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【河内長野市】残り福も長野神社の戎で商売繁盛!平日昼でも賑やかな理由の裏には徳川家康が関係していた?

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

例えばのことですが、寿司を食べるときに好きなネタを先に食べる事もあれば、逆に好きだから最後に取っておきたいっていうときがありますよね。

「えべっさん」こと関西恒例の十日えびすにも、今日11日は「残り福」ということで、最終日に福を取っておこうという日があり、今日までえびす神のお祭りを行っている神社があります。

例えば河内長野市内で11日の残り福をしているところを探すと、画像にあるように西代神社の西代戎もあります。

しかし、ネットで検索すると、河内長野のえびすといえば長野神社の長野戎(ながのえびす)と出てきます。そして逆に長野神社を検索すると「長野神社(長野戎)」として表示されるくらい有名なんです。

昨年は成人の日に重なった日にお参りしたため、長野神社境内が大混雑だったのを経験しました。さて平日である今年はどうなのでしょう。十日えびす当日の昼間の様子を見てきました。

河内長野駅前から高野街道への入口です。もうこの時点で屋台があり、交通規制がなされていました。

ちょうど学校が終わった時間だったようで、子供たちがたくさん遊びに来ていました。

9日と10日は長野神社のすぐ近くにある天野酒さんで、栗入り酒饅頭と酒粕を販売しています。ところが私が到着した時には、すでに酒饅頭は売り切れていました。

そのくらい多くの人が長野神社に来たからということがわかります。

ということで、神社の境内に入ってみましょう。

境内にも多くの屋台が並んでいますね。その数の多さも圧巻ですが、私が特に長野神社のえびすで凄いと思ったのは、的屋さんの出店の屋台の多さです。

私の知っている限りですが、長野神社の長野戎が特に出店の数が多い気がします。

金魚すくいもあります。

こちらはヨーヨー釣りですね。

どこか昭和レトロを思わせる懐かしい的屋さんの屋台の雰囲気が味わえるのも、人気の秘訣なのかもしれません。

ということで一段上がりました。こちらの重要文化財に指定されている本殿には行列ができていて、順番に参拝しています。

しかし、こちらにえびす神が祀られているわけではありません。

本殿の横にあるこちらがえびす神を祀っている社になります。昨年もですが、こちらはあまり多くの人が参拝していない様子。不思議ですね。

十日えびすらしい福娘の人たちの姿もありました。

こちらは縁起物の数々。

大きいですね。商店か企業用でしょうか?

こういう縁起物はひとつあたりも結構なお値段しますが、それが7個2000円というのですからこれは大変お得です。

こちらのおみくじは鯛をかたどったものですね。

神の姿を写したお札であるおみえ(御神)や茅の輪もあります。

人が多くて狭いのとすぐ近くに重要文化財の建物があるからでしょうか?たき火ではなくストーブが置いてありました。この時間は火がついていないようでしたが、お昼に来たためか無くても問題ありません。

企業やお店の寄付のようです。河内長野の有名どころがそろい踏みですね。

福引の抽選が出来るようになっています。

本殿から一段下がったところに抽選場があります。

トップのエビス賞は電動自転車が貰えるようです。坂道の多い河内長野ですが電動自転車であれば苦労することなく移動できるので重宝しますね。

というわけで、平日にもかわからず賑やかな長野神社の長野戎を紹介しました。それにしても不思議なのは、長野神社そのものは戎神社でもないのに、どうしてここまで十日えびすが古くから有名で、特に賑やかなのかという点です。

普段の長野神社内にある戎社
普段の長野神社内にある戎社

長野神社は、今宮戎などのようにえびす神そのものを祀っている神社ではありません。重要文化財の本殿に祀られている主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。

本当にえびす神を祀っているのは、多くの人が気づいていないこちらのえびす社です。こちらでは出雲系で今宮戎と同じ事代主大神(ことしろぬしおおかみ)を祀っています。

長野神社の初詣もここまで賑やかではなかったのに、えびす神だけなぜここまで賑やかなのか疑問に思いました。ここで、十日えびすが関西が中心に行われている元々の背景として、江戸時代にえびす神を拝みながら影では豊臣秀吉を拝んでいたという説を思い出しました。

烏帽子形城
烏帽子形城

そして長野神社の周辺でここまで賑やかなのは、ふたつの高野街道の合流点で、鎌倉時代から木屋堂の宮(こやどうのみや:現、長野神社)があり、周辺が賑わった地域です。それに加えて、徳川家康への憎悪が特に多かったのではという気がしたのです。

そのひとつは烏帽子形城です。大阪ミュージアム(外部リンク)の投稿の一部を引用します。これを見ると小牧・長久手の戦いで徳川家康側が金剛山山頂にある国見城を守らせたので、それに対抗するために豊臣秀吉が烏帽子形城を改修させたとあります。

天正12年(1584年)豊臣秀吉が徳川家康・織田信雄と戦った、小牧・長久手の戦いの時、徳川家康・織田信雄が、国見城を安田久右衛門に護らせたのに対して、豊臣秀吉軍は、岸和田城主中村孫平次に命じて、烏帽子形城を修復させています。その結果、中世の城で在った烏帽子形城は、当時の最高の城(鉄砲に対する空堀等の改造)に生まれ代わっています。

そのほか烏帽子形城下にあったキリシタンの勢力も、秀吉の伴天連(バテレン)追放令で下火になりましたが、その後もキリシタン大名の小西行長の存在があるなど、完全にキリスト教が無くなったわけではありません。

キリスト教が本格的に弾圧されたのは徳川家康のキリシタン禁制からで、高山右近がフィリピンに追放され、踏み絵など登場していよいよ厳しい状況になります。秀吉よりも過酷だったわけですね。

そのような背景から、烏帽子形城周辺の人たちは家康に対する対抗心や憎悪が多かった可能性があり、それが長野神社から比較的近い場所。

参考、九度山・真田ミュージアム
参考、九度山・真田ミュージアム

また高野街道の分岐点近くにあった長野神社の場合、関ヶ原の戦いで破れ、九度山に追放・幽閉された真田幸村の親子の存在も大きいのではないでしょうか。

真田親子は、大坂の陣で豊臣方につくために監視の目を盗んで深夜に脱走します。和歌山県九度山にある真田ミュージアムでは、村人たちと前の日に宴会をして油断させたとありますが、村人たちはそのことを承知のうえで別れを惜しんだというような事が説明されていました。

九度山から見える北の山を越えた反対側が河内長野
九度山から見える北の山を越えた反対側が河内長野

真田幸村は九度山から大坂城に向かう際に、通説では高野街道を紀見峠を越えて現在の河内長野市内に入り、長野神社のすぐそばを通過、そこから西高野街道や中高野街道を経て大坂城に向かいました。

河内長野市観光協会の情報によれば、2016(平成28)年には『奥河内到着!楠木正成の戦術を学び、徳川撃退の秘策を考案』(外部リンク)というガイドウォークが河内長野市内で行われていたようです。

九度山から脱出した真田幸村が移動中に楠木正成の戦術を学んだとは思えませんが、大坂城では徳川の大軍を相手にするので、河内長野市内通過時に意識した可能性はありえますね。

実際に河内長野の文化を追いかけると、山の反対側である和歌山との接点を多く感じます。九度山との距離は今でも南海高野線を使えばすぐに行けます。

九度山に幽閉されていた真田幸村親子は村人からたいへん愛されていたようなので、比較的近い河内長野に住んでいた当時の人たちも真田親子びいきだった可能性が高く、大坂城を攻撃する徳川家康を憎んだとは考えられないでしょうか。

そういった仮説から、えびすを拝みながら裏で秀吉を拝んだという十日えびすが、この長野神社で古くから盛んだった可能性も考えられるということにつながりました。

また、現在の長野神社の宮司さんが、宮司になる前には今宮戎神社で奉仕をしていたという情報がありました。今宮戎と同じ事代主(ことしろぬし)系のえびす神を祀っているので、今宮戎とのつながりの深さも、長野戎が賑やかな理由のひとつのような気がします。

余談ですが、現在の宮司さんの一族は皇族方とも比較的近い血筋という情報もありました。

これ以上詳しく書くと完全に逸脱するのでこれ以上触れませんが、仮にそうだったとしたら、河内長野にはまたすごい人がいると思いましたし、そんな宮司さんが奉仕をしている神社に参拝すれば商売繁盛しそうな気がしました。

最後は余談が多くなってしまいましたが、今日は17時まで行われる長野神社の残り福えびすです。的屋さんの雰囲気も独特で本当に楽しい場所、時間が許せば顔を出してみてはいかがでしょうか。

長野神社(長野戎神社)
住所:大阪府河内長野市長野町8-19
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩2分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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