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「凸版印刷」で精神疾患の労災認定 「残業したから懲戒」という不可解な論理

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:イメージマート)

労災認定の理由の一つは、「差別的」で「不合理」な懲戒処分だった

 印刷業界最大手「凸版印刷株式会社」で、精神疾患の労災認定が判明した。2021年2月上旬、40代の正社員女性Aさんが重度ストレス反応および適応障害を発症したことが、昨年4月に中央労働基準監督署によって、業務による発病と認められたのだ。Aさんは約1年半の休職期間を経て、現在は復職しているという。Aさんの労働環境の改善を求める労働組合「総合サポートユニオン」が明らかにした。

 本件で労災が判断された理由としては、厚労省が精神疾患の労災認定の基準と定めている項目のうち、(1)「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」、(2)「2週間以上にわたって連続勤務を行った」、(3)「仕事上の差別、不利益取扱いを受けた」に該当する出来事があったという。具体的にはどのような内容だろうか。

 筆者は今回の事件について、同ユニオン、凸版印刷への取材に加え、中央労基署の資料を確認した。労災の根拠となった出来事は複数あるのだが、本記事ではそこから浮かび上がった、以下の「異様な」経緯に注目したい。

 Aさんは当時、やむを得ない事情により、自宅勤務中に長時間の残業をしていた。しかし、自宅での残業は上司から強く止められていたため、Aさんはその勤怠記録をつけず、残業代も請求しなかった。すると、凸版印刷は、「虚偽の申請を行った」「不当な反抗で職場秩序を乱そうとした」として、なんとAさんの懲戒処分を決定したのである。

 懲戒の事由はほかにも挙げられていたが、中央労基署はこの一連のAさんに対する懲戒について、上記の(3)「仕事上の差別、不利益取扱い」にあたると認定し、「合理的」な懲戒ではなかったと判断している。

 「働き方改革」のもと、企業に対する長時間残業の規制は厳しくなっているはずである。その一方で、日本の印刷業界を代表する大企業の本社において、従業員の残業をめぐって一体何が起きていたのだろうか。

コロナ禍の影響で「月75時間残業」「1日20時間労働」

 Aさんが凸版印刷に入社したのは、2011年のことだった。中途採用の「即戦力」として人事労政本部に配属され、新入社員から管理職までを対象に、研修プログラムの企画運営や研修報告書作成などの業務を担当してきた。二人の子どもの出産後も、家事・育児を夫と協力しながら、できる限りフルタイム勤務で働いてきた。2020年には主担当だった業務を評価され、社長と本社の名義で表彰金を受けている。

 2020年の春、コロナ禍によって従業員は在宅勤務となった。コロナ禍のあおりで業務は膨れ上がり、4月だけでAさんの時間外労働は月70時間近くに達していた。6月には本社への出社を指示されたものの、まだ子どもの育児環境が回復していなかったため、会社と交渉した結果、特別有給休暇を取得。2020年8月に在宅勤務と出社を組み合わせて復職した。

 ここから急速に雲行きが怪しくなっていった。Aさんによれば、コロナ禍による研修の変更や延期などのために多くの業務が発生しており、それらが山積みの状態だったという。一方で、じつは以前から自宅残業は原則禁止だったのだが、Aさんは復職以降、上司からより厳しく禁止を忠告されるようになった。板挟みになったAさんはやむをえず、自宅残業の勤怠記録は基本的に入力せず、その残業代を請求しなかった

 Aさんの当時の業務の多さを物語るように、中央労基署の事実認定によると、2020年9月からのAさんの1か月間の時間外労働は75時間を超えており、1日の労働時間が15時間、さらには20時間にのぼる日まであった。また、8月から9月にかけて月20時間分の残業時間の増加や、9月に13日間の連続勤務が認定され、前述の(1)(2)に該当する出来事として、労災の根拠と判断されている(なお、持ち帰り残業が労働時間として認定されることは珍しく、今回のケースでは勤怠記録がかなり明確であったことが窺われる)。

 筆者は当時のAさんの残業時間や連続勤務について凸版印刷に質問したが、労災認定の詳細を把握していないという理由から、「ご質問にはお答えしかねます」と回答を拒否されている。

やむを得ない自宅残業で「虚偽申請」「職場秩序を乱そうとした」?

 2020年11月初旬、過去に報告していない残業のある人は申告するよう、上司から部署に連絡があった。Aさんは、会社が残業や業務量の現状を把握して、残業を減らしてくれる可能性に期待しながら、名乗り出た。しかし、申告した同僚は、Aさん以外にいなかったという。会社に残業代を請求せずに残業していたのは、Aさん「だけ」だったというわけだ。ユニオンによればこのときが、Aさんが会社に目をつけられる決定的な契機となった可能性があるという。

 そして同年12月、予想外の出来事が起きる。ある従業員が、本人は濃厚接触者には当たらないものの、近い関係の知り合いがコロナ陽性になったというのだ。その人物と職場で接触があったAさんは1週間の在宅勤務を指示されることとなった。しかし、Aさんにはちょうど期限が直前に迫り、すぐに提出の必要のある業務が控えていた。出勤しての残業は認められるのだが、出勤できないのであれば、Aさんは自宅残業を選ばざるを得なかった。やはり勤怠記録はつけず、残業代も請求するつもりはなかった。

 中央労基署は、この期間にAさんが1日で最大19時間を超える労働を行っていたと認定している。さらに12日間の連続勤務も認められており、中央労基署はこのことも前述の(2)の出来事に該当するとして、労災認定の根拠としている。

 このときの残業が、致命的な結果につながる。翌年2月、凸版印刷は「2020年12月度の時間外労働について虚偽の申請を行った」、「残業について上司からの注意が再三あったにもかかわらずそれに従わなかった」ことなどを理由に、Aさんを懲罰委員会にかけると通告したのだ。Aさんは12月の自宅残業の残業代を申請していなかったはずだが、会社はAさんの使用するパソコンの稼働記録を調べあげていた(なお、この未払い残業代については、2022年7月に中央労基署によって凸版印刷に労働基準法違反の是正勧告が出されている)。

 就業規則の懲戒規定のうち、前者は「会社に申請すべき事項について、虚偽の申請をおこなった」、後者は「職務上の指令に不当に反抗し職場の秩序を乱そうとした」という事案に当てはまると説明された。働いていない時間について不正に残業代を請求したわけでもないうえに、自宅残業によって職場秩序をどのように乱そうとしたのかも説明されず、Aさんは納得できなかった。しかし、Aさんが弁明を行う直前の段階で、懲罰委員会からは「情状の余地は少ない」「すでに懲戒処分内容は決定している」として、この二つの事案については、いずれも「譴責相当」であると告げられた。

 2月中には最終的な懲戒の決定が通知され、筆ペンで始末書を書くことに加え、上司からはこの結果はAさんの名前ごと、社内に掲示されると説明されたという(最終的には、名前は貼り出されなかった)。

 懲戒の対象となり、Aさんには精神疾患の症状が激しく現れるようになっていた。睡眠中にも、懲戒の恐怖が突然浮かんできて目が覚め、吐き気をもよおす夜が続いた。業務にもミスが増えるようになった。懲戒が決定され、名前の張り出しが説明されて以降は、家事や育児はおろか、自身の入浴すらままならなくなり、ベッドに籠るほどになってしまった。夫が支えてくれなければ、どうなっていたかわからないという。Aさんはそのまま1年半に及ぶ休職に入ることになった。

労基署も懲戒を「不均衡」で、「合理的」でないと認定

 こうしたAさんに対する懲戒手続きについて、前述の「仕事上の差別、不利益取扱い」に該当するとして、中央労働基準監督署が労災の根拠の一つと判断したことは非常に重要なことである。

 ここで、「仕事上の差別、不利益取扱い」については、やや解説が必要だろう。厚生労働省の「精神障害の労災認定実務要領」によると、「同僚等と比べて明らかに均衡を失した不利益取扱い」を指しているという。

 また、精神障害の労災認定基準は、該当する出来事の項目が認められたのち、次に心理的負荷が「強・中・弱」の三段階で評価される仕組みである。上記の要領によれば、「仕事上の差別、不利益取扱い」に該当する事実があっても「処遇の差異が合理的」だった場合には、「弱」として評価されるという。しかし、中央労基署は今回のケースについて「仕事上の差別、不利益取扱い」の心理的負荷を「中」と評価している。このことから中央労基署は、Aさんに対する懲戒を、「合理的」ではない処遇の差異があるものとして、いわば「非合理的」な処遇であると判断したと思われる。

 なお、この点について会社に質問をしたところ、「中央労働基準監督署から当該従業員が 2020 年 12 月に時間外労働の虚偽申請を行ったことを理由として、懲戒手続きを行ったことが「差別・不利益取り扱い」として挙げられたという説明はされておりません」としているが、ユニオン側が得ている中央労基署の労災認定資料ではこれが明記されており、会社側は詳しい説明を労基署に早急に確認したほうがよいだろう。

発達障害の子どもの送迎を訴えるも、柔軟な働き方を認めなかった

 次に、中央労働基準監督署はこの事件で「仕事上の差別、不利益取り扱い」の理由をもう一つ挙げられている。Aさんは、希望したにもかかわらず、「スマートワーク」という同社独自のフレックスタイム制度を使わせてもらえなかったのだ。この制度が適用されると、月に可能なリモートワークの回数が増え、リモートワーク中の時間外労働も可能になり、1日の勤務において一旦仕事を中断した後にまた仕事を開始する「中抜け」も認められ、柔軟な働き方が可能になる。

 実はAさんの子どもの一人は発達障害と診断されており、療育施設に送迎する必要があった。Aさんによれば、与えられる膨大な業務量をこなしつつ、療育施設の送迎をするのであれば、いったん「中抜け」して送迎をした後、自宅で業務を再開できる方法が望ましかったのだ。

 こうした希望を伝えたにもかかわらず、凸版印刷はAさんにこの制度の適用を認めなかった。理由はAさんが禁止された残業を自宅で行っており、「自律的な働き方」ができないからというものだった。また凸版印刷によれば、この制度は「本人の希望で実施する制度ではない」という。しかし当時、Aさんの部署では、Aさんと同程度の職位の正社員は、ほとんどがスマートワークを適用され、自宅での残業を認められていたという。

 しかも、Aさんが「自律的な働き方」をできなかったのだとすれば、まさに月75時間残業、1日20時間労働と労基署に判断されるほどの労働時間をかけなければならないほどの「業務量」があったからだろう。

 この点について、会社側はスマートワークを利用させなかった理由について、下記のように回答を寄せている。

「当該社員については、2020 年 9 月に、上司から深夜や休日は本来勤務すべき時間ではないことを説明していたにも関わらず、自宅において、深夜帯や休日に上司の許可なく、パソコンを稼働しており、二度と繰り返さないよう職場が指導を行っておりましたが、12 月に再度、自己の判断により、休日ならびに深夜の稼働を自宅で行っておりました。

2021 年 1 月に確認のため当該社員と面談した際、本人はスマートワーク勤務制度が自律的に勤務時間を自己管理できることが適用要件となっていること、および、9 月・12 月の自身の働き方が自律的な働き方ではなかったことを認めております。従って、スマートワーク勤務適用の前提を欠いていたもので不当な判断とは考えておりません」

 確かに、会社のデータを扱う以上、ルールを順守しなければならず、場合によっては懲戒事由に当たる可能性も否定はできない。しかし、すでに述べたように、業務そのものの過重性を考慮して考えなければ、アンフェアだといわざるを得ないのではないだろうか? 懲戒についての労基署の考え方も、データの扱いに対する処分の「合理性」を差し引いてもなお不合理なほど業務を押し付けていた、と考えたと捉えるのが自然である。

 仕事を達成できなくても何らかの処分は下るだろう。それなのに、家で仕事をしても懲戒される。これでは労働者側にあまりにも救いがない。

 なお、総合サポートユニオンをつうじて凸版印刷に団体交渉で要求したのち、今年3月から無事にAさんはスマートワークを使えるようになっているという。

残業した労働者のみが責められ、会社は責任を問われないのか

 以上のように、今回のケースでは、労働時間の削減を進めようとする会社が、実際には「業務量」を削減していないということろに問題の本質があることが窺える。その本質的な問題に対し、労働者への「懲戒」で対応しようとしたことによって、より問題が拡大してしまったということではなかろうか。今回のケースは、決して一社の問題にとどまらず、現代の幅広い企業が抱えている問題の一端を示している。

 一般的に最近の他の労働相談においても、企業が業務量を一切減らさずに、現場には残業時間の上限を守るように指示することで、責任を現場に丸投げしているという事例は非常に多い。このために「隠れ残業」や、時間外労働の過少申告が横行しているというのが実態だ。形式的な上限規制だけでなく、現場の業務量を上から減らしていくことが、時間外労働削減には不可欠である。

 ところが、懲戒につながった2020年12月のAさんの長時間労働や連続勤務について、筆者が凸版印刷に認識を確認したところ、「当該社員の労働時間について正確には把握できませんでした」という回答であった。それにもかかわらず、中央労基署はAさんの労働時間の長さを認めている。そもそも、凸版印刷はAさんが申請していないにもかかわらず、パソコンの稼働記録を調べあげて、Aさんの2020年12月の残業を懲戒している。残業時間の長さは十分に把握できたと考えるのが自然である。

 筆者は凸版印刷に対して、懲戒の背景となった長時間労働について、すべてを労働者の責任と考えているのか、会社として当時の長時間労働や業務量の責任をどう考えているのかを質問した。しかし凸版印刷は、「懲戒手続きの実施と、当社が当時の業務量について適切であったと考えていたか否かは無関係」と断言し、具体的な回答を拒否している。

 また、凸版印刷は中央労基署が労災認定の根拠と判断した前述の三項目について「中央労働基準監督署から説明を受けた」ものの、「労働基準監督署の認定と当社の認識とは異なっております。今後のことについては、より詳細な事実が開示されるなどの条件が整わないと確定的なことは申し上げられません」としている。

 Aさんは総合サポートユニオンをつうじた交渉によって、労基署に認定された労災の事実や懲戒の不当性を凸版印刷に認めさせ、謝罪や補償を求めていくつもりだという。

 今回の事例にもみられるように、労働時間をめぐる労使の対立は、「働き方改革」や「リモートワーク」の運用をめぐってますます激化していきそうだ。

 筆者が代表を務めるNPO法人POSSEでは、脳・心臓疾患や精神疾患の労災被害者やその家族などを対象として、下記のとおりに無料相談のホットラインを行う予定だ。悩みのある方は、ぜひ連絡してみてほしい。

「過労死なんでも相談会」

日時:3月12日(日)13時~17時

相談方法:電話・メール・POSSE事務所での対面相談(対面相談を希望する方は事前にメールにお名前、連絡先、相談内容を記載してご予約をお願いします)

電話番号:0120-987-215

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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