部活動に眠る700億円の市場 スポーツをビジネスに、元教員がつくるプロ野球
先日、今年活動を開始した独立プロ野球リーグ・九州アジアリーグについて、その発足の経緯を探った記事を発表した。(『「NPBだって独立リーグです」 野球"九州アジアリーグ"に込めた思い』4月20日配信, https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20210420-00233035/)
その続編として、今回は大分の球団社長・森慎一郎のストーリーを紹介する。
先生が創ったプロ球団
火の国サラマンダーズが、社会人実業団チームを「独立」させ、プロ化したものであるのに対し、大分B-リングスは、地域総合スポーツクラブのシンボルとなるべく、発足したプロチームだ。
B-リングスの代表取締役社長を務める森慎一郎は、総合型地域スポーツクラブ・Nスポーツクラブの理事長も務めている。森の前職は中学校教員。軟式野球部の顧問を長らく務めていたが、学校が部活というかたちでジュニア層のスポーツを丸抱えする現状に限界を感じるようになった。そこで、教員生活、部活指導と並行して2004年に硬式野球チームとともにスポーツクラブを創設したのだという。
「私自身の話をすると、中学が小規模校で野球部がなく、好きな野球ができなかったんです。やっと高校から初めたんですが、これが甲子園常連校(笑)。それでもがんばって最後には試合に出してもらいました。田舎で子どもが少ないから好きなスポーツができないというのは、ちょっとおかしいんじゃないか。それが原点ですね。逆の視点からみれば、今の部活は、教師の業務にプラスしてのボランティアになってしまっています。だから、地域にスポーツが育たない。無償で先生が教えているから、クラブ経営が成立しない。
大分にはトリニータというプロサッカーチームがありますが、子どもたちの指導までなかなか手が回りません。それに、どうしてもサッカーだけになってしまう。本当はいろいろなスポーツをしたいとJリーグ100年構想にあるけれども、なかなかそうにはなっていないですね。だから、我々はボトムアップ。まず、最初に地域クラブを作りましょうという発想なんです。」
現在日本の中学生の人口は300万人強。部活でスポーツをしているのはこのうち二百数十万人らしい。彼らがスポーツの習得に月3000円出すと仮定すると、本来700億円規模の市場が眠っていることになる。ところが、部活というかたちで中学教師たちが無償で指導することによって、この大きな市場が消失している。だから、地方にプロクラブを作り、その選手が指導者として活動すれば、彼らは、月15万から20万円ほどの報酬を受け取りながら競技生活を送ることができるというのが森の考えだ。
「総合型地域スポーツクラブというのが、今、日本に3800あるんです。そこに、どんどんプロチームを創ってほしいんです。学校の部活動は今後、改革されます。部活動はもう地域に落ちてゆきます。先生方は、もう放課後は働きません。大分の場合、2023年から文科省の方針で、土日に教師に仕事をさせないと決めたんです。」
「それに」、と森は付け加える。長らく教育現場に身を置いてきて、学校という枠組みにスポーツを閉じ込めてしまう危険性を森は痛感していた。
「学校の部活は、得てして、指導する教師の『王国』になってしまうんです。生徒はある学校に入ったら、もうその学校の部活に行くしかない。監督の教師と相性が合わなくても、我慢するしかない。ハラスメント的な指導に関しても、ボランティアでやっているものだから、職員室でもなかなか手を入れられない。でも地域のクラブにすれば、自分の好みのクラブを選べるし、試合に出してもらえない、監督から嫌がらせがあったとかあれば、移ればいいんです。本当の選手ファーストっていうのはそういうことではないですかね。」
自らの考えを具現化するために、NPO法人を立ち上げたのが、2005年のことだ。当初は、公務員という立場上、無報酬のボランティアというかたちでその運営に携わってきた。しかし、本務校で部活の指導もしながらの「二足の草鞋」では限界が生じてくる。そこで、4年前、54歳の時に、森は一念発起、早期退職の途を選び、スポーツクラブ運営に専念することにした。
退職金の2000万円と、その同額を森の理念に賛同した出資者が負担。これに日本スポーツ振興センターのスポーツ振興くじからのスポーツ助成金を加えた1億2000万円を原資に、スポーツ普及活動を本格化させた。大分市郊外の野津原にクラブハウスと、野球場、サッカー場、テニスコートを建設。スポーツクラブを本格的にビジネス化し、現在、Nスポーツクラブは、野球以外に、テニス、サッカーなどで約700人の会員を抱え、年間活動費3000万円に成長している。この3000万円に大分市営のテニスコート付きの宿泊施設の指定管理料を加えると6000万円規模の事業ということになる。ここに、年予算6~7000万円のプロ野球経営を行っていこうというのが森の目算である。
スポーツクラブの運営に専従した当初から、森はクラブのシンボルとして、独立プロ野球チーム設立の構想を頭に描き、外部にも発信していた。そのような時に、もちあがったのが、九州での独立プロ野球リーグ立ち上げの話だった。
「地方の人口、野球人口が減っていく中で、本当はNPBが野球を広める活動をしていかないとダメなんです。そうでないと(モンゴル人力士が多い)相撲みたいになってしまう。
野球界はトップがNPBの12球団で固まってしまったところがあったと思います。後発のサッカーのJリーグやバスケットボールのBリーグみたいな柔軟性がないです。プロアマの問題なんかその典型です。
例えば、バスケットを見てください。大学に在籍しながらプロリーグに出場しているんです。野球で言えば、甲子園が終わった後、高校球児が阪神タイガースに入って活躍するようなもんです。夢があるし、それが本当の選手ファーストじゃないですか。これまでは野球界の中だけで競争してきましたけど、これからは他種目という外のライバルを意識する必要がありますよね。少子化の中、どうやって子どもたちの野球を好きなスポーツにしていくかということが大事になってきます。」
スポーツクラブ、プロ球団を一括運営することによりコスト削減
森は、独立リーグ構想が立ち上がると即座に手を挙げた。迷いはなかった。
「うちには、すでにクラブハウスがありますから。今、B-リングスの選手たちはそこで3度の食事をとっています。トレーニングルームもありますし、すでに拠点はできているんです。」
スポーツクラブの運営と言っても、その器である施設の維持管理にはかなりのコストがかかる。独立プロ球団の運営は、この施設の有効活用にも役立つ。クラブの会員の送迎バスはそのままB-リングスの移動手段となっている。大人たちがクラブで汗を流すのは、土日中心。彼らは郊外の施設まで車で来ることがほとんどで、バスを利用するのは平日夕方からやってくる子どもたちが中心だ。また、Nスポーツクラブでは、文武両道の理念の下、練習後の少年少女たちのためにクラブハウスで学習塾の運営もしているが、その間、B-リングスの選手たちはハウス内にあるトレーニングルームで汗を流している。
「プロ球団だけだと、年1億円必要です。でも、スポーツクラブの施設を利用すると6~7000万円で運営できるんです。」
人的資源という意味では、現在のところ、プロとしての試合興行に耐えうるレベルに選手をもっていくのがやっとだと森は言うが、将来的には、独立球団の選手たちを指導者に育てることも射程に置いている。
Nスポーツクラブ設立のきっかけとなった中学生硬式野球チーム、「大分七瀬ボーイズ」は、今や大分県を代表する強豪となっている。昨年、プロ初勝利を含む4勝を挙げ、今シーズンは先発ローテーション入りしているソフトバンクの新鋭、笠谷俊介はここの卒業生だ。B-リングスの選手の仕事にはこのチームの指導も含まれている。
「プロを目指した選手が、みんなNPBの一流選手になるわけではないです。むしろ、ああいうところまで行くというのはなかなかいないです。NPBに入ったのはいいけれども、2、3年でクビになることもありえます。だから、本当に地域にもっとスポーツ活動が必要になってくるんです。そうなってくると、B-リングスの選手のような人材が相当生きるんです。例えば、練習後、午後4時から中学生を指導してもいいかとなれば、学校の部活がなくなれば、子どもたちはもうそこ(スポーツクラブ)に来ます。だからこそ、スポーツはちゃんとビジネス化していかないといけないんです。
選手たちも、子どもたちを目の前にすれば、変わりますよ。体育大学を出て教員免許を持った人材もいますから。選手、スタッフがきちんと理念をもちながら、指導して、そういう中で、使える人材が見つかれば、将来的にクラブのイベント事業なんかもどんどん引っ張っていけるスタッフになる。」
「ブラック部活」などという言葉が教育現場で叫ばれ、部活現場で体罰という名の暴力がいまだ止まない中、青少年へのスポーツ指導が地域に委ねられていく流れはある種の必然だろう。その流れの中、総合型地域スポーツクラブが各地に発足し、それに付随した小規模プロスポーツが生まれて、そのプロ選手たちが、クラブの指導者、スタッフとして育っていけば、地方にスポーツを軸にしたヒト、モノ、カネの循環が起こることになる。
「小さなプロ野球」に見合った「ボールパーク」という究極の夢
現在のところ、B-リングス立ち上げに際してのストックが6800万円。今シーズンの運営には問題ないレベルの資金はあるものの、球団の持続的運営には、同額の資金を調達していかねばならない。収支目標について森はこう語る。
「スポンサーに関しては、4000万円が目標です。現実には、今までに資本金は2100万円集まって、700万円出してくれる株主さんが出ましたから、2800万円集まりました。あとは、チケット販売やグッズ販売でなんとかしたいですね。」
森の念頭にあるのはこの規模の「小さなプロ野球」までである。独立プロ球団の中には、将来的なNPBへの加盟を念頭においているところもあるが、森の射程にそれはない。
「大分ではNPBは無理です。200億円あるジャイアンツとうちのチームと戦っても面白くない。私の念頭にあるのは『カントリーリーグ』なんです。NPBのフランチャイズの規模に行かない地方都市でリーグを創るんです。要するにマイナーリーグです。そういう、『カントリーリーグ』、『マイナーリーグ』、名前はどうでもいいんです。それで、チャンピオンシップを行えば夢があるでしょう。本当にできると思うんです。だってそれだけの野球人口はいるでしょう。サッカーならJは57チームあるんです。J1からJ3まで入れたら、1500人の選手がいます。野球はNPBの12球団を考えたら900人ぐらいでしょう。」
3月27日に行われた開幕戦は1000人を超す「大入り」となった。とにかくまずは見てもらおうと、相当数の招待券を配布したのだが、地元少年野球団を中心とする招待客は、目の前の「プロ」のプレーに目を輝かせ、1点を争う熱戦に歓声を挙げた。将来的には、1000円の木戸銭で毎試合3000人を集めたいと森は言う。
「現実問題、トリニータでも、今は5000人をきっていますから。独立野球リーグは400~500人というところでしょう。それでも、やっぱり3000人ぐらい集めるようにしたいです。」
森が理想とするのは、アメリカのマイナーリーグだ。海の向こうでは野球観戦が生活の一部になって、夏になれば、家族連れがボールパークに足を運び、ビールを飲んだり、場内のアトラクションを楽しんだり、野球を核として、休日を楽しむ。森の未来予想図には、大分という地方都市に身の丈に合ったボールパーク建設がある。
森が主宰するNスポーツクラブはすでにフィールドを保有している。大分市郊外の旧野津原町に野球場、サッカー場にテニスコート、そしてクラブハウスまで備えた複合施設を有している。現在B-リングスも練習場と使用している野球場に3000人規模のスタンドを造り、そこを本拠として試合を行うのが、独立球団のあるべき姿だと森は考えている。
「それは自分のところが持っている球場があるんです。自分が持っている敷地に。それを、いつかはスタジアム化したいんです。すでに土地の確保はできます周囲に田んぼがちょっと残っていて、そこにスタンドを建てるんです。そこで食べたり飲んだりしながら、試合後は、キャンプしたりとか。野球を見るだけでないボールパークにしたいですね。そこが、スポーツクラブの最終形になるかな。」
森の野球人としての最後の挑戦は今始まったばかりだ。
(文中の写真はすべて筆者撮影)