【タイ・クディチン集落】ポルトガル伝来の焼き菓子「カノム・ファラン」に詰まった250年の歴史
カトリック教会、イエスの十字架、マリア像……国民の約95%を仏教徒が占めるタイで、ひときわ異彩を放つ集落がある。
祖先のルーツは、250年前に定住を始めたポルトガル人。「ここでしか食べられない」というポルトガル伝来の焼き菓子を求め、老舗の5代目店主を訪ねたーー。
バンコク都心から車で約40分。チャオプラヤ川西岸の向こう、トンブリー地区に入った。濃い緑のバナナの木が生い茂り、水路が流れる一角で降りる。
ここは、ポルトガル系タイ人が暮らす「クディチン集落」。迷路のように入り組む路地裏を、少し探検してみよう。
ひっそり静寂に包まれる小道を奥に進むと、ときおり両脇の家々から、笑い声やテレビの音が聞こえてくる。
ふと、玄関口の十字架に気づいた。外壁に目をやると、微笑をたたえるマリア像と目が合う。仏教国タイで、異世界に迷い込んだかのよう。
前方に見えてきたのは、国内で2番目に古いカトリック教会「サンタ・クルス教会」。青空に映える赤いドームを見上げた。
クディチン集落の始まりは、わずか15年で幕を引いたトンブリ―王朝時代に遡る。
1767年、およそ400年栄えたアユタヤ王朝が陥落。新王タクシンは、チャオプラヤー川西岸のトンブリーに遷都した。
都をつくる際、共に戦ったポルトガル人傭兵に、褒美として居住地を与えたとされる。
そこから250年以上の歳月が流れた。今もなお、末裔のポルトガル系タイ人が肩を寄せ合い、独自の文化を守っている。
それだけではない。中国人やムスリムも多く暮らし、仏教寺院や中国神社、モスクが点在している。あらゆるルーツや文化が交錯して溶け合う「人種のるつぼ」なのだ。
集落の奥に進むと、一軒家が見えてきた。焼き菓子の老舗「タヌーシン・ベーカリー・ハウス」。
木製のドアを開けると、工房では、焼き菓子作りの真っ最中。ふんわり、香ばしい匂いに包まれる。
グレーのシャツに黒いエプロン姿の男性は、5代目の店主、ティーパゴーン・スッジットジューン氏(50)。
「30分くらいで焼き上がりますよ」(スッジットジューン氏)
熱した小石が敷き詰められたオーブンにずらりと並ぶのは、ポルトガル伝来の焼き菓子「カノム・ファラン・クディチン」(以下、カノム・ファラン)。
「材料は小麦粉、卵、砂糖だけ。牛乳やイースト、バター、保存料は一切使っていません」
補足すると、かつてのタイは、米粉・ココナッツミルク・砂糖を使ったスイーツが主流だった。ポルトガルから伝わった技法は画期的で、日本でカステラが和菓子として確立したように、のちに多彩なタイスイーツを生むことになる。
黄金に焼き上がった生地を、手際よく型からはずす。大きなザルにこんもりと並べ、冷ましていく。
「生地を混ぜる工程と、オーブンの温度コントロールがとくに難しいですね。35年経って、やっと感覚がつかめてきました」
焼き菓子は、SサイズとLサイズがある。Sサイズは、表面にレーズンと砂糖漬け冬瓜のトッピング。Lサイズは、そこに干し柿が加わる。
いずれも、中国で縁起が良いとされる果実だ。中国文化の薫りも、カノム・ファランをオリジナルにしている。
工房に併設されたカフェスペースの椅子に腰かけ、タイミルクティーを注文した。
カウンターに立つ朗らかな笑顔の女性は、スッジットジューン氏の妻。「甘さはどうしますか?」とたずねられ、「控えめで」とお願いした。
まずは、グラスに氷がたっぷり入ったタイミルクティーをぐびり。火照った体に甘さが染みわたる。
切れ込みが入ったカノム・ファランを指でつまむと、卵の香りがする。一口かじると、砂糖がまぶしてある表面はサクッ。中も軽い食感で、ほろほろと崩れる。懐かしい甘さが口いっぱいに広がった。
あれだ。昔食べた、佐賀県の銘菓「丸ぼうろ」。素朴な味わいがよく似てる。
すっかり気に入って、自宅用とお土産に買い足した。日によって売り切れることもあるのだそう。
タヌーシンの初代が店を始めたのは、およそ200年前。
スッジットジューン氏は幼い頃から、先々代である祖父の背中を見て育った。15歳になると、学校終わりに工房で手伝うように。
もともと家業を継ぐつもりだったかというと、実はそうではない。大学時代は音楽を専攻。ギターやピアノに熱中し、夢はミュージシャンだった。
だが、大学卒業を半年後に控えたある日のこと。いつものように工房で手伝いをしていたとき、突然、ハッとした。
「待てよ。音楽を奏でるのも、焼き菓子を作るのも、本質は一緒じゃないか.....?」
窓から陽がうっすらと差し込む仄暗い工房で、筆者は首をかしげ、スッジットジューン氏に尋ねた。
「音楽と焼き菓子の世界と、なにが “一緒”と感じたんでしょうか?」
彼は微笑んだ。「私にとっては、どちらも “アート” なんです」。
「たとえば誰かを幸せにしたい、笑顔にしたいと思って、なにかを生み出そうとするとき、それはアートだなと。人生を賭けてやりたいことがわかった気がして、なら、店を継ごう!と決めました」
妻も、「ふふっ」と少女のように笑いながら、話す。
「私も夫も、万物がアートだと考えています。毎日お菓子を焼いて、売って、同じことを繰り返しているようだけど、ちがう。お客さんによって、甘さの感じ方も、付随するストーリーも、唯一無二。だから、作り手として飽きることがないんです」
カノム・ファランを代々受け継ぐのは、タヌーシンを含めて3家族のみ。
スッジットジューン夫妻が目指すのは、焼き菓子を通じ、クディチンの歴史をタイの若い世代に伝えること。
現在、タヌーシンでは、小学生から大学生を対象に、工房見学やディチン地区の歴史が学べる課外授業を開催している。
気になるのは、後継者となる6代目。夫妻の長女(30歳)が意欲を見せている。
「でも、あくまで娘の人生。どの道を選んでも尊重しますよ」
「この仕事は楽しいですか?」と聞くと、間髪入れずひとこと。
「もちろん。私の誇りです」
小さな焼き菓子に詰まった、250年の壮大な歴史。胸を熱くしながら、夫妻に礼を伝え、店を後にする。
クディチン伝統の味は、自分たちのルーツを愛する人々の真っ直ぐな眼差しに守られていた。