天皇陛下が「生前退位」をめぐりお気持ちを発表 ー英王室と「王冠をかけた恋」とは
8日、天皇陛下が「生前退位」をめぐってお気持ちを公表され、日本内外で数多くの報道が出ている。
筆者は、7月中旬、生前退位への観測記事が出た時点で、「ニューズウィーク日本版」に寄稿し、当時の英メディアの報道状況とエリザベス女王の生前退位の可能性について書いた。
天皇陛下の「生前退位」に興味津々の英国──最も高齢の王位継承者チャールズ皇太子に道は開けるか?
今回のお気持ち発表後、在英ジャーナリストの木村正人さんが全体を見渡す記事を書いていらっしゃる。木村氏はエリザベス女王の生前退位はない、とする見方だ。
英国の王室事情について、ある日本のテレビ局の取材用に準備したメモを掲載してみる。7月中旬時点の話であることにご留意願いたい。
Q:英国内での「生前退位」の議論は?
今回の陛下の生前退位のニュース(7月中旬)はトップ記事ではありませんでしたが、BBCなどの放送メディアとともに、新聞各紙が写真を複数使って、大きく報道しました。
まさか・・・という感じの意外性が大きかったと思います。日本は伝統を重んじる国と言う理解がありますから、そんな日本で常識を覆す動きがあることへの驚きです。それに、こちらには王室がありますので、日本の皇室のビッグニュースは英国にとってもビッグニュースでした。
それ以上に衝撃となったのが、今年90歳になったばかりのエリザベス女王(在位64年、最長)とチャールズ皇太子の問題が連想されるからです。
チャールズ皇太子は今67歳です。彼よりも前に王位継承者の最高年齢は64歳でしたので(1830年、ウイリアム4世)、これを超えてしまいました。
エリザベス女王がいつ退位するのか、いつチャールズ皇太子が国王になるのか、この問題は英国民にとって大きな問題で、特に、皇太子が50歳を過ぎたあたりから頻繁に議論の種になってきました。
皇太子の側近や友人の声として漏れ伝わってきたのは、皇太子自身が自分の将来を案じ、「一生なれないのではないか」、「なった時には超高齢になるのでは」、「なったとたんに亡くなるのではないか」などの懸念です。自分は次期国王に足る人物として母親に十分に信頼されていないのではないか、という不安感もあったようです。
高齢になっても息子に座を譲ろうとしない女王を責めるよりも、「息子に甲斐性がないからだ」として、皇太子を低く見る声もかなり根強いものがありました。ダイアナ元妃との離婚でもめ、互いに愛人を作って暴露しあった話もあって、「やっぱりチャールズはだめなんだ」と言う見方も。「これではチャールズには任せられないのも当然だ」と。
でも、近年は状況が変わってきました。チャールズ皇太子は現状を前向きに受け止め、吹っ切れたようになっています。
母の肩代わりとして公務を行うようになっていますし、カミラさんという元愛人を正式な妻として迎えたことも、落ち着きを与えたようです。
互いに再婚同士となったチャールズとカミラ。ダイアナ妃を愛した国民はカミラさんに対して強い反感を持っていました。
チャールズ皇太子は自分が国王になった時、カミラさんを「クイーン(王妃)」として国民に受け入れてもらい、愛される存在になってしいと願っています。そのためには、少しずつ、地ならしをして、カミラさんを受け入れてもらえる土壌づくりに励んできました。母親のエリザベスが女王である間の年月が、いつしか、自分が国王になるまでのちょうどよい地ならし期間と思えるようになったようです。
ところが、今回の天皇陛下の生前退位報道です。各紙の報道にはオランダ、ベルギー、スペインで高齢を理由に国王や女王が生前退位した流れが記されています。
エリザベス女王に対する国民の親しみは非常に強く、彼女自身が「王冠をかけた恋」*(後述)で国王の座を捨てたエドワード8世の二の舞には絶対にならないようにしようと心に決めていますので、途中で投げ出す気持ちは今のところはないようです。
でも、日本の天皇陛下の生前退位が現実化し、皇太子が天皇になった場合、英国の王室への影響はかなり大きいでしょう。「あの日本でさえ、退位になった」ということで大きく報道されるはずです。欧州の諸外国の例の1つ1つが、いわばボディブローのように効いてくる中で、「とうとう、あの伝統を重んじる日本もそうなったのか」という驚きがありそうです。各紙は1面で報じるでしょうし、王室でも話題にならざるを得ません。
正式に退位にはならなくても、現在90歳の女王が95歳、96歳と年齢を重ねる中で、実質的な退位へと進んでいくことは必須だと思います。
Q:英王室の王位継承はどうなっている?
現在の英国では、1701年の王位継承法の下で、王位はドイツのハノーバー選帝侯ソフィアとその直接の継承者に決まっています。プロテスタントである必要もあります。
その後、継承順位に関しての法改正が行われ、2013年、性別に関係なく最年長の子供が継承順位の上位につくことになりました。カトリック教徒と結婚しても、王位継承権の資格を失わないことにもなりました。
国王・女王が亡くなると、継承第1位の人に引き継がれる仕組みです。
Q:生前退位の例は?
1936年、エドワード8世が退位しました。イングランドを含む英国の王様で自発的に退位した唯一の人物です。
退位以外の形で退いたのが、1399年、プランタジネット朝の最後のイングランド王リチャード2世。宮廷闘争に敗れ、当時の諸侯や有力者の信頼を失って、ロンドン塔に幽閉された後、廃位されました。
1567年、スコットランド女王のメアリー1世はイングランド王位継承者であることを主張し、エリザベス1世(イングランド王)に処刑されています。
1688年、カトリックを信仰するイングランド王ジェームズ2世が名誉革命によって、王位を無効にされました。
現在、退位についての法律として、1936年の退位宣言法があります。この法律の下で、国王は退位の意向を公式に宣言する書面に署名します。複数の証人による署名を必要とします。その後で、議会がこの宣言を批准し、もはや国王ではないことを宣言するという流れです。エドワード8世の退位の際にできた法律です。
この法律を使った国王はエドワード8世のみです。
したがって、「もし」エリザベス女王が生前退位するなら、自分が宣言し、その後、議会が承認する形となるでしょう。
今のところ、生前退位の可能性は非常に低いですが、事実上、さまざまな公務が王室のほかのメンバーに移譲されると言った形で、女王亡き後の準備が進んでゆきそうです。
**「王冠をかけた恋」とは**
国王ジョージ5世(エリザベス女王の祖父にあたります)を引き継いだのは長男のエドワード8世でした。
「プリンス・チャーミング」(魅力いっぱいの王子」)というニックネームがついて、国民に人気がありました。キツネ狩りからゴルフ、ガーデニングなど幅広趣味を持ち、誰にでも気さくに話しかけたそうです。
米国人女性で英国人の夫を持つウオリス・シンプソン夫人(ベッシー・ウオリス・ウオーフィールド)との交際が始まると、人気に暗雲が立ち込めます。
交際が始まった1931年頃、夫人は既婚者で(離婚成立は1936年10月)、国王と既婚女性の情事について、当初英メディアは一切報道しませんでした。
離婚成立後の1936年11月、エドワード8世はボールドウィン首相に対し、夫人との結婚を望むこと、政府が反対をすれば王位を放棄すると言いました。
国王としては、国民が自分の側につくだろうと思っていたのですが、英メディアは一斉に批判しました。夫人が2回目の離婚経験者で、元夫がまだ存命中であったことで、結婚話を受け入れることができなかったのです。
首相から決断を迫られ、エドワード8世は12月10日、王位を放棄することを誓う書類に署名しました。
ウィンザー伯爵となったエドワード8世は、その後、BBCを通じて国民に事情を説明しました。国を取るか、愛する女性を取るのか?ウィンザー伯爵はシンプソン夫人との愛を選んだのです。
放送後、ウィンザー伯は車でポーツマスに行き、待っていた護送艦に乗って、シンプソン夫人がいるフランスに向かいました。
次の国王はエリザベス女王の父にあたるヨーク公アルバートで、ジョージ6世になりました。
途中で王冠を放棄したエドワード8世。エリザベス女王は自分は絶対にそうなるまい、最後まで国民のために人生をまっとうしようと心に決めたようです。
(参考:拙著「英国メディア史」中央公論新社)