アートの新聖地 パリ近郊の「モネの家」
パリ近郊の事件に端を発して、フランス各地で起こった騒動について、「フランスが内戦状態にある」というような、センセーショナルな報道に目にした方も少なくないと思います。
けれども今のところ、パリ市内での暮らしは平常通り。海外からの旅行者はどんどん増えている印象で、街は活況を呈しています。
そんな中、私はパリ近郊に出かけました。アルジャントゥイユという町に昨秋、新しくオープンした「モネの家」を訪ねるためです。
正式な名前は、「MAISON IMPRESSIONNISTE(メゾン・アンプレッショニスト)」。「印象派の家」というもので、この家にはかつて印象派を代表する画家、クロード・モネが暮らしていました。
その家を訪ねた様子は、こちらの動画でもご覧いただけます。
駅至近築浅注目物件「モネの家」
この家を、もしも不動産屋さんが広告するとしたら、「パリ中心部まで10数分」と謳うでしょう。というのも、パリ・サンラザール駅からアルジャントゥイユ駅は郊外電車で10分ほどの距離で、家はそこから歩いてほんの2、3分という立地なのです。
時は19世紀後半、アルジャントゥイユ駅ができた数年後の1871年、線路と並行する通りに一斉に家が建ち、そのうちの一軒にモネ一家は1874年に引っ越しました。当時としては最新の交通手段を利用できる注目のエリアをモネは選んだことになります。
実際に訪れてみると、家の窓から駅のホームが見え、思い立ったらすぐに列車に乗れるという環境だったことがわかります。
1878年までモネ一家が暮らした後、住人は代わりましたが、2003年、アルジャントゥイユ市が購入。その後、メセナの援助を得ながらプロジェクトを進め、2022年秋に「メゾン・アンプレッショニスト」としてお披露目となりました。
家は、30代のモネと妻のカミーユ、そして一人息子のジャンが暮らしていた頃をそこはかとなく彷彿とさせるような、親しみのある雰囲気に改装されています。淡いローズピンクの壁にペパーミントグリーンの窓枠や雨戸という外観。いかにもフランスの慕わしい家ならではの趣あるセメントタイルの床。木の階段、中庭の佇まいなどは、時代を経てもおそらく変わらない、この家の魅力を伝えてくれます。
30代のモネのスイートホーム
モネの作品そのものはここにはありません。けれども、箪笥の扉や引き出しを開くたびに、アルジャントゥイユ時代にモネが描いた数々の代表作が、光とともに溢れ出るような設定になっています。
妻と息子をモデルにしたであろう「ひなげし」「日傘の女」などからは、経済的な成功は遠くとも、若く幸せだった時代のモネ一家の日々が伝わってくるようです。
「印象派」の名前の由来になった「印象 日の出」が描かれたのも、「サンラザール駅」のシリーズが描かれたのもこの時代。「印象 日の出」の舞台となったノルマンディー地方の海辺の町、ルアーヴルへも、パリ・サンラザール駅へも、家の前のホームから列車に乗ってしまえば苦もなく行かれます。
この家が建ったばかりの時代に思いを馳せれば、モネのフットワークの軽さ、そして最新のテクノロジーやライフスタイルを積極的に取り入れたモネの嗜好が垣間見えるような気がします。
家の最上階は「アトリエ舟」がテーマになっていて、彼がいかにセーヌ川に親しみ、それを画題として様々な形で取り組んだことがわかります。改造した小舟の中でキャンバスを構えて絵筆をとれば、岸辺から見るのとは違い、セーヌ川の揺らぎ、水の力をより強く体感できたことでしょう。モネ独特の筆のタッチは、そのような動態の中から生まれたものなのでは、と想像が膨らみます。
パリ近郊 モネの描いた時代と今
やはり最上階には「モネが去った後」というテーマで、アルジャントゥイユの変貌ぶりがわかるような展示がしてあります。ここで私たちは、パリ近郊が100年ほどの間にいかに変化し、それがフランスの現代史の縮図になっているかを知るのです。
今は想像すらできませんが、アルジャントゥイユはかつてフランスを代表する一大ワイン産地だったといいます。アスパラガスもこの土地の名産品だったようで、モネが暮らしていた時代には、葡萄畑や菜園が広がる風景がまだ残っていたはずです。
また、鉄道が通ったことでパリからアクセスしやすくなり、豊かに流れるセーヌ川と緑豊かな風景が広がっているという環境ゆえ、パリジャンたちが川船を浮かべてセーリングを楽しんだり、「ガンゲット」と呼ばれる川辺の大衆酒場兼ダンスホールに集ったりしました。つまりアルジャントゥイユは当時のパリっ子たちにとって、都市の日常からしばし離れて、開放的な時間を過ごせる楽しい場所だったに違いありません。
葡萄畑の方はフランスの葡萄産地に壊滅的な被害をもたらしたフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)などの影響もあり、20世紀には急激に衰退し、自動車産業や航空機産業がそれに代わる産業になって行きました。
モネの時代と、およそ80年後の20世紀半ばを比べると、町の人口は10倍以上に膨れ上がったといいますから、モネの見ていた風景がどんどん姿を消していったとしても不思議はありません。
アルジャントゥイユの現在の住人に移民がかなり多いことは、駅を降りただけでもわかります。けれども、私の友人でアルジャントゥイユで育った50代の仏人の記憶では、小学校時代のクラスには、アフリカ系移民は1〜2人しかいなかったとのだとか。つまり、ここ30〜40年の期間だけでも町の様子はすっかり変わってしまったのでしょう。その変化は、パリ市内よりもずっと激しかったはずです。
日本で先の騒動のニュースを聞くと、まるでパリ全体が騒然としているように受け止められたかもしれません。けれども、冒頭で書いた通り、パリ市内のほとんどのところでは通常通り。ヴァカンスシーズンともなれば、普段よりも静かでのんびりとした空気が流れているくらいなので、旅行を計画されている方は、いつも以上に心配する必要はないと思います。
けれども、パリの郊外を訪ねる場合、長年フランスに暮らしている私でも、エリアによってはかなり緊張感を持って臨む場合があります。
では、アルジャントゥイユはどうか?
私が「モネの家」を訪ねたのは、騒動から数日後というタイミングでしたが、サンラザール駅から一駅。しかも駅前にすぐ目的地があるということがわかっていたので、危険を感じるようなことはありませんでした。
ということで、モネの絵のファンで、パリを訪ねる機会がある方ならば、この家を一度訪れてみてはいかがでしょう?
ただし現在のところ、一般公開は水曜と土曜の10時〜18時、日曜の14時〜18時、8月は休館となっているのでご注意を…。
最新の情報については、「メゾン・アンンプレッショニスト」の公式ウエブサイトをご覧ください。