「開業前にここまで文献を読み込んだのは初めてです」京都に3軒のホテルをオープンした星野リゾートの決意
■星野リゾートのホテル「OMO」が京都に一挙3軒登場
2021年、京都の街の表情が変わりました。星野リゾートがホテル「OMO(おも)」を3軒たて続けに開業したのです。
先ずは「OMO5京都三条 by 星野リゾート」と「OMO3京都東寺 by 星野リゾート」が4月に。続いて「OMO5京都祇園 by 星野リゾート」が11月にオープンしました。京都市内に一挙に誕生した3軒のOMO。人々は「これまで京都ではゼロ軒だったのに。いったい、何が起きたんだ?」と目を白黒させたのです。
■「OMO」は“ご近所”の観光をサポートするホテル
「OMO(おも)」とは、星野リゾートが打ち立てた「街中の観光をサポートする」というコンセプトの宿泊施設。
「OMO1」はカプセルホテル。
「OMO3」はベーシックホテル。
「OMO5」はブティックホテル。
「OMO7」はフルサービスホテル。
宿泊の目的や人数に合わせて選べるようになっており、その目安がOMOの後に続くナンバー。すべてのOMOがロビーに大型の「ご近所マップ」を設置し、「ご近所ガイド OMOレンジャー」と呼ばれるスタッフによる周辺ツアーを毎日開催しているのが特徴です。現在、国内に11軒のOMOがあります(2022年9月末日時点)。
■3軒の「OMO」はそれぞれ個性があった
繁華街で生まれた「OMO5京都三条」のテーマは「京町らんまん川歩き」。
買い物客でにぎわう街ですが、路地を抜けると、柳が揺れ、高瀬川のせせらぎが聴こえ、風情豊か。近代的なビルの間で顔をのぞかせる老舗の専門店など、京都の昔と今をともに楽しめる、街歩きにうってつけの立地にあります。
世界遺産の東寺にほど近い「OMO3京都東寺」のテーマは「心の時空トリップ」。
周囲は閑静な住宅地。「仏像に癒されるひと時を過ごしたい」、そんな静かな京都を求める人にぴったり。「秋の夜間特別拝観期間限定」で開催するライトアップされた東寺のガイドツアーも、ここならではの体験です。
花街があり、雅な空気に包まれた場所に建つ「OMO5京都祇園」のテーマは「今日は祇園ぐらし」。
八坂神社の門前町「祇園」は、居住一体型の老舗が多く、もっとも京都色が強いエリア。OMOでは観光だけではなく、祇園で暮らすような視点を提案。早朝の祇園散策では、京都のもう一つの顔が見えてきます。
このように早くも京都の人気スポットとなったOMO。とはいえ、なぜよりによって2021年に同時多発? その頃、京都はコロナ禍による緊急事態措置がとられ、ホテル業界は逆風が吹き荒れていました。普通なら開業を中止するでしょう。そのような苦境のなかで3軒ものホテルがオープン。正直に言って傍目には「星野リゾートの御乱心」のように感じられたのです。
■コロナ禍の逆風のなか、なぜ3軒もオープンしたのか
「逆に『コロナ禍だったからオープンした』と言えます」
そう語るのは、話題の「OMO」京都3施設の総支配人をつとめる唐澤武彦さん(47)。1999年に星野リゾートへ入社し、今年で23年目を数えるベテランホテルマンです。
唐澤さんはかつて東京、名古屋、軽井沢、熱海、京都比叡山などの事業所で総支配人を務め、軌道に乗せてきた立役者の一人。京都での仕事は8年が過ぎました。2015年に「旧星野リゾート ロテルド比叡」、2020年「星のや京都」に赴任。そして、2021年に京都の全OMOの統括を任されたのです。
3つのホテルを一人で担うケースは、星野リゾート創業以来、なんと「初」だそうです。そんな唐澤さんが語る、「コロナ禍だったから」の真意とは。
唐澤「コロナは我々ホテル業界にとって、急転直下な出来事でした。京都は特に影響が大きかった。コロナ以前はインバウンドの利用を想定した宿泊施設がどんどん増えていく状況でした。そこへコロナが『バーン!』とやってきた。そのためホテルの建設計画が止まったり、撤退したり。なかには運営会社が倒産してしまった例もあります。困ったオーナー様から『星野リゾートで運営できないか』とお声がかかり、それが同時期に3軒、重なったのです。弊社は過去に事業が行き届かなくなった物件を再生した実績があります。『ならば、せっかくなら“OMO”で京都でもチャレンジしてみよう』と、開業に踏み切ったのです」
コロナ禍だったから、これまでの運営実績が評価され、厳しい市場下のホテル運営を任された。京都でのOMO同時多発には、そんな背景があったのです。
唐澤さんはここ10年ほど、託された施設を星野リゾートとしてリブランド運営するタスクに多く携わってきました。京都3施設総支配人というポジションは、その腕が認められての大抜擢なのでしょう。
唐澤「ただ、さすがに第6波、第7波まで長引くとは思ってはいませんでした。厳しいスタートではありましたね。目先の集客よりも『長い目で見ながら京都に根づいていこう』、そういう考えで挑みました」
その言葉からは、決して軽易な開業ではなかったであろう、苦労がうかがえました。
■「歴史が好き」。大学進学とともに関西へ
唐澤さんは長野県出身。日本史を愛した父親の影響で幼い頃から歴史に親しむようになり、「もっと歴史を勉強したい」と、奈良の大学の史学科に進学しました。
唐澤「奈良公園の近くに住み、ほぼ毎日、東大寺や春日大社など奈良公園のまわりをめぐっていました。私と同じ歴史マニアが多く集まる大学でしたから、休みの日は同期の学生と奈良国立博物館へ勉強しにいったり、東大寺の二月堂を拝観したり。歴史にどっぷりつかった4年間でしたね」
そんな奈良と京都は地続き。奈良から京都への移動は、日本史年表をたどる行為とも言えます。学生時代は寺社仏閣が多い京都へも、たびたび訪れていたのだそうです。
唐澤「京都でしたら、三十三間堂から銀閣寺まで、東山界隈をよく歩きました。あの辺りは有名なお寺だけではなく、小さなお寺もたくさんあり、趣(おもむき)が感じられます。秋は紅葉も美しく、今でも好きな場所です。京都は国宝や重要文化財がたくさんあります。けれども、いい意味で街と文化財との境界があいまいというか、暮らしに溶けこんでいる。歴史好きにとっては、本当に魅力的な場所です」
世界に名を轟かせる文化遺産から、街にひっそりたたずむ小さな社寺まで足を運び、見る目を養った学生時代。古事記の頃からの歴史が根差す街で暮らし、さらに造詣を深くした唐澤さんは、在学中に「博物館学芸員」の資格を取得したのです。
■「なんとなく京都っぽい」に地元は敏感
2021年、そんな唐澤さんに課せられた命題は「個性を出すこと」でした。ホテルが林立する京都で、OMOは後発。ホテルを選ぶユーザーに「OMOでなくっちゃ」と感じさせなければなりません。
唐澤「京都は世界的に有名な観光都市。すでに古都として確立されたブランドです。そして、すでに多くのホテルがある。そのなかで個性を出すのが、とても難しい。どうしてもホテルどうしで似た内容になってしまいますので」
京都では新参者であるOMOが、個性を発揮するためにとった方策。それが「メジャーすぎず、マニアックすぎず、バランスがとれたガイドツアー」でした。
唐澤「例を挙げるなら、OMO5京都三条が実施している高瀬川のツアーがその一つです。『京都の川』と聞けば、多くの人は鴨川を思い浮かべるでしょう。けれども、私どもはあえて高瀬川を選びました。物流のために京都の中心部と伏見を結んで拓(ひら)かれた、歴史的にとても重要な川です。それに高瀬川は繁華街を流れていながら喧騒から離れ、ゆったりとした情緒をたたえています。朝は川のほとり一帯に静けさが広がり、とてもいい雰囲気なんです」
京都の人は知っていても、旅行者には認知度が低い。そういった場所の魅力を伝えようと、唐澤さんは地元の協力を仰ぎます。しかし、決して簡単ではありません。唐澤さんは「京都の本質」と直面することになるのです。
唐澤「これは京都のよい面なのですが、たとえば『なんとなく京都っぽいから』という理由だけで着物で歩くコースなどをつくると、まず地元の協力は得られません。『正しい着物の身につけ方を、あなたはちゃんとわかっているのか』と問われます。ステレオタイプの京都像に、京都の人はとても敏感なのです。高瀬川沿いを散策するコースをつくるのならば、高瀬川が京都三条にどういった役割を果たしてきたのか、その歴史がわかっていないと、ひじょうに厳しい目線を向けられます」
京都にホテルを開くことが真剣ならば、地元で永く営む人も、また真剣。生半可な知識のまま門を叩いても、扉を開いてはくれない。京都はそんな街でした。唐澤さんの、本気の対峙が始まったのです。
唐澤「オープン前は、ひたすら街の歴史や文化を学び、知識を持つ人に会いに行き、足を運んで取材しました。ホテルの開業にあたり、ここまで文献を読み込んだ経験は初めてです。卒論を書いた頃の記憶が蘇りましたよ」
■インターネットにない情報を伝えたい
もう一つ、心掛けたのが「挨拶」。自分をはじめスタッフは開業前から現在まで、「商店や自社仏閣、街の人々への挨拶を欠かさない」のだそうです。
唐澤「近隣の方々にふらっとお会いしにいったり、街中を勉強のために散策したりしています。次第に『OMOは京都に馴染もうとしているんだ』と伝わり、皆さん、とてもやさしく接してくださるようになりました」
「紹介制の街」「一見さんお断りの街」と呼ばれ、ハードルの高さを感じさせる京都。しかし、日々の心がけが少しずつ奏功し、ツアーのシナリオを完成させるためのリアルな情報を教えてくれるようになったとのこと。
唐澤「インターネットにある情報は、京都のごくごくほんの一部です。ネットの情報を鵜呑みにせず、詳しい方を取材して地元について教えていただいたり、文献や資料のありかをご教示いただいたり。京都にお住いの方々の協力がなかったら、シナリオは完成しませんでした」
京都の歴史や文化を記した文献にあたり、シナリオへ反映させた唐澤さん。それは学生時代に歴史を勉強し、博物館学芸員の資格を取得したから成しえたのでは。
唐澤「それはあるかもしれません。図書館のどの棚を探せば関連書籍があるのか。どこの書庫へ行けばよいのか。資料はどこに展示されているのか。そういったアタリをつけられたのは、歴史が好きだからなのかもしれない。もしも歴史に関心がなかったら、この仕事はできなかったと思います」
現在も京都をさらに深く知るために「図書館通いを続けている」という唐澤さん。歴史を愛する気持ちが、悠久の時を刻む街の人々に伝わったのでしょう。シナリオづくりのために入手し使用した文献は、旅のリサーチに最適なパブリックスペース「OMOベース」にライブラリーを設置し、閲覧できるようになっています。
■「京都で暮らす人と同じ目線で楽しめるホテル」を目指す
このインタビューの前、OMOレンジャーに東寺の街を案内してもらいました。京都に誕生し、まだ日が浅いOMO。しかし、東寺の庶民的な和菓子屋店主と若いOMOレンジャーとのやりとりは、まるで祖父と孫のように、ほっこり。また、近くの銭湯へ行ってみたい旅行者のために、フロントでお風呂セットも用意しているというから驚き。
宿泊する者だけではなく、OMOの登場を街の人も喜んでいる。スタッフとお店屋さんがくだけた会話をしている光景は、なによりもいい旅の想い出になるな、そう感じました。
唐澤「京都には観光雑誌には載っていないお店や、つながりがないと入れないお店や場所が多いです。私どもは街に根づき、そういった場所もご案内していきたい。観光客として一見さん的に楽しむだけではなく、滞在を通じて『京都で暮らす人と同じ目線で楽しんでいただけるホテル』を目指しています」
「暮らす人と同じ目線で楽しめるホテル」。ホテルの名前になっている「OMO(おも)」には「“おも”てなし」「趣(“おも”むき)」「“おも”しろい」といったニュアンスが含まれているのだそうです。京都のOMOを取材した私は、それらに加え、こんな気がしました。旅人と、街で暮らす人々の心を「慮る(“おも”んぱかる)」の「おも」も、ここにはあるのではないかと。
OMO5京都三条 by 星野リゾート
https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/omo5kyotosanjo/
OMO3京都東寺 by 星野リゾート
https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/omo3kyototoji/
OMO5京都祇園 by 星野リゾート