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国民の主権者意識が問われている

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

昨年暮れの衆院選挙の小選挙区の区割りについて、最高裁が「違憲状態」とする判決を出した。

判決文を読んでみて、その腰が引けた「へたれ」ぶりに大いに落胆を覚えた。

最高裁判決について記者会見する升永弁護士グループ
最高裁判決について記者会見する升永弁護士グループ

この選挙については、16の高裁判決が出ているが、14が「違憲違法」としており、うち2つが選挙の「無効」にまで踏み込んだ。前回の最高裁判決で「違憲状態」とした選挙区割の問題を放置し、格差が是正されないまま総選挙が行うことになった国会の怠慢を厳しく指弾したのだ。

それに比べると、最高裁で「違憲」と断じたのは3裁判官のみ。その結論においても、内容においても、高裁判決に比べ、実に後退したものだった。

腰の引けた最高裁判決

今回の最高裁判決を一読して感じるのは、国会に対する配慮、遠慮、気の使いようだ。

確かに、「司法権と立法権の関係」に言及し、司法が違憲判断をした時には、「国会はこれを受けて是正を行う責務を負う」と書いてはいる。先般、婚外子差別訴訟で、最高裁が戦後(やっと)9つ目の違憲判決を出した後、自民党の議員らが民法改正に抵抗し、最高裁判決は間違っているから従う必要はない、と公言したことを意識しているのだろう。

ところが、その後からすさまじいほどの国会への気遣いが展開される。まず、前回の最高裁判決(2011年3月23日)で問題を指摘されたのにもかかわらず、国会が格差是正の取り組みをさぼっていたことについて、選挙区割りの改定は「多くの議員の身分にも直接関わる事柄であり」「国会における合意の形成が容易な事柄ではないといわざるを得ない」と、寛容な姿勢を見せた。そして、定数削減や選挙制度の抜本的改革も議論の対象としていたので、難しかったということも「否定しがたい」と、議論の遅延に理解を示す。さらに、選挙直前に「是正の実現に向けた一定の前進と評価し得る法改正が成立に至っていた」と持ち上げてみせるのだ。

0増5減の改正では「構造的な問題が最終的に解決されているとはいえない」と指摘はしているが、直後に「しかしながら」と続けてこう述べる。

「この問題への対応や合意の形成に様々な困難が伴うことを踏まえ、新区画設置法3条の趣旨に沿った選挙制度の整備については、今回のような漸次的な見直しを重ねることによってこれを実現していくことも、国会の裁量に係る現実的な選択として許容されているところと解される」

こんな風に、判決文中の至る所に、国会、

要塞のような最高裁
要塞のような最高裁

巨大与党への配慮がちりばめられている。

なぜ、1人0.5票でいいのか

一方、国民に対する対応は、実に冷淡なものだ。

今回の裁判で、升永英俊弁護士のグループは、概ね次のような主張を行ってきた。

憲法では、国会の議事は国会議員の多数決で決める、としている。一方で憲法は、憲法は主権者である国民が「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」すると謳っている。国会での多数決が正当性を持つためには、一人ひとりの議員が同じ数の国民を代表していなければならない。ところが現状は、半数に満たない国民が過半数の国会議員を選んでいる。これでは、国民主権とはいえず、”国会議員主権”の状態だ。一人ひとりの議員が同じ数の国民を代表するためには、どこの選挙区に住んでいても、1票の投票価値は等しくあるべき。人口比例の選挙は、主権者たる国民の多数が、国会議員の多数となるするための”一括変換ソフト”のようなもの。選挙区によって投票価値が異なるのは、住所による差別だ。

この問題提起に対して、最高裁判決の多数意見は何も論評しない。批判もせず、無視を決め込んだ。

唯一、弁護士出身の鬼丸かおる判事だけが、「できる限り投票価値を1対1に近づけるべき」とする意見を披瀝し、当初からこの理念を放棄し、格差2倍未満にするという目標を明記した衆議院区画審設置法について、「憲法上の要請に合致するものとはいえない」と批判した。

一方、それ以外の裁判官は、この区画審設置法を「一定の前進と評価」するなど、格差が2倍までならOKというメッセージを、判決文の中で繰り返し発している。

そのメッセージを受け取った政権与党は満足げだ。自民党の細田博之幹事長代行は、判決言い渡しの夕方、「読めば読むほど味の出る良い判決だ」と記者団に笑みを浮かべてみせ、次のように判決を解説してみせた。

「憲法違反ではないが、一票の格差が2倍を超えないように注意しろということだ」

2倍までならOKということは、ある選挙区に比べて半分の投票価値しかない地域に住んでいる人たちは、半人前の権利しかなくてもガマンしろということだ。

これが、地域間格差ではなく、年齢などその他の理由による差別だったら、どうだろうか。たとえば、20代30代の人たちは、まだ社会への貢献が少ないから、それ以上の年齢の人たちに比べて半分の投票価値しかないとされたらどうだろう。あるいは、税金を多く払っている人を厚遇すべきだと、年収2000万円以上の人には2票与えたり、300万以下は2回に1回しか投票できないとなったらどうか。逆に、少数派である若い人たちには2票与えよとか、貧困層に2票与えよ、という考え方もあるだろう。子どものいる世帯を厚遇しろという意見もあるかもしれない。それに賛同する人もいるが、とても多くの人の賛同は得られないだろう。

なのに、地域間差別だけは許されている。地方の声を国会に届けるためにはこうした差別は仕方がないという人がいるが、国会で審議されることの多くは、この国全体の問題である。たとえば、今問題になっている特定秘密保護法案を議論するのに、なぜ地方の声を2倍組み入れなければならないのか。それに、そもそも地方の間でも、まったく根拠のない格差がついているのが現状である。

それでも2倍の格差は甘受しろというなら、最高裁は国民に対し、その理由を憲法に照らして説明すべきだ。それをせずに結論だけを国民に押しつけているのは、最高裁判事としての責務を放棄していると言えるのではないか。裁判官は、合理的な説明ができないから、逃げているだけではないか。

主権者意識はあるか

こういう対応で済ませているのは、どうせ国民はこの問題にそれほど関心を持っていないだろうし、持っていたとしても何もしないと、裁判官たちが高をくくっているからでもあるだろう。

記者会見で裁判の異議を語る升永英俊弁護士
記者会見で裁判の異議を語る升永英俊弁護士

これは、国民の側にも責任はあると思う。国から半人前扱いされているのに、多くの人は怒らない。国民審査では、大半の人が何も書かずに信任票を投じる。こんな状況だから、裁判官が国民の目を意識することもなく、舐めてかかっているのではないか。

最高裁判決を受けた記者会見で、升永弁護士はこう述べた。

「この裁判は、日本人が主権者意識を持つための運動だと思っている。国民に主権者意識がなければ、民主主義国家とは言えない」

主権者としての国民の権利がないがしろにされている。それを最高裁が許している。このことに、私たち国民はもっと怒るべきなのではないだろうか。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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