「整形できる?」“HY”の七光でデビューを迫られ絶望した彼女を救った一本の電話とは?
私、ガレッジセールのゴリこと照屋年之がディレクターを務めた「売れる法則なんてクソくらえ!」。同じ沖縄出身である歌手の平川美香さんに焦点を当てました。青ひげメイクに太眉を描き、変なおじさんの格好をして歌う美香。彼女は「汚れ」「歌を冒涜してる」と同業者から言われながらも、なぜそんな格好をして歌うのか。私は初めてのドキュメンタリー作品を彼女に決めた。
私は芸人として活動する傍ら、14年前から映画監督として制作を開始し、長編映画「洗骨」など、短編映画を含め13本の作品を作ってきました。本作ははじめてのドキュメンタリー制作で、被写体に平川美香を撮ろうと決めたいきさつは、初めて彼女と出会った時のインパクトにある。それはラジオのゲストに来てもらった時のこと。ラジオなのに彼女は「平川のおじさん」メイクで現れたのだ。太眉に青ひげ、頬を赤らめて釣り人の姿をしたおじさん。ラジオだから、そこまで頑張らなくていいのに・・・。インパクトを残して覚えてもらおうという気持ちが伝わった。その上トークも面白く人間的にも興味を惹かれた。歌えば歌唱力も問題なく、パワフルなゴスペル調の歌い方は彼女の魅力を引き立てた。しかし、これだけタレントとしてバイタリティーを持ち合わせていても、どこのプロダクションも引き受けてはくれない。デビューまで苦戦が続いたが、ようやく現在所属しているサンミュージックが受けいれてくれた。
彼女の人生は作り物のようにユニークだ。幼い頃から母親に「お前はブスだから」と言われ続けて育った「ブス育児法」。そこには、母親から「お前はブスだよ」という言葉をかけることで心無い人から容姿をからかわれることへの耐性をつけ、強く育って欲しいという親心があった。どう考えても無茶苦茶ですけど。でも、その正しいか分からない子育て法のおかげで彼女は自分の体形やビジュアルを笑い飛ばすたくましさを身につける。普通グレてもおかしくない「子育て法」をなぜ母親は実践したのか?その理由を母親は笑いを交えながら話してくれた。そこには母親自身が幼い頃から抱えてきたトラウマが見え隠れし、その話もまた泣けてくる。
そんな母のもとで育ち、歌手になりたい美香・・・。実はいとこに沖縄出身の人気バンド「HY」のメンバーが二人もいる。いとこでありバンドのキーボード兼ボーカル担当の仲宗根泉、ドラム兼ラップ担当の名嘉俊とは、小さい頃から親交を深めてきた。それが時には強みとなり、逆に足かせになる時もある。オーディションに落ち続けて心が弱り、デビューを諦めかけそうになった時のこと。やっとレコード会社のオーディションに合格し、デビューのチャンスが巡ってきた。しかし、そのデビューに関して一つの条件が突きつけられる。それは「HYのいとこ」という売り文句で世に売り出していくこと。悩んだ美香にHYボーカルの泉は「そんなデビューは平川美香本人を見ていない。お前は力がある。自分で這い上がってこい」という助言を送った。美香は自分の実力で勝負するという決意とともに、その条件は飲めないとレコード会社に伝えた。すると、「その交換条件が飲めないのならデビューの話はなかったことにしたい」と突っぱねられる。自分とはなんなのか?必要に値しない人間なのか?答えの出ない問いを抱えながら失意の日々を送った。
ついに歌を諦め沖縄に帰る事を決意した美香。するとそこへ一本の電話が鳴った。「美香の歌が聞きたい・・・」病気で苦しんでいる友人からの電話だった。電話越しでその友人のためだけに歌った出来事が、「歌が持つ力」や「歌うことの素晴らしさ」を改めて気づかせることとなる。「美香の歌を届けて欲しい。」その友人の言葉に美香の心は大きく動いた。もう手段は選ばない。売れる法則なんて気にしない。彼女は「目立つこと」から始めていく。平川のおじさんメイクは同業者から批判の声も上がった。「ヨゴレだ」「歌を冒涜してる」「お前と一緒のライブはやりづらい」など。しかし彼女は自分を信じ、自分の道を進みだした、今までにない方法で・・・。
今後、彼女がどうなるのか?この映像をとおして、より多くの人に彼女の歌が届いて欲しい。最近歳をとって腰が重くなった私も、気持ちを切り替え、美香のように、今までのルールなど気にせず「やりたい事をやる」。そんな人生を送りたい。
※作中に登場するHYの歌詞は一部変更して掲載しています。
クレジット
ディレクター・撮影・ナレーション:照屋年之(ガレッジセール・ゴリ)
編集:中里耕介
コーディネーター:高畠晶
出演:平川美香
平川みどり
平川美香さんのご友人とお母さま
協力:仲宗根泉(HY)
ゆいま~る食堂 三軒茶屋店
沖縄料理 居酒や こだま