いじめの都道府県格差――「小学校で過去最多 11万件」の何が問題なのか? 自治体間で200倍の開き
「小学校で過去最多」
今年もまた、いじめをめぐって、大きな数字が目に飛び込んできた。
文部科学省がいじめや不登校等の事項に関して、2013年度の調査結果を発表した。メディアも同日、一斉に結果を報道した。
各報道の見出しでもっとも目立つのが、「小学校で過去最多」である。そして記事の中身をざっと読んでみると、「増加」や「最多」あるいは「いじめ20万件時代(小中高)」といった表現が並び、どうにも世の中が悪い方に向かっているかのような内容である。
なお、じつは中学校と高校ではいじめの件数は減少しているにもかかわらず、その記述はあまり目立たない。
はたして、この調査結果を、どう読むべきか――
教師によるいじめ認知の成果
すでに別の記事(「児童虐待7万件超 過去最悪」のウソ)で私が指摘したように、今日ほど人びとが子どもの人権に敏感な時代はない。いじめにしろ虐待にしろ、全体的傾向として私たちはこれまでにないくらいに、子どもたちの安全・安心に気を遣っている。思い起こせば、2013年6月には「いじめ防止対策推進法」が成立し、9月に施行されたばかりであった。
いじめの件数をゼロ件にするのは、思いのほか簡単である。学校現場が、いじめに無関心になればよい。子どもが学校を頻繁に欠席しても、突然元気をなくしても、気にしなければよい。子どもが友人関係の悩みを訴えてきても、「よくあることだ」と取り合わなければよい。
いじめの件数とは、私たちの「まなざし」のあり方を直接に反映する。文部科学省は、いじめの件数を2006年度に「認知件数」と言い改めた(それ以前は「発生件数」)。いじめは教師側の認知しようという前向きな意識の産物である。
そうだとするならば、まずもっていじめ件数の増加あるいは過去最多とは、教師たちが努力した結果である。それをまるで事態が悪い方に向かっているかのように評するのは問題である。「小学校で過去最多 11万件」は、むしろ大人の側の関心の高まりを示す、よい傾向であると理解すべきである。
小学校の11万件をどう読むか
ところで私たちは、数値が万単位になってくると、もはやそれがどのくらい大きい数字なのか見当がつかないままに、なんとなく「多い」と感じてしまう。はたして、この11万件とはどのような意味をもつ数字なのか。
全国には、全部で約670万人の小学生(2013年度)がいる。そして、いじめの認知件数が11万9千件である。正確な数字をもとに計算(小学生:6,676,920人、いじめ:118,805件)すると、小学生100人あたりで約1.78件のいじめが認知されている。56人につき1件(2クラスに1件強)が、1年間で認知されたということになる。
これが現実を適切に表現している数字と理解してよいだろうか――。「11万件」という数字の大きさに圧倒されて終わるのではなく、感覚的に理解できる数字に変換して、改めて「11万件」を評価する必要があるだろう。
大きな都道府県格差
小学校の総数で11万件とはいうものの、これを都道府県単位で見てみると、大きな問題に気づかされる。
図1は、いじめの認知件数(1000人あたり)を都道府県別に示したものである(※)。都道府県による大小の差が、とても大きいことがわかる。最大値の京都府(170.3件)は、最小値の佐賀県(0.87件)の196倍に達する。
なお参考までに、「不登校」の都道府県格差(1000人あたり)を図2に示しておこう。不登校の数字をめぐっても、詳細な説明が必要ではあるが今回はそれは省略する。確認してほしいのは,いじめと比べたたときに都道府県格差がとても小さい点である。
話をいじめに戻そう。繰り返しとなるが、都道府県の差というのは、発生件数の差ではなく認知件数の差である。京都府はかなり積極的にいじめの発見に力を入れたようである。小学生100人中17件のいじめが認知されている。
それにしても、都道府県の格差が大きすぎる。各自治体が自分たちのペースでいじめ防止活動を展開することには同意できるが、それにしてもこの差はあまりに大きい。隣り合う県のなかでも、極端な差がある。
日本の子どもの様子が自治体間で極端に異なるということは、あまりないだろう。それだけに、いじめの対応がここまで大きく異なるのは、見過ごすことができない。子どもがどの都道府県で学校生活を送るかによって、いじめへの対応がまったく違うのだから。
※注
文部科学省が発表した都道府県別の認知件数を、都道府県の小学生数(「学校基本調査」を参照)で除して算出した。