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PSV・堂安律が語ったガンバ大阪への想い。なぜ、今『堂安シート』なのか。

高村美砂フリーランス・スポーツライター

 ジュニアユース時代から所属した『生え抜き』として、17年夏までガンバ大阪に所属していた堂安律(PSVアイントホーフェン)が、2022シーズンのガンバのホームゲームにおける『堂安シート』の設置を発表した。関西在住の小学生(サッカーチーム以外も可)を今シーズンのホームゲーム20試合(J1リーグ17試合、ルヴァンカップ3試合)に各10名ずつ招待する。思えば、ガンバU-23の最終戦となった、2020年のJ3リーグ最終節でも、大阪府下のサッカーチームに登録している小学生約180名(引率者含む)を招待していた堂安だが、今シーズンはさらに多くの子どもたちにプロの試合、プレーをリアルに体感できる機会を提供するという。

https://www.gamba-osaka.net/news/index/no/2144/c/0/year/2022/month/02/

■ガンバ大阪での軌跡。苦しんだガンバU-23時代。

 18年8月の初招集以来、日本代表としても活躍を続ける堂安は、ガンバのDNAを受け継ぐ男として期待を集めた一人だった。その証拠に、15年には高校2年生ながらプロデビューを実現。同6月には宇佐美貴史が持つ『クラブ史上最年少リーグ戦デビュー』記録を塗り替えると、16年にはクラブ史上6人目となる『飛び級』でプロキャリアをスタートさせる。本人も憧れの先輩、宇佐美貴史に続く活躍を胸に誓っていた。

「サッカー選手に年齢は関係ない。昨年、二種登録選手としてプレーした中で感じた自分の物足りなさとしっかり向き合いながら、子供の頃から憧れたガンバで、攻撃で違いを生み出す姿をしっかり見せていきたい。今年からU-23が発足しましたが、目標に据えるのはそこでの出場ではなくトップチームの試合に絡み続けること。2列目にはライバルも多いですが、活躍できるかは自分次第だと思っているし、自分のメンタルさえしっかりコントロールできれば絶対に成長できると思っています。サポーターの皆さんが期待している以上のプレーを見せられるように頑張ります」

 17歳らしい初々しさを漂わせながらも堂々とした態度で話していたのが印象に残っている。

 もっとも、その決意とは裏腹に彼のプロ1年目は理想とはかけ離れたものだった。J3リーグには21試合に出場し、チーム唯一の『二桁得点』を実現したものの、J1リーグへの出場は途中出場での3試合、わずか25分にとどまった。

「サッカー人生でこんなに悔しい思いを味わったのは初めてです」

ガンバU-23で過ごした時間は「今でも自分の原点」と心を寄せる。写真提供/ガンバ大阪
ガンバU-23で過ごした時間は「今でも自分の原点」と心を寄せる。写真提供/ガンバ大阪

 だが、その悔しさをバネに迎えた2年目は、J1リーグ開幕戦からメンバー入りを実現。序盤は途中出場が続いたもののリーグ初先発を飾った4月21日のJ1リーグ8節・大宮アルディージャで2ゴールを挙げると、AFCチャンピオンズリーグのアデレード・ユナイテッド戦、さらにJ1リーグ9節・横浜F・マリノス戦と、3試合続けてゴールを挙げ、存在感を示す。その勢いのままに、U-20日本代表として出場したFIFA U-20ワールドカップでも4試合で3得点と、大会を通してその名を轟かせたことが追い風にもなったのだろう。直後には、オランダのFCフローニンゲンからオファーが届く。かねて『海外』でのプレーを目標にしていた彼に迷いはなかった。ガンバでのラストマッチとなった6月25日、ホームでの川崎フロンターレ戦後のセレモニーで語った言葉が懐かしい。

「ガンバでの時間を思い返していたら、今年の(J1リーグでの)ことより去年のJ3での悔しい思い出が蘇ってきました。どうしたら試合に出られるかわからず、このまま終わってしまうのかと本気で悩みました。叱ってくれた實好(礼忠)監督や『まだまだだよ』と言って尻に火をつけてくれた長谷川(健太)監督、応援してくれたサポーターの皆さんのおかげでここまで這い上がってこれたと思っています。アカデミーの先輩、宇佐美貴史という存在が大きな憧れでした。ちょうど1年前、このスタジアムで宇佐美くんのセレモニーをベンチから見て、あの時のサポーターの皆さんの反応を見て、本当に愛されているんだと思ったのを覚えています。僕はガンバにタイトルをもたらすこともできていないし、まだまだサポーターの皆さんは僕のことを認めてくれていないと思います。ただ1年後、あいつは海外に行ってよかったなと思われるくらいしっかり活躍して頑張ってきたいと思います」

世代別代表での活躍もあり16年にはアジア年間最優秀選手賞を受賞するなど、着実にステップアップを図ってきた。写真提供/ガンバ大阪
世代別代表での活躍もあり16年にはアジア年間最優秀選手賞を受賞するなど、着実にステップアップを図ってきた。写真提供/ガンバ大阪

■海外でのキャリアを通じて再確認したガンバ愛

 海外に活躍の場を移してからの彼は、まさにその決意通りの輝きを示してきた。フローニンゲンで目覚ましい結果を残しながら日本代表入りを果たすと、19年8月にはオランダの強豪、PSVアイントホーフェンに移籍。アルミニア・ビーレフェルトへの期限付き移籍を経て昨年夏に復帰したPSVでは、現在もレギュラーに定着しながら、首位争いを続けるチームのど真ん中で輝いている。

 そうして海外を舞台に戦い続ける彼が、なぜガンバを離れて5年の月日が流れた今、古巣に思いを寄せるのか。

「海外に飛び出したばかりの頃は、自分のことでいっぱいいっぱいで正直、ガンバのことを考える余裕はありませんでした。もちろん、それは今も同じで世界で活躍を続けるにはどうすればいいのか。更にステップアップをするには何が必要か、ばかり考えています。ただ、経験を重ねたことで、最近はいろんなものが目に入るようになりました。その中で、海外の選手の子どもたちに対する振る舞いや、アカデミー年代の育成に力を入れているオランダでのサッカーのあり方などに触れて、また、日本代表での活動を通しても、僕なりに日本サッカー界の発展や自分のキャリアを考えることが増えました。また、オフシーズンには毎回、挨拶を兼ねてガンバを訪問させてもらってきた中で、その度にアカデミー時代やU-23での時間が思い出され、純粋にガンバが恋しくなるというか(笑)。正直、プロになってからのガンバでの時間は悔しさを感じることの方が多かったけど、今となってはそれも自分にとっては大事な時間だったと思えるようになった中で、自分に根強く残るガンバへの想いを形にする活動をしたいと考えるようになりました」

 実際、今回の『堂安シート』も昨年夏、ガンバに挨拶に訪れた際に、小野忠史代表取締役社長と話をしたのがきっかけで実現に至ったという。

「13歳の時に初めてガンバのユニフォームに袖を通して、ガンバでプレーするのが誇らしかったし、トップチームで活躍する選手の姿を間近で見て、早く自分もそこに追いつきたい一心でプレーしてきました。そんな僕と同じように関西の地でガンバでプレーすることやプロサッカー選手を目指す子供たちに、あるいは、サッカー選手ではなくても目の前でプロアスリートの姿からいろんなことを感じ取ってもらう機会を提供することで少しでも子供たちの成長を助ける力になれたらと思い、今回は、『堂安シート』の設置を決めました。今後は僕の原点でもあるアカデミーをサポートするような活動もしていけたらいいな、と思っています」

 ガンバを離れる際に口にした言葉ともリンクする思いも込めて。

「アカデミーから育ててもらい、自分のサッカー選手としてのベースを作ってもらったことに対して、僕が在籍期間中、ガンバにどんな恩返しをできたのかと考えると、正直、何もできなかったというか。実際、僕がトップチームで公式戦に出場したのはACLを含めても20試合ちょっとで、例えば、宇佐美くんのようにガンバでチームを勝たせるような結果を残すとか、タイトルをもたらす、応援していただいたサポーターの人たちに感動を与えるといった貢献は一切できませんでした。そのことへの心残りは今もあるからこそ、『堂安シート』が少しでもガンバの、そして未来を担う子供たちの力になれば嬉しいです」

■兄・堂安憂とともに『NEXT10 FOOTBALL LAB』を発足。

 さらに言うならば、そうした未来のサッカー界を見据えて、また『子供たち』への思いを形にしようと、堂安は昨年末、元プロサッカー選手の兄・堂安憂とともにフットボールスクール『NEXT10 FOOTBALL LAB』(https://next10.jp)を2022年4月より開校すると発表した。これもまた彼の海外での経験や考えに基づき「世界へ羽ばたく選手の育成」「信頼される人間力の向上」を目指してスタートさせた活動だ。

 以前から「地元・尼崎市の子どもたちに笑顔になってもらえる機会を提供したい」との思いで、兄の憂とともに尼崎市のクラブチームを対象にした『堂安カップ』の開催や、児童養護施設に子供用の机や遊び道具を寄贈するなどの活動を続けてきた堂安。『NEXT10 FOOTBALL LAB』でも堂安兄弟が考案したオリジナルの指導カリキュラムに沿って、U-6〜U-12の年代ごとに必要なサッカーテクニックの習得を目指した指導が行われる予定だ。

「僕自身は幼少期から素晴らしいコーチ、恩師に出会えましたが、指導者に恵まれない子供たちはまだまだ多いと思うんです。実際、僕自身も、子供の時に大きく見えていた人に、大人になって会ってみたら、指導者としてのサッカー感があまりに低くて愕然とさせられたという経験をしたこともあります。もちろん子供たちがサッカーを楽しむだけが目的ならそれでも構わないですが、将来的にプロを目指したいと思っている子供たちには、その環境だと物足りないというか。まだ受け身の年代である小学生には、教える側がしっかりと年代ごとに必要なトレーニングを与えていかないと、いい選手は育たないとも思う。その部分は『NEXT10 FOOTBALL LAB』が最も意識しているところなので、僕自身もコーチ陣と密に連絡を取り合いながらしっかりと自分の考えを伝え、子供たちが本当の意味でのいい指導に触れられる機会を提供できるようにしていきたいと思っています。それがひいては、ガンバをはじめとするJクラブのアカデミーへの選手輩出につながっていくような仕組みができれば理想です」

 こうした日本での活動は一見、アウトプットの意味合いが強いように見えて、「実はインプットの力にもなっている」と堂安は言う。自分の行動や言葉に説得力を持たせるためには、当然、彼自身のピッチでの輝きが不可欠だと自覚するからだ。ワールドカップイヤーである2022年に突入した今、改めて、その胸にある決意を言葉に変える。

「ここ最近の日本代表戦では試合に出る機会が減っていますけど、とにかく僕が今、やるべきことはPSVで活躍を続けることだけだと思っています。この世界は、結果が全て。とにかく点を取って、チームを勝たせることを自分自身に求めながら、自分の全てをかけてサッカーと向き合い続けようと思います」

 堂安律の名前が世界に轟くこともまた、ガンバ大阪への恩返しになると信じて。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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