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石丸幹二“真っ白”王子様キャラから“真っ黒”へ!「教えてください」言える強さ

島田薫フリーアナウンサー/リポーター
注目の話題が続く石丸幹二さん(撮影:すべて吉原朱美)

 ミュージカルのみならず、映像・司会業まで幅広く活躍中の石丸幹二さん。作品は途切れることがなく、主演した『ラグタイム』が6月に菊田一夫演劇賞大賞を受賞、全国をコンサートで飛び回り、話題の映画にも急遽出演が決定。夏には、チャップリンの傑作、音楽劇『ライムライト』への出演が控えています。伸びやかな力強い歌声、ノーブルな雰囲気が魅力ですが、今日に至るまでは紆余曲折、長い道のりがありました。いつどういう選択をして今の石丸幹二さんが生まれたのか。そこには年齢を度外視した、思い切った決断がありました。

―この世界に入る際の最初の選択は?

 子ども時代、習っていた鍵盤楽器より、太鼓や金管楽器の「バーン」と抜ける音に興味が湧いて、吹奏楽の道に入りました。スネアドラムから鼓笛隊に入り、トロンボーンの「パオン」と鳴る音が好きになり、さらには、弦楽器もやりたいとチェロも弾きだします。

 そんな中で「あなたに合っている」と人に勧められて“サックス(=サクソフォーン)”に行き着くんです。そこから音楽を仕事にしたいという思いが高まり、サクソフォーン専攻で東京音楽大学に入学しました。

 ある日、テレビ番組でジェシー・ノーマンというアメリカのオペラ歌手がシューベルトの「魔王」を歌っているのを聴いて…。実を言うと、オペラ独特の歌声にはアレルギーがあったんですが、彼女の表情の豊かさ、歌唱の力強さが、僕に莫大な刺激を与えたんです。「こんな表現者になりたい!」と思いました。

 大学3年生でしたので、(器楽科から声楽科へ)編入も考えましたが、しっかり時間をかけて勉強した方がいいと決断。親の理解がないとできなかったことですが、「国立大学ならチャレンジしてもいい」という条件付きの許しを得て、がむしゃらに勉強して、22歳の年に東京藝術大学音楽学部声楽科に合格しました。

 「ジェシー・ノーマンになる」とスローガンを掲げましたが、そんなに簡単ではないと、入学後すぐに悟ることになります。さらに、外国語で歌っていては(日本人には)言葉が伝わらないのではないかと考えるようになりました。すると「ミュージカルというジャンルがある」と教えられ、早速観に行きましたら、オペラの観客とは系統も違うし若い人が多い。「ここに行ってみよう!」…ミュージカルへの道が開かれた瞬間でした。

―柔軟に次の世界へ移行されましたね

 川に例えるなら、「こっちかな」と支流に入ると、それが本流になっていく感じです。そのきっかけは、人の言葉でした。

―信用できる人の言葉だったと

 僕はあまり人を疑わないタイプの人間なので(笑)、言われたらまずはやってみようとトライしてきました。在学中に受けた劇団四季のオーディションも、その一つです。

―難関と言われる場所に次々と進みます

 僕は「教えてください」ということを恥ずかしがらずに言えるタイプ。教えてくださる方に恵まれました。

 劇団四季・創設者の浅利慶太さんからは、「お前には何にもない。高校野球に出られた1回戦の球児のようなものだから、いろいろやるぞ」と言われて、ゼロからダンス・演技を教え込まれました。苦しい挑戦でしたが25歳で初舞台を踏み、『美女と野獣』などで主役としてやっていけるようになったんです。劇団四季での17年間は竜宮城にいたかのようで、外の世界を知らないままあっという間に時が過ぎていきました。

―自分が変われた瞬間は?

 まず、ブロードウェイ、ウエストエンドの俳優たちのレベルの高さにノックアウトされました。最たるものが、パリの太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)です。フランス人の作る長大な、観客とも討論する客席巻き込み型の演劇を観た時、演劇とは“ねばならぬ”ではなく、いろいろなことができる世界だと気づき、衝撃でした。

―そして劇団四季を出る日が来ます

 劇団には新しい人がどんどん入ってくるので、バトンを渡していくことは大事だと思うようになりました。自分の役を後進に渡して、僕は違う役をやればいいと思っていたのですが、体が思うように対応できなくなったこともあり、外にもチャンスがあれば挑戦したいという考えも浮かび、出ることになりました。42歳でした。

―声楽を始めたのが22歳、初舞台が25歳、劇団四季を出て新しいことを始めようと思ったのが42歳

 周りからは「遅い」とも言われますが、あまり年齢は考えないですね。四季を出てから、同性愛者の役など役柄を広げ、さらには、どんどんと新たな作曲家の曲を歌ったりしました。蜷川幸雄さんの3幕9時間のストレートプレイの大舞台にも挑戦しました。

―映像の世界でも当たり役ができました

 『半沢直樹』(TBS系)の爆発的ヒットが、僕にとって世間に知ってもらえるきっかけになりました。今までは真っ白な役、いわゆる正義の味方や白馬の王子様のような役しかやってこなかったのですが、グレーの役を人から勧められまして(笑)。僕自身、違う色を混ぜたいという思いはありましたが、『半沢直樹』で演じた浅野支店長は黒かったですね。後にそれが『相棒』(テレビ朝日系)や舞台『ジキル&ハイド』に繋がっていきます。

―『ライムライト』での老芸人・カルヴェロ役も3回目になります

 最初は、チャップリン映画の舞台版、世界初演と聞いて奮い立ちました。でも、コメディアンでもない私がコメディキングの役をやること、初演当時はまだ40代だったので老け役をやることに不安もありました。

 稽古では暗中模索で、何が正しいのか、チャップリンに寄せて演じなくてはいけないのかも分からず、揺れていました。それが、チャップリンの遺族の方(孫)にお会いした際、「チャップリンの真似をしないでください」と言われたんです。

―「真似しないでください」とはどういう意味でしょう?

 チャップリンの歩き方とか仕草とか、コピーをしないでほしいということです。「あなたができないからではなく、あなたはそうするべきではない。あなたの肉体を通してこの作品をやってください」という言葉に背中を押されました。

―難しいところは?

 相手の言葉を「そうだね」と言いながら「そうじゃない」と思っている顔をする。逆のことを表現しているんです。「アハハ」と笑うのも、自分の人生を引っかけながら笑っているとか、淡々と多彩な感情を表現しています。この“淡々と”という部分を前回公演ではできていなかったと思います。前回までのような“がむしゃらさ”はもう少し減らして、諦めるとか皮肉とか、老人特有の色も混ぜられたら面白いなと思っています。

―石丸さんから見たこれまでの『ライムライト』、カルヴェロとは?

 1回目は鮮やかな『ライムライト』でした。色で言うと黄緑。2回目は薄緑、そして今回は緑、透かして見るとモスグリーンみたいな。分かりにくい例えかもしれませんが、一つの表現を一色とすると、いろいろな表現が混じった複雑な色合いを目指しているということです。

 僕が演じたカルヴェロの1回目は、表現がはっきり分かる、2回目は包容力があったと思います。3回目はまだ分かりませんが、常に考えているのは「誰かのために」という姿勢です。お客様のため、相手役のため…ひょっとしたら今回は自分のためにやるかもしれません。

 チャップリンがそうなんです。ご自分のことが大好きで、後ろに必ず自分の絵を飾っていたりして(笑)、だからこそ出せる味があると思います。

―石丸さんは?

 僕はチャップリンとは逆ですね。皆と一緒に、カンパニーの皆が家族になることを目指すタイプです。カルヴェロは我が強い役で、その彼が献身的になる。でも「いい人だったね」で終わるのではなく、ほろ苦さを感じてもらえればいいなと思います。

―キャリアを重ねてきている中で、気をつけていることはありますか?

 ピュアな部分を忘れないこと。人との出会いも、肩書やプロフィールを見てというよりも、街で人がバンとぶつかったような、最初に出会った印象を大事にしたいです。

―石丸さんの理想的な最後とは?

 僕は、今までやってきたものを誰かに渡して終わりたいと思っています。それは“チャンス”かもしれないし“技術”かもしれないし、“パイプ”かもしれない。自分で途絶えさせるのではなく、必ず次の世代に渡すことが夢です。

ヘアメイク:中島康平 スタイリング:米山裕也
ヘアメイク:中島康平 スタイリング:米山裕也

■ライムライト

チャールズ・チャップリンの晩年の傑作映画。かつて一世を風靡した老芸人・カルヴェロ(石丸幹二)は、人生を悲観し自殺を図った若いバレリーナ(朝月希和)を助け、再び舞台に立たせるが、スターに上り詰める彼女と入れ替わるように、人生の舞台から退場しようとしている。舞台人のはかない宿命と残酷な愛の物語を描いた不朽の名作。

【編集後記】

とても優しい方です。質問を丁寧に確認しながら澄んだ瞳で語る姿は少年のようです。印象的だったのは、全く焦りがないこと。22歳から声楽の勉強を始め、25歳から舞台に立ち、42歳で外の世界へ。石丸さんの人生でその都度「もう遅い」と思っていたら、きっと今この場所にはいなかったことと思います。そして、人の助言を素直に受け止めてすぐに動く。年齢にとらわれない、心のままの決断は大事なのだと思わせてくれました。

■石丸幹二(いしまる・かんじ)

1965年8月15日生まれ、愛媛県出身。幼少期からピアノ、スネアドラム、トロンボーン、サクソフォーン、チェロ等に触れる。東京音楽大学音楽学部器楽科にてサクソフォーンを専攻(3年時に中退)。1987年、東京藝術大学音楽学部声楽科に入学(1991年卒業)。

1990年、劇団四季にてミュージカル『オペラ座の怪人』ラウル・シャニュイ子爵役でデビュー、看板俳優として活動する。2007年退団後は『ジキル&ハイド』『パレード』『ラグタイム』など数多くの舞台に出演。『半沢直樹』(TBS系)、『少年虎次郎』(NHK)といったドラマ、『題名のない音楽会』(テレビ朝日系)、『健康カプセル!ゲンキの時間』(TBS系)の司会など、現在は映像・音楽を始め幅広い分野に活動の幅を広げている。音楽劇『ライムライト』は東京・シアタークリエにて、8月3~18日に上演予定。東京公演後、大阪、大分でも公演を予定。

https://www.tohostage.com/limelight/

フリーアナウンサー/リポーター

東京都出身。渋谷でエンタメに囲まれて育つ。大学卒業後、舞台芸術学院でミュージカルを学び、ジャズバレエ団、声優事務所の研究生などを経て情報番組のリポーターを始める。事件から芸能まで、走り続けて四半世紀以上。国内だけでなく、NYのブロードウェイや北朝鮮の芸能学校まで幅広く取材。TBS「モーニングEye」、テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド!スクランブル」で専属リポーターを務めた後、現在はABC「newsおかえり」、中京テレビ「キャッチ!」などの番組で芸能情報を伝えている。

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