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<ガンバ大阪・定期便49>2022シーズンのチーム、選手を支えたメディカルスタッフの戦い。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
長きにわたり選手の心と体に寄り添う榎本チームドクター。写真提供/ガンバ大阪

 開幕前のキャンプ中に膝の痛みを訴えた東口順昭にはじまって、J1リーグ3節・川崎フロンターレ戦でアキレス腱を断裂した宇佐美貴史など、ガンバの主軸というべき選手たちに長期離脱を強いられる大ケガが相次いだ2022シーズン。裏方として選手を支えたメディカルスタッフは、彼らと共にどんな戦いを繰り広げたのか。プロサッカー選手とは切っても切り離せないケガとの戦いに寄り添った榎本雄介チームドクターと、リハビリ過程を支えた田中雄太フィジオセラピスト(PT)に話を聞いた。

■長期の離脱を強いられるケガ人が相次いだ前半戦。

 J1リーグも佳境に差し掛かった、9月末。松田浩監督は31節・柏レイソル戦を前に、正念場の戦いに向けて、チーム状況についての手応えを口にしていた。

「今は部分合流の選手すらいなくなって、全員がフル合流できている。ベンチメンバーが足りないとか、選択肢が限られている状況ではないのは…監督としては大変ですが、チームとしてはいい状況だと思っています。実際、先発、ベンチ入りメンバーの選考は日替わりで変わっていると言っても過言ではないほど、毎日いろんなことを試せていて、本当に誰もが試合を戦える状況にあるのはすごく心強いです」

 ガンバに限らずともシーズン終盤、1年間に蓄積した疲労などの影響から、筋肉系のケガを患う選手が出てしまうことは決して珍しい話ではない。だが、今シーズンのガンバにそれはなく、むしろ終盤にかけて戦力に厚みを持たせながら正念場の戦いに向き合えたのは、残留を引き寄せるカギの1つだったと言っていい。榎本ドクターの言葉が証言する。

「今年は東口選手の右膝に始まって、宇佐美選手の右アキレス腱、福田湧矢選手の肩脱臼、山本悠樹選手の右膝の軟骨損傷、高尾瑠選手の打撲による重症筋内血腫、一森純選手の右手中指の関節脱臼など、残念ながら長期のリハビリを要する大ケガを負った選手が多かったので、どことなく『ケガ人が多いシーズンだった』という印象を抱かれる方も多いと思います。特にチームの顔というべき選手たちが長期離脱になってしまったことは余計にその印象を濃くしたかもしれません。ただ、小野瀬康介選手の盲腸も含め、彼らが負ったケガはいずれも、ある意味アクシデント的に起きたもので、肉離れなど日頃からのケアやメディカルチームのサポートなどによって予防できる筋肉系のケガではありませんでした。また、そうした長期離脱を強いられてしまった選手の復帰の過程を振り返っても…ケガの状態を踏まえ、どういう治療を選択すべきか悩んだ選手はいましたが、結果的に再発することなくシーズンを終えられました。それらを総合的に考えてもメディカルチームとしては復帰までのプランニングや選手とのコミュニケーション、その先のフィジカルコーチや監督との連携までを含めてスムーズに進んだ1年だったと感じています(榎本)」

 もっとも、4月の試合中に肉離れで長期離脱を強いられた倉田秋や、シーズン終盤、32節・横浜F・マリノス戦で軽めの肉離れを負ったパトリックなど、全くもって筋肉系のケガを負った選手がいなかったわけではない。ただ、シーズンを通してみれば明らかにその数は少なく、かつ、当初の予定よりリハビリが長引いたり、同箇所のケガを再発する選手がほぼいなかった事実は、間違いなくメディカルチームの連携の良さを示すものだった。

「どんなに普段からしっかりとケアをしていても、高強度を求められる競技だと考えれば、残念ながら筋肉系のケガは完全には防ぎきれないのも現実だと思います。ただ、疲労が顕著になっていく終盤戦にかけて、その数を最小限にとどめ、監督がより多くの(選手の)選択肢を持てる状況に持っていけたのはメディカルチームとしてはホッとする出来事でした(榎本)」

■メディカルチームの先頭に立つ榎本ドクターが感じた連携への手応え。

 そんなメディカルチームについて、榎本ドクターは「プロサッカー選手がF1カーなら、自分たちはピットクルー」だと表現する。F1レースではレース中、ホイールマンや給油係、ジャッキホルダーら、何人ものピットクルーメンバーがチームとしてドライバーの走行をサポートするように、ガンバのメディカルチームも各スタッフが連携を図りながら、限られた時間の中であらゆる手を尽くし、選手を良い状態にしてピッチに送り出すことを考えているからだ。

「プロサッカー選手はF1カーみたいなもの。だからこそ、僕たちメディカルスタッフには、故障した車を地域の工場に修理に出して『3週間後に取りに来てくださいね』という修理とは全く違う技術が求められます。もちろん、最初の診断において医学的なエビデンスというか、そのベースから外れることはありません。ただF1カーが仮に修理でピカピカの状態には戻らなくてもレースを走り続けられる方法を探るように、プロサッカー選手にも似たようなことが求められます。時間をかけてピカピカにしたところでレースが終わっていたら意味がないからです。だからこそ、ピットには何回入れて、タイヤは何を履くのか…つまり、どういう治療が必要で、どんなリハビリ過程が適しているのか、という戦略を立て、最終的に監督の選択肢に入れるように手を尽くす。そのためには、普段からドライバーともしっかりコミュニケーションを図っておくことも必要です。例えば『今日はこういうタイヤを履いているから、カーブを回るときには慎重に走らないとスピンするよ』というように。わかりやすくいうと、10月8日のマリノス戦で軽い肉離れを負ったパトリック選手。幸い、そこから翌節のホーム最終戦・ジュビロ磐田戦まで約3週間の時間があった中で受傷箇所を診てギリギリ、間に合わせられると結論を出しました。また監督からも『基本的には限られた時間でも起用したい』という意向を聞いていたので、それを前提にメディカルチームでリハビリのプランを立て、彼にも伝えました。結果、試合の行われた週の練習は合流できたものの、パト(パトリック)には、コンディションは高めながらもシュートは試合当日まで絶対に打たないように伝えてありました。シュートは一番、受傷箇所に負担をかけるため、再発のリスクが大きくなるからです。結果、彼も我々を信用してくれて練習ではシュートを1本も打たずに磐田戦を迎え、59分から出場してゴールを決めました。つまり、あのゴールが、彼にとっては受傷して以来、初めてのシュートでした(榎本)」

 もちろんこうした戦略を立てるのは、長期の離脱を強いられた選手も同じだ。先にも書いた通り、残念ながら今シーズンは東口に始まって2〜7ヶ月もの間、戦列を離れた選手も多かったが、だからこそ「選手には常に納得してリハビリを始めてもらうように心がけた」と榎本は言う。それが、復帰を近づける第一歩だからだ。

「選手それぞれに性格が違うので、伝え方は変えています。同じケガでも、この選手ならはっきりと伝えよう、とか、少し気持ちを上げるような伝え方をしよう、今の段階ではまだあまり多くを伝えないようにしよう、というように。宇佐美選手であれば、とても頭が良く、各所にセンサーがついているんじゃないかというくらい自分の体への理解も深いので、最初から細部までをしっかり説明し、納得してもらってリハビリを始めてもらいました。もちろん、どんな伝え方をしようと、先ほどお話しした通り、医学的なエビデンスから外れることはないですが、僕らがこれから提供しようと考えていることをできるだけ効率的に受けてもらうには、選手自身が納得してリハビリを始めることが大事だからです。ただリハビリ過程で気持ちの浮き沈みがあるのは当然で、特に今シーズンは長期離脱になる選手が多かったと考えても、リハビリの初期〜中期段階を支える田中PT以下、チーム合流直前の、ピッチレベルでのリハビリを支えるフィジカルコーチを含め、メディカルスタッフには気持ちのコントロールを含め、素晴らしいサポートをしていただいたと思っています(榎本)」

■初期〜中期のリハビリを支えた田中PTが心がけたこと。

 そんな榎本の言葉を証明するように、今シーズンはリハビリ中の選手の口から頻繁に田中PTの名前が聞かれた。チームで一番長い離脱を強いられた宇佐美にしても必然的にリハビリと向き合う時間が長かったのもあるが取材のたびに田中PTの名前を口にするほど信頼の深さを伺わせた。それに対し氏自身は、どんなことを心掛けて長期離脱を強いられた選手とのリハビリに向き合ったのだろうか。

「専門的な話をすると、フィジカルコーチに預けるにあたって『あとはサッカーの練習、試合に戻れる体力だけを上げてください』という状態にするのが僕の仕事です。ただし、時と場合によって、僕の手を早めに離れてフィジカルコーチのもとでコンディションを上げた方が最終的にいい状態で戦列復帰ができるな、と感じた場合は、ドクター含め、メディカルチームとコミュニケーションを図りながら選手の状態を見て微調整を行うことはあります。その過程では、長期のリハビリを必要とするケガを負った選手ほどチーム状況やスケジュール、成績に影響されすぎずに仕事をしようと心掛けていました。榎本ドクターから説明があった通り、彼らのほとんどが『チーム状況が大変だから』という理由で復帰時期を変えられる類のケガではなかったからです。実際、宇佐美選手にしても、リハビリをスタートする際の大きなプランはあったにせよ、ピッチに戻れることを現実的に想像したのは8月に入ってからでした。彼の場合、リハビリが進むにつれて、他の選手の反応も大きく…例えば、ボールを蹴っている姿を見て『もう戻れるんじゃないですか!』という声も数多く聞かれましたが、その度に僕自身は『周りの声に惑わされないぞ。そんなに楽観的ではダメだ』と自分に言い聞かせながら彼と向き合っていました(田中)」

過去、様々なカテゴリーを担当してきた経験も活かし仕事にあたる田中PT。写真提供/ガンバ大阪
過去、様々なカテゴリーを担当してきた経験も活かし仕事にあたる田中PT。写真提供/ガンバ大阪

 加えて、例え同じケガであっても選手それぞれ体の構造も、リハビリ過程で見せる反応も違うからこそ、少しの変化も見逃さないように日々選手の表情、言葉に耳を傾け、細部にまで目を行き届かせたと聞く。その一方で田中PT自身も、選手のプロフェッショナリズムから学ぶことも多かったそうだ。

「特に序盤に長期離脱になった東口選手や宇佐美選手、倉田選手のプロフェッショナルな姿勢に助けられることは多かったです。例えば、受傷した段階で、一番長い離脱が予想された宇佐美選手。彼は手術後、退院して初めてクラブハウスに来た日から『仕事だから(リハビリを)やらないという選択肢はない』と話していました。これは僕も全くの同意見というか…僕もサッカーが好きでこの仕事を始めましたが、とはいえお金をもらっている仕事ですから。人間なのでモチベーションの浮き沈みはあるかもしれないけど、ある意味、リハビリはモチベーションに関係なくやるべき仕事でもある。であればこそ、その言葉を聞いた時点で、この先彼に多くを伝えなくても、しっかりリハビリに向き合っていくだろうと確信しましたし、実際、彼には最後まで一度も頑張れとは言いませんでした。若い選手なら時にお尻を叩く、というか、厳しい言葉を口にしてリハビリに向かわせなければいけないこともありますが、ベテラン勢には全くその必要を感じなかったからです。その姿を見ていたからか、一緒にリハビリをすることになった若い選手もすごくポジティブにリハビリに向き合ってくれてすごく助かりました。というのも、リハビリってやっぱり本人の気持ちが一番大事で、本人が治ろうと思わないと、復帰しようと思わないと結局はうまくは進まないですから。そういう意味では、僕は『この時期にこれが出来るようになるには、今は何をしなきゃいけないよね』という整理をきちんとして、それを必要なタイミングでしっかり伝えていくことだけを心掛けていました(田中)」

■田中PTがリハビリの難しさを感じた選手とは。

 そうしてさまざまな選手のリハビリと向き合う上で「ケガの質からも難しかった」と振り返ったのが右膝の軟骨損傷を負った山本悠と宇佐美のリハビリだ。山本悠については最初の受傷の際、軟骨の剥離がMRIに映らなかったこともあり「痛みの原因にたどり着くまでに少し時間がかかってしまった(榎本ドクター)」のもあるが、そうして本質的な原因が明らかになるまでの過程も含め、より慎重にリハビリを進めたと田中PTは言う。

「山本選手が負ったケガは、サッカー選手に起きうるケガの中でも難しい症例でしたし、特に利き足の受傷でしたから。キックをストロングポイントにしていることからも、今だけを見てリハビリにあたってはいけないということは何度も自分にリマインドしていました。今年はプレーできたけど、来年はできないではダメだし、それを引きずったままプレーする確率を少しでも減らしたかったからです。もちろん、痛みは取れてもケガが全く消えてなくなったわけではないので100%大丈夫です、とは言い切れないですが、少なからず戦列に復帰してから痛みが再発することもなく、シーズン終盤までしっかり戦ってくれて胸をなでおろしました(田中)」

チームでもっとも長い離脱を強いられた宇佐美とのリハビリは半年以上に及んだ。写真提供/ガンバ大阪
チームでもっとも長い離脱を強いられた宇佐美とのリハビリは半年以上に及んだ。写真提供/ガンバ大阪

 また宇佐美については、田中PT自身、アキレス腱断裂からの復帰を目指すトップアスリートを担当するのが初めてだったことも重なって、いろんな症例を学びながらの毎日だったと振り返る。

「一般の方のアキレス腱断裂は見たことがあってもトップアスリートのそれは初めてで…メディカルスタッフの中でガンバで一番長く仕事をされている桝井周トレーナーですら『この20年くらいでアキレス腱を断裂した選手は初めて』だとおっしゃっていました。そういう意味では、僕だけじゃなくてメディカルスタッフの誰もがいろんなことに気を配ってサポートしていたんじゃないかと思います。もっとも、僕たちの仕事はあくまで選手が戦列に戻るためのサポートで、治したのは選手本人ですから。僕たちメディカルスタッフはリハビリ過程の一部を担ったに過ぎず、宇佐美選手のプレーヤーとしての能力がそれを達成させたんだとは思います。ただ、大きな後退もなくラスト4試合でピッチに戻れるだろうという見立てができる状態に持っていけて、結果的にその4試合をチームとしても負けなしで乗り切れたのは…僕らの仕事はアキレス腱が元通りになればOKではなく、宇佐美選手をトップアスリートの状態に戻すことだけに、僕を含め、メディカルスタッフ全員がホッとしたんじゃないかと思います(田中)」

 実際、田中PTは、宇佐美の復帰戦になったホームでの31節・柏戦を第四審判の後ろで見守ったと聞く。普段はロッカールームで仕事をしながらモニター観戦をすることが殆どだが「この時ばかりはじっとしていられなかった」と笑った。

「柏戦は、この仕事をしてきて一番緊張した瞬間でした。あの試合はいろんなことが重なって…彼の戦列復帰はもちろん、チームとしても前節のヴィッセル神戸戦でああいう負け方をして中断期間に入り、誰もが特別な危機感と共に過ごした上で迎えていましたから。また個人的にも、試合前にはホームで初めてガンバサポーターの皆さんの声を聞いて…しかも、最初に歌われたのが宇佐美選手のチャントでしたから。サポーターの皆さんの期待もすごく感じたからこそ、僕が緊張しても仕方がないのに、ずっとドキドキしながら試合を観ていました。もちろん、宇佐美選手に限らず、どの選手が復帰する時も、メディカルスタッフは自信を持ってピッチに送り出しているんですけど、復帰の瞬間だけは何回経験しても慣れないです。特に今回は、初めて関わったトップアスリートのアキレス腱断裂だったことも自分に特別な感情を生んでいたのかもしれません(田中)」

■メディカルスタッフの想いが通じたJ1残留。

 そんなふうに、ピッチに立つ選手、コーチングスタッフに限らず、裏方スタッフもいろんな思いと共にチームに寄り添い、選手の戦いを見守り続けた中で実現した今シーズンのJ1残留。そういえば、榎本ドクターは32節・横浜FM戦から最終節・鹿島アントラーズ戦まで一度も髭を剃らなかったと聞く。「マリノス戦前に何の気なしに髭を伸ばしたままにしていたら勝った」からだ。

「僕がプレーするわけではないので、僕ごときが髭を伸ばそうと、剃ろうと全く関係ないと思いますが(笑)、それでも必死に戦っている選手を近くで見てきたからこそ、ほんの少しでも何か力になれたら…という思いでした。僕自身が何かに縋りたかっただけかもしれませんが(榎本)」

 また田中PTも、鹿島戦はメンバー外になった選手たちと共に、普段は基本的に帯同しないアウェイの地に足を運びJ1残留を見届けていた。

「試合が終わった瞬間は、とにかくホッとしたという気持ちが一番でした。終盤戦は常に、目の前の1試合に勝つことだけに気持ちを向けていましたが(全試合が)終わってみて、少し一歩引いたところから見たら『よく最後の4試合を負けずに終えられたな』と。宇佐美選手が戻ってから一度も負けなかったのも…これはもう彼のプレーヤーとしての能力があってこそですけど、戦列復帰後もほぼ毎日、朝一番に彼の体をチェックし、足首をほぐすことから1日が始まって…そういう中で彼の残りの試合に懸ける思いを僕なりに受け取っていましたから。だからこそ、なんとか4試合、戦い抜ける状態にしなくちゃいけないと思いながら過ごしていたので残留できて本当にホッとしました(田中)」

2022シーズンを支えたスタッフ陣。それぞれの立場で、思いを込めて戦い抜いた。写真提供/ガンバ大阪
2022シーズンを支えたスタッフ陣。それぞれの立場で、思いを込めて戦い抜いた。写真提供/ガンバ大阪

 榎本ドクターや田中PTに限らずメディカルスタッフに取材をする際にはいつも感じることだが、彼らは選手のケガからの復帰について「ホッとした」「胸をなでおろした」とは言っても、「よかった」とは決して口にしない。

 それは純粋に、アスリートにとってケガから戻るという事実が「よかった」と思えることでは決してなく、ましてや、彼らが再び立とうとしているピッチがいかに過酷であるかを知っているからではないだろうか。どれだけ厳しいリハビリを乗り越えて戦列に戻ったとしても、彼らが立つのは再び、ケガと隣り合わせにあるピッチだ。そこにどんな思いで選手が戻っていくのか。リハビリの日々を通して、選手がそこに感じているであろう怖さも、懸ける思いも、手に取るようにわかるから簡単に「よかった」とは口にできないのだろう。

 だが、裏を返せば、そんなふうに気持ちに寄り添い、支えてくれるメディカルスタッフがいるから、選手はきっと、厳しい戦いの場に勇気を持って立ち向かっていける。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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