1998年末に発生した日本国債の急落、「運用部ショック」とは何だったのか
1998年以来の円安ドル高
1日のニューヨーク外国為替市場で円相場は5日続落し、前日比1円25銭円安・ドル高の1ドル140円15~25銭で取引を終えた。一時140円23銭と1998年8月以来24年ぶりの円安ドル高水準を付けた(2日付日本経済新聞)。
インフレファイターとして積極的な利上げを進める米国の中央銀行にあたるFRBに対し、日銀の黒田総裁は持続的な金融緩和を行う以外に選択肢はないと語ったように緩和姿勢をあらためる様子はない。この状態が継続される限り、ドル円の上昇基調は止めることが難しくなる。当然、仕掛け的な動きも入っていよう。
日銀の姿勢が改められない限りドル円の140円は通過点に過ぎない。
1997年から1998年にかけて起きたこと
1998年8月以来と聞いて、ベテランの債券市場関係者は「おやっ」と思ったのではなかろうか。1998年11月にいわゆる「資金運用部ショック」が起きたのである。当時の様子を再確認してみたい。
1997年1月、タイのバーツが暴落したのを受けたのを契機に、通貨不安がインドネシア、韓国、マレーシア、フィリピン、香港などアジア新興地域を襲う(アジア通貨危機)。
アジア諸国の動揺は、南米諸国やロシアに波及し、ロシアは債務不履行に追い込まれた(ロシア危機)。この危機は、ドイツなど欧州各国、そしてアンカー役とみなされていた米国市場にも波及。米国内景気の減速・後退が懸念されて米国株が急落する一方で、質への逃避への連想から米国債利回りが急低下した。
長期金利が初の1%割れ
世界的な金融システム不安の台頭によって、日銀は1998年9月9日の金融政策決定会合において無担保コール翌日物金利の誘導目標を0.25%に引き下げる金融緩和策を決た。この3年ぶりの金融緩和を受けて、長期金利が初の1%割れとなり、さらに低下して0.7%を一時割り込んだ。
9月19日には「金融再生法」が修正された。その後長銀そして日債銀がこれに基づき国有化された。金融システム不安はこれにより収束しつつあると思われた。
ムーディーズが日本国債を格下げ
11月17日に、米国格付け会社ムーディーズが日本国債の格下げを発表した。公的部門の債務膨張も、格下げの大きな理由とされていた。日本政府が発行もしくは保証する円建て債券の格付け、及び日本国の外貨建て債務及び預貯金に対するカントリーシーリングを、それぞれAaaからAa1Aa1に引き下げた。
1998年の小渕恵三政権成立後、次々に経済政策が打ち出され、1998年11月16日に発表された緊急経済対策の財源として12兆円を上回る国債が第三次補正予算にて手当てされることになった。「なんでもあり」の財政政策により国債の発行量は増える一方となっていた。
ムーディーズが日本国債の格下げは、ある程度想定されていたことでもありこのニュースではそれほど債券は下げなかった。問題はそのあととなる。
大蔵省の資金運用部
まずポイントは1998年の11月20日。20日付け日経新聞に大蔵省(当時、現財務省)は1998年度の第三次補正予算で新規発行する国債12兆5千億円のうち10兆円以上を市中消化する方針、との小さな記事が出た。
当時、大蔵省の資金運用部(郵貯や簡保の資金などを運用)は、国債発行額全体のかなりの程度を引き受けていた。国債の保有残高のうち3割程度を占めていた。このときは補正予算分とはいえ、引き受け比率が突然に大きく低下することになったことで市場が動揺を見せ始めたのである。
11月26日の日経新聞に、地方交付税の比率を引き上げると同時に地方交付税の配分がない東京都など「地方特例交付金」制度を創設するとの報道(これは資金運用部の資金による)があった。また、1999年度当初予算案で、過去最高の20数兆円規模の新規国債発行を盛り込むとの報道も。運用部が国債引き受けを減らそうというのはこの地方がかなり影響していると言われた。
それに加えて1999年度の新規国債発行額も増加する。1999年の1月から長期国債は月々1兆8千億円と4千億円増額される見通しも出された。
12月に入り債券相場は依然として下落基調となる。10日の日経新聞一面トップは、5年国債や30年国債の発行に関する記事となっていた。増発懸念の高まりで相場はさらに下落した。
14日にロイター通信社のニュースとして、来年度(1999年度)国債発行額は70兆円以上、うち市中消化は60兆円以上=大蔵省との記事が流れた。
運用部の引き受けが減るのは何も第三次補正予算だけでなく、来年度の国債引き受けも急減。その分、市中消化額が増加することがはっきりしてきた。これはまさに一大事。市中消化とはつまり民間金融機関中心に国債を買っていかなければならない額となる。
運用部ショック
21日に大蔵省で開かれたアナリスト懇談会での大蔵省の発表コメントから運用部ショックという言葉が使われ出したとされる。
21日の時から大蔵省で行われた国債発行に対するストラテジスト・エコノミストに対する説明会にて、「資金運用部引受は資金の流動性を高めたいため今後残存5年未満の物に集中」とのコメントが理財局からあった。これにより資金運用部が来年度から国債買い切りを中止するのではとの思惑が広がり、債券相場は急落した。実際に大蔵省は買い切り中止を表明したわけではないが、情報ベンダーに「買い切り消滅」とのコメントが流れると先物主体に大きく売られ、結局先物は先週末比1円53銭安の132円52銭の安値の引けとなった。
そして12月1日の蔵相発言などが火に油を注ぐことになった。11時過ぎに、宮沢蔵相(当時)が運用部の債券買い切りの中止を示唆するコメントを出したことに加え、日銀総裁も日銀による大量の国債保有に対して「自然な姿ではない」とのコメントが出たことなどから、債券相場は急落した。
正式に運用部の買い切りが1月から中止されるとの報道もあり、ついに債券先物は130円52銭と1988年8月以来のストップ安となった。現物市場ではさらに一段と売り込まれた。
三次補正予算が決定しそれによる大量の国債増発額が決まったこと。加えてこの時点で運用部の国債引き受けシェアーが大幅にダウンしたことがあげられる。そして、これは一時的なものでないことが、1999年度の国債発行計画で明らかとなった。
資金運用部の余資は限られていたのである。1999年度の運用部の国債引き受けシェアーもやはり大きく低下し、それでなくても過去最大規模の国債発行額なだけに市中消化は60兆円を超えるものとなった。大蔵省としてもなんとかこれを消化させなくてはならず、需給悪化懸念によるある程度の相場下落は想定していたようにも見受けられる。投資家も0.9%で発行された国債などほとんど食指をみせず、ある程度の利回りが必要との見方も働いたとも思える。
それに加えて大蔵省のお家の事情もあった。資金運用部の余資に限度があるということは、当然ながらこれまで続けていた買い切りの継続がむずかしくなる。市場はそれを薄々感じてはいたが、実際に、蔵相から中止のコメントが出て正式に1999年1月からの資金運用部の債券買い切りが中止されることが発表された。これは市場に大きなインパクトを与えた。加えて現在の50兆円にも及ぶ国債保有は異常との見方を日銀総裁が示したことで、微かな期待の「輪番オペ増額」も否定されるにいたり、先物はついにストップ安をつけたのである。債券先物は高値からすでに10円近く下落したが、あまりのピッチの早さに、投資家は現物も外しきれず、当然ながら先物などでのヘッジも限られたものになっていた。10年債利回りは9月に0.7%割となっていたものが、2.4%台に上昇した。
旧大蔵省資金運用部の国債引き受け額が減少し、国債の市中消化額が急増することが明らかにされ、大蔵省資金運用部による国債買い切りの中止も発表。債券市場にとり9月に大きく買われた反動もあるなか、需給悪化につながる複数の悪材料が重なったことで、債券相場は急落し(長期金利は急騰)、これはのちに「運用部ショック」と呼ばれたのである。