甲子園の高校野球が自由席である必要はあるのか?
100年目の高校野球が終わった。決勝戦が行われたこの日、東京は気温がグっと下がり、その意味でも夏の終わりも感じさせた。今大会はスター選手の活躍が目立ったが、一方ネットでは一部常連ファンの強引な席確保が大きな話題となったようだ。そのこと自体に触れる気はないが、「席取りのモラルが問われる事態となった背景」を考えて見たいと思う。
この問題の根本原因は実にシンプルである。甲子園での高校野球は無料の外野席を除き、原則として自由席だということだ。
どこに座ろうが自由であるなら、なるべく良い席で見たいのが人情だ(個人的には、今回問題となったネット裏最前列が観戦にベストな位置だとは思えないが)。だから、開門と同時にダッシュする必要がある。そして、ダッシュ以前に予め列の先頭で並んでいることが重要になってくる。
しかし、そもそもなぜ自由席なのだろう。一般的に、有料の興業において自由席が設定される理由は、1.会場のキャパシティに対し期待される観客数が少なく、「指定席とする意味がない」、または、2.営業政策上、廉価な金額設定の席を用意する必要があり、高価な席との価格差を正当化するために「席の位置が確保されていない」といういわばディスアドバンテージを設定する必要がある、ということだろう。
これを、現在の甲子園での高校野球に当てはめると、1.に関しては、常時満員という訳ではないが瞬間的にはそのような事態が発生している、また、一部の席(今回議論になっているネット裏最前列)では、需給バランスが需要過多になっている。→したがって、自由席としている意義はない。また、2.に関しては、ボックス席などの一部の例外を除き指定席自体の設定が無いため、その理由がない、となる。
それでも、甲子園が無料の外野を除き自由席なのは、1日のなかで観客の入れ替わりが激しい(1日の全試合を観戦するのは、ごく一部のファンである)、ということ、外野が無料なので、特等席ですら有料である限り自由席であっても、球場内の席のヒエラルキーは最低限保たれているということ、「高校野球は営利目的の興業ではありませんよ」というタテマエを正当化するためだろう。
しかし、これらのいずれも「指定席化すると大きな問題となる」ということでもない。おそらく、近い将来、まずはその一部からでも指定席化が行われるのではないか。また、そうあるべきだろう。