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サウジアラビアとの第3戦に臨むリオ五輪代表、注目は帰ってきた右の翼・松原健!

川端暁彦サッカーライター/編集者
右サイドバックで先発が予想される新潟のDF松原健(写真:六川則夫)

単なる“消化試合”にあらず

1月19日、リオ五輪アジア最終予選に参加中のU-23日本代表は、サウジアラビアとのグループリーグ第3戦に臨む。すでにグループ1位での通過を決めている日本は、これまで出番のなかった選手たちにチャンスを与える見込みだ。手倉森誠監督はこの状況を「全員を使って鍛えてくれというメッセージだと思っている」とした上で、「全員を戦いたい」と明言。第1戦、第2戦で稼働したMF遠藤航(浦和)、DF岩波拓也(神戸)といった選手を決勝トーナメントに向けて温存しつつ、中東の雄を相手取ることとなりそうだ。

実際、FW鈴木武蔵(新潟)が負傷で前日練習を休み、DF室屋成(明治大学)が同じく負傷で別メニューになるなど、2試合を戦ったダメージの蓄積は小さくない。それだけにこの第3戦を主力のリカバリーに使える「ぜいたくな状況になった」(手倉森監督)意味は大きい。一方、サウジアラビアにとっては突破のために勝利のみを目指す大事な一戦。「サウジは底力のあるチームだし、日本に勝てばここまでの2試合(共に引き分け)を帳消しにできるくらいの覚悟でくる」(手倉森監督)。勝つしかない状況に追い込まれている本気の相手に対して、「決勝トーナメントのシミュレーション」(同監督)ができると言えるし、選手たちにとっては良い経験にもなるはずだ。

チーム最年少の19歳、MF三竿健斗も先発濃厚
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そして日本側で士気の高さを感じさせるのが、ここまで出番のなかった選手たち。MF井手口陽介(G大阪)は「この2試合、何もしていない。サウジ戦で機会をもらえたら、悔しい思い、出し切れなかったモノをぶつけていきたい」と語り、MF三竿健斗(鹿島)は「選手である以上、出られないのはやっぱり悔しかった。出たときに自分の色を出せれば、決勝トーナメントに向けてもチャンスをつかめると思っている」と意欲を示す。

松原健の配慮と決意

中でも強い決意をうかがわせたのは、DF松原健(新潟)だろう。アギーレ前監督時代のA代表に招集され、ハリルホジッチ現監督も東アジアカップの予備登録メンバーに選んでいる実力派のサイドバックであり、本来なら主軸となるべき存在だ。しかし、昨年5月に右ひざ半月板を負傷して手術に踏み切り、長いリハビリ生活を送ってきた選手でもある。

「この大会に間に合わせるという気持ちでずっとやってきた」と語るが、なかなかコンディションが戻らずに苦しんだのが実情だ。「右と左で足の太さがまるで違った」(手倉森監督)という状態だった11月の平塚合宿からチームに復帰したものの、初戦には間に合わず。指揮官からは「3戦目に照準を合わせて調整しろ」と要請される中、ベストの状態を取り戻すために戦ってきた。18日の練習では居残り組に混じり、感触を確かめるように右からのクロスボールを丁寧に何本も蹴り込んだ。

出られない時期には、同じ右サイドバックのライバルである室屋成にクロスボールの蹴り方を伝授するなど、チームのサポート役に回った。そんな松原の様子に強い感銘を受けた室屋はこの2戦で獅子奮迅の働きを披露。タイとの2戦では負傷しながらも、最後まで戦い抜いた。「『もう少し力を抜いて蹴ったほうがいい』とか、軽くアドバイスしただけですよ」と笑った松原は、「それで(室屋)成のクロスが良くなって日本の点が入ってくれるなら、僕としてもそれでいい」と言い切った。

完調でなかった自分を選んでくれた指揮官の信頼は強く感じている。「気持ちが入り過ぎると空回りするタイプなので」と、落ち着いた様子を崩さないが、それでも内心燃えるものはあるはず。「サウジはワイドハーフが開いて、サイドチェンジからの突破を狙ってくる。そのインターセプトを狙いたい。あとはウイングが攻め残り(サイドバックのオーバーラップに対応して戻ることなく、カウンターを狙う戦術)をしてくるかもしれないので、そこは相手の出方をしっかり確認しながら戦いたい」と、試合のイメージはすでに明確に持っていた。

指揮官も「しっかり試合に入って、『決勝トーナメントでやれるんだ!』という自信を付けてくれれば」と期待感を隠さない。松原を含めたここまで出場機会のなかった選手たちが躍動するようなら、チームとしてのテンションも一気に上がるし、決勝トーナメントでの選択肢も自然と増えることになる。当然、その逆パターンになるリスクもあるわけで、「誰が出ても勝てるということを示さないといけない」(手倉森監督)試合である。

サッカーライター/編集者

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月をもって野に下り、フリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカークリニック』『Footballista』『サッカー批評』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。著書『2050年W杯日本代表優勝プラン』(ソルメディア)ほか。

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