大本のお金は私たち一人一人が負担している保険料や税金です。医薬品の開発には莫大な費用がかかり、それを考えるとこの値段にせざるを得ない…ということなのですが、庶民感覚では、さすがに高すぎる気もします。
というわけで、薬の「価値」ってどこで決まるのだろうか?ということを考えてみました。
クスリの「価値」はどこで決まる?
まず考えられるのは命が助かるかどうかということ。このままだと亡くなる人が、薬によって助かるとしたら、とても価値がありますよね。
もう一つは健康に暮らせるようになるという点。全身が痛くて歩けない人が、薬によって痛みが減り、普通に暮らせるようになれば、とても価値があります。
そして忘れてはならないのは、「どれだけ効果があるか」という視点です。ある病気の薬が2種類あったとして、飲んだ人の1%だけに効果が表れるものと、飲んだ人の全員に効果が表れるものでは、当然、後者のほうが「価値」は大きくなります。
細かいことを考えていくとキリがないのですが、非常に大雑把に言えば、薬の価値は「どれだけ命が助かるか」「どれだけ健康に暮らせるようになるか」で評価できそうです。
クスリの「値段」をどう考える?
では続いて、「値段」について考えてみます。
1錠300円の薬Aと、1錠3000円の薬Bがあったとします。値段だけ見れば薬Bのほうが高いですよね。
ではここで、薬Aは「1000人が服用して初めて1人の命が助かる」一方で、薬Bは「10人が服用すれば1人の命が助かる」とします。
1人の命を助けるために必要な費用は
薬A:300円×1000人=30万円
薬B:3000円×10人=3万円
薬Bのほうが「安い」という見方もできますよね。
こう考えてくると、薬の値段を考える時には、目に見える価格だけではなく「その薬の価値に見合っているか」を見極めることが大事なようです。
国が薬の価値を「評価」する イギリスの取り組み
実はいま、薬の「値段」と同時に「価値」を評価しようという取り組みを、国として取り入れる動きが広がっています。
先駆けとなったのがイギリスで、1999年にNICE(国立医療技術評価機構)を設立し「薬を含む医療技術の価値を評価し、値段に見合ったものだけを推奨する」という制度を始めました。
NICEが「値段に見合った価値がある」と推奨した薬に関しては、費用は全額国が負担し、患者は無料で手に入れることができます。しかし「値段に見合った価値がない」と判断したものに関しては、原則的に患者が全額自己負担で買わなければなりません。
たとえばインフルエンザの際にお世話になる「タミフル」。日本では医師が処方すれば、誰でも3割ほどの負担で購入することができます。しかしイギリスでは、65歳以上の高齢者や糖尿病などの持病がある人は無料ですが、それ以外の人は全額自己負担です。
インフルエンザは、高齢者や持病のある人では命にかかわる事態に発展することがありますが、通常は寝ていれば治ります。ですので「値段に見合った価値がない」と判断されたというわけです。
一方で、冒頭に出てきた「ハーボニー配合錠」。1錠8万円以上という高価な薬ですが、イギリスでは、必要な患者は「無料」で手に入れることができます。そう判断した理由について、NICEの Carole Longson博士は次のようにコメントしています。
「これまでのC型肝炎の治療は、長期間でしかも副作用が大きく、患者さんが途中で治療を断念するケースも少なからずありました。一方でハーボニーは、比較的短期間で治療を完了することができるため、多くの患者さんが治療を求めるようになるでしょう。その結果、ウイルスを持つ患者さんが減れば、新たな感染者が出るリスクを減らせるという意味で、社会全体の利益にもなります。こうした考えから、NICEはハーボニーを、C型肝炎の新たな治療として推奨することにしました」(筆者和訳)
確かに「価格」だけを見ると高いように思えても、患者さんおよび社会全体に与える「価値」からすれば安いもの。そうした、いわゆる「費用対効果」を考えて検討する取り組みが進んでいるのです。
クスリを正しく「値踏み」する 私たちに求められる姿勢は
実は日本でも今年から、薬を含めた医療技術の「価値」を評価する取り組みが始まっています。とはいっても、イギリスのNICEのような制度をすぐに導入するというわけではなく、まずは試験的に、特定の薬にどのくらいの価値があるかを算出してみよう、ということのようです。
背景にあるのは、高騰を続ける医療費の問題です。
これまで日本では、従来より優れた効果をもつ医療技術は、必要な人は誰でも使えるようにしようとする基本姿勢を持っていました。しかし近年、ひとつの薬だけで年間2兆円近い費用が発生する可能性が指摘されるような非常に高額な薬が登場するようになって、この基本姿勢のままで本当に大丈夫なのか?という懸念が出てきているんです。
日本では「国民皆保険」という、私たち国民から広く集めたお金によって治療費の大部分をまかなうシステムをとっています。そのシステムの中で、クスリの値段や価値について、それほど気にしなくても大丈夫な状況が続いてきました。
しかし、あまりに医療費が高騰してしまうと、この大切なシステム自体が崩壊してしまうのではないか?という指摘がされるようになっています。
処方されるクスリが提供してくれる「価値」はどれほどのものなのか?治療を受ける側の私たち1人1人も、ちょっとだけでも興味を持ってみることが、今後、必要になっていくのかもしれません。
*****************
(追記)5月8日 20時30分 「ハーボニー配合錠の現在の薬価」と「患者が利用する場合は、医療費が助成され、自己負担は月額1~2万円程度に抑えられること」について記載しました
*****************
参考資料
・国立研究開発法人国立国際医療研究センター 肝炎情報センター「C型肝炎およびC型肝炎ウイルスとは」
・ギリアド・サイエンシズプレスリリース「ジェノタイプ1型C型慢性肝炎治療薬 「ハーボニー配合錠」を新発売」
・NICE Press release 「NICE consults on draft guidance recommending ledipasvir-sofosbuvir (Harvoni) for treating chronic hepatitis C」
・全国保険医団体連合会「膨張する医療費の要因は高騰する薬剤費にあり」(2015年10月15日)
・メディ・ウォッチ 「2016診療報酬改定ウォッチ」 (2016年4月27日)
・日刊薬業 「オプジーボの薬剤費「国家の安全を揺るがす」 安対部会で“薬価”に問題提起」 (2016年2月19日 )