「欲ばり」な学校教育を続けるのか 平成の教育史を振り返る
■22世紀まで生きる子どもたち
「人生100年時代」と盛んに言われるようになった。リンダ・グラットン教授(ロンドン・ビジネススクール)らがベストセラー『LIFE SHIFT』(2016年、東洋経済新報社)の冒頭で、「2007年生まれの日本の子どもの半数が107歳まで生きる可能性がある」という推計を引用したことが発端のようだ。
正直この推計が当たるかどうかはぼくにはわからないし、検証するころには、誰もこんな未来予測があったことなど覚えちゃいないと思うが、これからの教育や子育てを考えるうえでは、いい材料のひとつになる。
いま目の前の小学生や中高生たちは、22世紀まで生きるかもしれないというのだから。
ここで、みなさんにクエスチョン。いまから90年、100年と生きていく(かもしれない)子どもたちは、いまのうちから、どんな力(少しカタイ言葉としては資質・能力)を蓄えておくと、あるいは伸ばしていくとよいだろうか。
■変わらない理念
ヒントになる、ある提言書がある。一部を引用しよう。(読みやすさのため、箇条書きに変更している。)
- 子どもの自己努力と経験に基づく自発的な成長に期待しつつ,必要な基礎・基本をしっかりと教えることを教育の基本に据えていかなければならない。
- 従来の教育においては,個人の尊厳,個性の尊重,自主的精神の涵養が必ずしも十分ではなく,(中略)これからの教育は,「自由・自律の精神」,すなわち,自ら思考し,判断し,決断し,責任を取ることのできる主体的能力,意欲,態度等を育成しなければならない。
- 社会の変化に積極的かつ柔軟に対応していくために,(中略)とくに必要とされる資質,能力として,「創造性・考える力・表現力」の育成が重要である。
- これまでの教育は,どちらかといえば(中略)詰め込み教育という傾向があったが,これからの社会においては,知識・情報を単に獲得するだけではなく,それを適切に使いこなし,自分で考え,創造し,表現する能力が一層重視されなければならない。
この内容に、共感される方は、多いのではないだろうか。ぼくもそのひとりだ。子どもの教育にとどまらず、新入社員や部下の育成に苦労されているビジネスパーソンらも、日頃そう感じることは多いことだろう。指示待ちではなく自ら考えて行動してほしい、社会の変化に柔軟に対応していかなくてはならない、創造性が大事だ、などなど。確かにその通りというところは多い。
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実は、この提言、1987年、昭和62年8月に臨時教育審議会(臨教審)という首相直属の審議会が出した最終答申である(当時は中曽根内閣)。
なんと、平成が始まる少し前、いまから30年以上も前のものであるが、ためしに来年の4月1日にこの文書が出されたとウソをついても、多くの人は信じてしまうのではないか。
臨教審は、平成の教育改革に大きな影響を与えた。平成に改元されて間もない、元年3月のこと、小中高の学習指導要領が大きく改訂されたが、そこにも強く反映されている。「ミスター文部省」と呼ばれ、平成前半の教育改革のキーパーソンだった元文部官僚の寺脇研氏は、平成の教育政策は「全ては臨教審から始まった」と回想している。
ここから何がわかるか、感じ取れるか。
平成30年あまりを通じて、教育の理念はさほど大きくは変化していない、ということである。
■平成の終わりに、平成のはじめに戻る
平成の学習指導要領の主な変遷をたどると、次の図1のようになる。
図1 平成の学習指導要領の主な変遷と内容
指導要領はおおよそ10年ごとに改訂されるたびに「新しい学力観」、「生きる力」、最近の「アクティブ・ラーニング」などの言葉が用いられてきたが、ネーミングのちがいや重点を置く部分のビミョウなちがいはあれど、そこに通底する理念は臨教審の答申とほとんど変わっていない。
要するに、自ら考える力や創造性、そしてそれらの土台となる基礎的な学力が大事だということは、繰り返し言われ続けてきたわけだ。
だが、年間標準授業時数(何時間以上は授業をしてくださいねと国が定めたもの。注1)は平成10年改訂で大きく減ったかと思えば、平成20年以降、増えている。
ついには、今般の新しい指導要領(2020年度~)では、小学校について、平成元年改訂と同じ時数に戻ったかたちだ。
注1)標準時数は、病気や災害などでの学級閉鎖などがない限り、下回ることは想定されていない制度である。最近では、明石市の公立中学校で標準時数を下回った運用が長年なされてきたこと、しかも、ある中学校から教育委員会等へ虚偽報告があったことが報じられている(朝日新聞2019年4月11日)。
■診断なき改革病
こうした平成の教育史を振り返ってみれば、「理念は同じでも、それに近づくための手段、戦略は右往左往した」とも見える。
苅谷剛彦教授(当時・東京大学、現・オックスフォード大学)は平成14(2002)年に『教育改革の幻想』という著書のなかで、こう述べている。
苅谷氏の指摘は、これ以降、平成の後半にも強く当てはまっていく。
「PISAショック」という言葉を思い出す方もいるだろう。高校1年生を対象としたOECDの国際学習到達度調査(PISA)で、平成15(2003)年と18(2006)年に日本の読解力等の順位が落ちたことで、学力低下したと、いわゆる「ゆとり教育」に対する社会的な批判が高まった。
少し冷静になると、日本より上位の国と統計的な有意な差がどれほどあったのかや、そもそもテストへの参加国・地域が増えた影響なども考えなければならなかったのだが(注2)、メディア等では順位だけがクローズアップされてしまった。国際的には、これだけの人口規模(ないし児童生徒数)を抱えながらも常に学力トップ圏にいる日本への評価は高いのだが(注3)、“ガラパゴス”化した日本の教育界は、「学力低下の呪縛」に囚われてしまった。
注2)読解力については2000年の8位(32カ国中)のときから批判があり、2003年に14位(41カ国中)、2006年に15位(57カ国中)と低下したことでさらに問題視された。数学的リテラシーについては、2000年1位→2003年6位→2006年10位と順位は低下したが、2003年は上位とは統計的有意差がなく1位グループと認定されていた。
注3)例えば、OECDの日本の教育政策に対する2018年のレポートでは「長年にわたる国際比較評価でも示されているように、日本の教育制度は高い成果を生み出しています。」と述べられている。
http://www.oecd.org/education/Japan-BB2030-Highlights-Japanese.pdf
学力低下と認識されては厳しい非難にさらされるという恐怖心は、平成の後半から今日にかけて、文科省や政治家を強く支配してきた、と感じる。
つまり、多少ネーミングは変えつつも、「教育改革が必要だ」と30年余言い続けてきたわけだが、入念な事実確認や検証を経てそうなったというよりは、イメージや思い込みで走ってきたのではないか。
医者にたとえるなら、大して診断もせず、どこかが悪いにちがいないと思い込んで、手術を繰り返すようなもので、危険きわまりない。
現に、平成19(2007)年から始まった全国学力・学習状況調査は、ぼくが知るかぎり、教育委員会や学校の先生の多くには非常に不評であるし、問題も多いが(注3)、12年以上続いたままである。2020年から小学校で全面実施となる学習指導要領の内容を検討した審議は、「学習内容の削減はしない」ということが当初から既定路線で進められた。その功罪を入念に検討されないまま。(注4)。
注3)問題点はたくさんあるが、最大のもののひとつは毎年テストを受ける児童生徒が変わるので、経年変化を追えないことであろう。また、都道府県別などの順位に関心が高まり、順位や平均得点率といった限られた指標のみが過度に評価される傾向にある。さらに、年度はじめの最も忙しく、かつ学級づくりなどで一番貴重な4月に実施するが、結果の返却は7月以降というタイムラグが大きいため、教師が採点等をして負担増となっている地域、学校もある。
注4)毎日新聞2017年2月14日を参照。「『ゆとり教育』を進めた結果『学力低下を招いた』と強く批判された文科省。トラウマは消えていない」とも述べられている。
■「欲ばり」な学校教育をいつまで続けるのか
もうひとつ思い出していただきたい、平成の大きな出来事が、平成14(2002)年度から導入された学校週5日制である。
平成10(1998)年改訂の学習指導要領は、教育内容を約3割削減したが、この指導要領の全面実施も平成14年度からだった。つまり、授業できるのが週1日減るのだから、教科書の内容だって精選しましょうね、ということだった。だが、これが「ゆとり教育」として世論の大きな反発を招いたのは、前述のとおりだ。
ここ最近、多くの人が知ることとなったが、教師の長時間労働は深刻化している。様々な背景、要因があるが、授業時数の増加の影響も大きい。現状でも毎日のように6時間授業で、子どもたちも教師もキツキツな状態が続いているし、2020年度以降の小学校は一層そうなりそうだ。週休2日でなかった時代と同じ時数を週5日でこなそうとするのだから、当たり前の話である。
図2は、横浜市の資料で、小学校の時間割の変遷をイメージしたもの。一部の教科は別の教師が担当する例もあるが(音楽専科など)、ほとんどの時間を各学級担任が担っている。しかも、採用1年目の新人や教員採用試験に受からなかった講師であっても。
図2 小学校の時間割の変化
子どもたちに伸ばしたい力として、主体性や創造性が大事だと、ここ30年以上言っておきながら、学校現場、教師には、どんどん、“ゆとり”はなくなってきているし、「トイレに行く暇もない」という声すら多い。
愛知教育大学等の調査(2015年実施、注5)によると、仕事の悩みとして「授業の準備をする時間が足りない」と答えた教師は、小学校94.5%、中学校84.4%、高校77.8%、「仕事に追われて生活のゆとりがない」という教師も、小学校76.6%、中学校75.3%、高校67.7%に上る。
注5)愛知教育大学・北海道教育大学・東京学芸大学・大阪教育大学(2016)『教員の仕事と意識に関する調査』。これは、全国の小学校教員1,482人、中学校教員1,753人、高校教員2,138人を対象にした比較的大規模な調査である(管理職は対象外)。
教師の主体性や創造性が育まれる時間や機会を減らして、どうして子どもたちのそうした力が伸びる教育が広がると言うのか。
107歳までという冒頭の未来予測は楽観的だが、22世紀まで生きる子どもたちに真に必要な力が育っているかどうかは、楽観視できない。
しかも、日本の教師は授業だけやっておけばよいのではない。授業以外の仕事も増加傾向にある。
●授業時数は減らさない。
●主体的で深い学びになるよう質は上げよ。
●教科指導以外の仕事、生徒指導や部活動指導、進路指導も、教師がしっかりせよ。
●悩み多い保護者等からの相談を軽くあしらうのもNG。
●学校の安全管理、事故防止、危機管理は徹底せよ。
●いじめ対策、児童虐待のサイン等にはこれまで以上に気をつけろ。
などなど。平成を通じて、学校、教師に対して、ぼくたちはずっと「欲ばり」でいたし、とりわけ新指導要領のもと、その傾向は一層強まっている。
「これじゃあ、持続可能じゃないよね」ということで、学校の働き方改革も急ピッチで進めようとしている矢先ではあるが、そこであがっているものだけで簡単に解決するほど、ここ約30年の歴史は軽くない。
このまま「欲ばり」なままで本当にいいのか、平成の教育がたどってきたことをしっかりと振り返りながら、いまこそ、考えたい。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】
(参考文献)
・日本児童教育振興財団(2016)『学校教育の戦後70年史』小学館
・小針誠(2018)『アクティブラーニング』講談社
・臨時教育審議会「教育改革に関する第4次答申」
https://www.niye.go.jp/youth/book/files/items/912/File/yojitooshin.pdf
・苅谷剛彦(2002)『教育改革の幻想』筑摩書房
・寺脇研「寺脇研の平成の教育30年史」教育新聞記事(2019年3月7日~4月18日)
・妹尾昌俊(2015)『変わる学校、変わらない学校』学事出版
・妹尾昌俊(2017)『「先生が忙しすぎる」をあきらめない―半径3mからの本気の学校改善』教育開発研究所