SNS上での精子取引が急増!! 第2次ブームの背景とそのリスクは?
精子ドナーを探すカップル
「やっぱり,怖いのは怖い.変な人だったら.HIVや感染症の検査データは見せてもらった.本物という証拠はないけど.精子の状態はわからない.でも,それしかないと思った.」外来を受診する女性からは,最近,ツイッターで見たという「シリンジ法」「タイミング法」などの言葉も聞かれる.精子の提供を求めてインターネットやSNSで情報を集める.行きついた「SNS上での精子の取引」に疑問や不安を持った場合には,医療施設を受診するのだが,そのまま実行に移す女性やカップルも多いと思われる.
不妊症の原因の約50%は男性に原因があることが知られている.精巣の組織を取って顕微鏡下で探しても精子の見つからない「無精子症」の男性も稀ではない.そのような夫婦は精子ドナー(提供者)を求めることになる.精子ドナーを求めるカップルは他にもいる.岡山大学ジェンダークリニックでは性同一性障害の診療を行っており,性別適合手術で子宮や卵巣を摘出し,戸籍上の性別を男性に変更,結婚するFTM当事者(トランス男性:心の性は男性,生まれた時の身体の性や戸籍の性は女性)は多く,「子どもを持ちたい」夫婦が私の外来を受診する.
精子ドナーがいなくなった
日本における「提供精子による人工授精(AID)」の始まりは,慶應義塾大学教授の安藤畫一による1948年の試みとされ,翌1949年には最初の出産が報告されている.現在までに少なくとも1万人を超える子どもがAIDにより生まれているとされるが,現在,このような医療施設でのAIDが,精子ドナーの不足により壊滅的な状況になっている.
2000年頃から始まった議論の中で,生まれた子どもの「出自を知る権利」(遺伝的につながりのある精子提供者の情報を子どもが知る権利)が取り上げられた.2003年に,出自を知る権利を認めた「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」(厚生科学審議会生殖補助医療部会)が提出されたこともあり,自身の情報開示に抵抗感を持つドナーからの精子提供は目に見えて少なくなっていった.
第1次ブームはネット上の精子提供サイト
2013年9月28日,都内で,トランスジェンダー・性同一性障害当事者や関係者向けのフォーラムが開催された.私も「子どもを持つこと」について講演し,AIDで子どもを持った性同一性障害当事者の「父子関係の認定を争う裁判」の途中経過や全国の生殖医療施設代表者への意識調査の結果などについて話した.
その中で,インターネット上の精子提供サイトで連絡を取ったドナーに会って精子をもらう性同一性障害当事者カップルの例を挙げ,「気持ちはわかるが危険なのでやめてほしい」と訴えた.フォーラムの取材に来ていたNHK記者から質問を受けたのが契機となり,その後,クローズアップ現代「徹底追跡 精子提供サイト」(2014年2月27日放映)という番組ができ,様々な状況が明らかになった(注2).
取材をしたNHK記者からは,40以上の個人や団体による精子提供サイトが見つかったと聞いた.「中には,真面目そうな精子の提供者もいるんです.ほんとに人助けというか.」とのことだったが,感染症を持っていない証拠として本人が示したという検査データは適切とは言い難い代物であった.
AIDで父親になるための裁判
夫が無精子症である不妊症夫婦がAIDで子どもを持ち,出生届を提出するときには,窓口で「子どもと父親とが遺伝的につながりのないこと」を告白することはないため,親子関係に疑義が差しはさまれることはない.しかし,FTM当事者の場合,性別変更を行ったことが戸籍からわかってしまうため,結婚しAIDで子どもを持っても,生まれた子どもと遺伝的なつながりがないことが明らかになってしまう.このため,法務省の見解により,父親と認められない状況が続いていた(注3).
兵庫県宍粟市の前田良さんは,25歳で特例法により戸籍上の男性となり,2008年に結婚,AIDにより子どもを持った.2009年11月に,長男の出生届を役所に提出したが,やはり,父親とは認められなかった.2012年,裁判となったが,東京家裁,東京高裁ともに却下され,子どもの戸籍上の父親は空欄のままとなった.
このような中,私達の実施した1,165名の教員・学生への調査(2011~2012年)では,「結婚したFTM当事者がAIDで子どもを持つこと」に約76%が肯定的であり,約80%が生まれた子どもを「嫡出子とすべき」と回答,これは裁判官の判断とは全く異なるものであった(注4).この論文は最高裁の弁護団の資料ともなり,2013年12月,ついに最高裁は一審,二審の判断を覆し父子関係を認めた.
裁判の光と影
最高裁の判決の後,2014年1月には,法務省も「嫡出子とする」と全国に通達,こうして,出生届のみで父親になることができるようになった.しかし,それまでの期間,敗訴が続いたことから,「父親になることができない」として性同一性障害当事者をAIDの対象から除外するAID実施施設が増加し,断られることが多くなった.その状況は,最高裁で勝訴した後も改善していない.
AIDの「最後の砦」であった慶應義塾大学病院へ紹介することが多くなったが,遠方であること,初診の予約がかなり先になることなどから躊躇するカップルも見られた.そのようなカップルが選んだのは,当時,増加していたネット上の精子提供サイトであった.「排卵に合わせて夫婦で出かけて,地下鉄の改札口で待ち合わせた.近くのカフェで容器に入った精液をもらって,ホテルでシリンジ(注射器)に吸った精液を腟に注入した.」とのことである.
AIDの「最後の砦」もドナー不足
慶應義塾大学病院のAID外来では,「ドナーの情報は,提供を受ける夫婦や生まれた子どもに公表しない」という方針であったが,2017年6月に精子ドナーへの同意書に「生まれた子どもが情報開示を求める訴えを起こし,裁判所から開示を命じられた場合には公表する可能性があること」を記述した(注5).子どもの「出自を知る権利」を尊重する立場からは重要な決断であったが,それ以降,新たなドナーを確保することができなくなった.AIDの実施数を見てみると,2016年は1,952件,2017年は1,634件,2018年は1,001件と減少したとされる.2014年には約220名であった初診患者であるが,その後は受け入れを制限する事態となり,ついに2019年7月で初診外来を閉鎖した.最後まで受け入れてもらっていたFTMカップルも,現在,新たな受け入れはない.
精子提供の第二次ブームはSNS上で
行先を失ったカップルの中にはSNS上の情報を頼りに精子提供者とコンタクトをとる例も増えている.ツイッターには「#精子提供」「#精子ドナー」などのハッシュタグ(検索ワード)が付いたアカウントが300件以上並んでおり,ここ数年で急激に増えているとされる(注6).ドナーと提供希望者をつなぐマッチングサイトもあり,希望者自身が,条件に合う精子ドナーを選び,直接連絡を取るため,サイトの運営者は責任を持たない.このような精子提供者には,「子どもができない人を助けたい」という者もいるが,「自身の遺伝的な子どもを残したい」など,いろいろな理由や目的の者がいる.お互いに匿名で出会い,採取したばかりの精液の提供を受けるのだが,相手の素性もわからず,本能的に怖いと感じるのは当然であろう.
医学的なリスクとしては,不潔な操作で採取されシリンジで腟に注入されることで雑菌が混じる可能性がある.また,ドナーがHIV,B型肝炎,梅毒,クラミジアなどに感染していれば精液を介して女性が感染を起こす可能性がある.ドナーが遺伝的な疾患を持っている場合も子どもに必要な情報が伝わらない.さらに,精子の状態が不良で妊娠する能力がない精液を提供している可能性もある.
社会的なリスクとしては,お互いに匿名のため,子どもにドナーの情報を伝えることはできない.会いたくなくても付きまとわれる危険性もある.「タイミング法」などと称して性行為を執拗に求めるドナーもいる.また,将来,遺伝的な父親として親権を求められる可能性もある(注7).
学歴や職業などが提示され,それをもとにドナーを選んでも,情報が虚偽の場合もある.実際に「関西の国立大卒」とされたドナーの精子で出産した女性が,国籍や学歴が虚偽だったとして訴訟を起こした例もある.
夫婦間の人工授精に関しては,一般の産婦人科でも行われており,書面での夫婦の同意や戸籍謄本の提出などを求める施設も増えているが,基本的には性善説で行われている.妻が持ってくるのは夫の精液と考えて実施しているため,ドナーから提供された精液を持ってきてもわからない.また,夫にさえも隠して,妻が提供精子を持ってくる場合もあると考えられる.
本当は学会認定施設でAID実施を
私の外来を受診する精子提供を求めているFTMカップルには,日本産科婦人科学会が認定する施設でのAIDが理想的と説明している.第三者であるドナーの背景は調査されており,各種の感染症がないことをチェック,精子の採取時には検出できないウイルス感染なども見逃さないように,精子を凍結保存して6か月間待って再検査する.さらに,子どもの「出自を知る権利」を担保するため個人情報も保管される.
しかし,精子提供を受けるのは,法的な夫婦に限定しており,精子の需要が増えている独身女性(選択的シングルマザー),レズビアンカップル,戸籍の性別変更の条件が整わないFTM当事者の事実婚カップルなどは門前払いである.また,卵管が閉塞しているなどの理由で体外受精が必要な女性もいるが,認められているのは人工授精のみである(注8).さらに,何と言っても,現実的にドナー不足が進行しており,学会の求める条件にあった無精子症の夫婦へさえ,提供することが厳しい状況が続いている.
親族からの精子提供
ドナー不足の原因の1つとして,日本産科婦人科学会は「家族関係が複雑になる」として親族(血縁者)からの精子提供を認めていないことが挙げられる.しかし,精子を確保しやすいこと以外にも,「子どもへの愛着がわきやすい」という理由で親族からの精子提供を希望するカップルもいる.
私達の実施した全国の一般市民への調査(2019年)でも,「親族に限るべき」「第三者でも親族でもよい」との回答を合計すると約65%が親族からの精子提供を認めるという結果であった(図1)(注9).
「クリオス」という選択肢
デンマークに本部を置く世界最大級の精子バンク運営会社「クリオス・インターナショナル」であるが,都内に窓口を設置した2019年2月から2020年11月までの間に,150人を超える女性が精子を購入し利用したと報道された(注10).大手の商業的な精子バンクでは,適切なレギュレーションのもと,スタッフが精子ドナーと面接したり,感染症などのチェックをしたりしている可能性が高い.また,クリオスに関しては,医療施設が関与した精子提供も約7割であったとされ,ある程度の医学的な安全性が担保されているケースも多いと考えられる.さらに,現時点では日本産科婦人科学会が認めていない「提供精子による体外受精」も行われている可能性が高い.
米国や欧州の海外のバンクを利用することもできるが,送料などを含めると数十万円かかる.クリオスのように商業的な精子バンクが日本に上陸すれば,大きな選択肢の1つとなる.日本人が希望するアジア系のドナーが増えてくれば,日本における精子ドナー不足が解消される可能性がある.ただし,「提供精子の商業的利用を認めるか」という議論が残っている.
待たれる「精子提供の仕組み」に関する議論
精子提供の主な選択肢には,(1)日本産科婦人科学会の認定施設,(2)親族からの精子提供,(3)大手の商業的な精子バンク,(4)個人(あるいは任意グループ)による精子提供の4つがある(表1).また,それぞれに医療が関与するかどうかという視点がある.
私の外来に来られるFTM当事者とその妻に対しても,(1)を勧めるとともに,このような各種の選択肢をお話ししている.特にSNSやネット上での精子の取引については,医学的・社会的リスクや子どもへの不利益の大きさを想像してもらっている.しかし,医療施設の外来を受診せず,悩んでいる人々,SNS上での精子提供に頼らざるを得ない人々は多いと考えられる.個人ドナーの精子提供も含め,「いわゆる精子バンク」が乱立している現状を考慮すると,早急に,それらを整理し直す必要がある.登録制では,問題のある個人や団体を排除できないと考えられるため,国などのしかるべき機関が審査を行う認可制を早期に実現すべきである.
提供精子によって生まれた子どもの法的地位を確定する「生殖医療民法特例法」が2020年12月に成立したが,「精子提供の仕組み」の議論はこれからである.実施施設の条件のみではなく,精子ドナーの条件や提供を受ける対象の選定,金銭のやり取り,情報の管理と子どもへの告知など,論点は多い(注11,12).
【注】
(注1)戸籍の性別を変えた性同一性障害当事者も含め,LGBTの子どもがライフプランを考えるための冊子 「ライフプランを考えるあなたへ-まんがで読む-『未来への選択肢』拡大版」(無料ダウンロード可能).
http://www.okayama-u.ac.jp/user/mikiya/pamphlet.html
(注2)NHKクローズアップ現代「徹底追跡 精子提供サイト」(No.3469 2014年2月27日(木)放映).番組の中の未婚女性へのインタビューでは「最初は怪しいなと.会ったはいいけど,どこかに詰め込まれたり,突然車に押し込められたり.渡されたものが劇物だったらどうしよう.不安はあったけど.私にはそこしかない」と答えている.
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3469/index.html
(注3)中塚幹也:性の多様性に対する生殖医療の役割.医学のあゆみ263:349-351,2017.
(注4)村上優子,田淵和宏,酒本あい,松田美和,清水恵子,鎌田泰彦,新井富士美,平松祐司,中塚幹也:性同一性障害当事者が,生殖医療技術,特別養子縁組で子どもを持つことへの肯定感.GID(性同一性障害)学会雑誌5:31-37, 2012.
(注5)朝日新聞デジタル:深刻ドナー不足、精子提供4割減 慶大病院の人工授精
(福地慶太郎,2019年4月2日).
https://www.asahi.com/articles/ASM413K00M41ULBJ008.html
(注6)読売新聞オンライン:SNSで精子取引が急増…不妊夫婦ら利用、規制なく無法状態(2021年4月16日).
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210416-OYT1T50093/
(注7)2020年12月,「生殖医療民法特例法」が成立し,第三者から卵子や精子の提供を受けた生殖補助医療で生まれた子どもの親子関係が明確になった.精子提供では提供を受けた夫婦の夫(事前の同意が必要)を父とし,卵子提供では産んだ女性を母とする.親子関係部分の施行は公布から1年後となる.しかし,提供の仕組みについての議論は先送りのままである.
(注8)人工授精と体外受精との違いなどを確認したい方は,社会に出る前に生殖医療の基礎知識を知っておくためのマンガ冊子「ライフプランを考えるあなたへ―まんがで読む―『未来への選択肢』2020年改訂版」をご覧ください(岡山県と制作,無料ダウンロード可能).
http://www.okayama-u.ac.jp/user/mikiya/pamphlet.html
(注9)信濃毎日新聞:国の法整備に問題提起 精子提供者の範囲 感覚にずれ(大井貴博,2021年4月4日朝刊).
(注10)47News:精子バンク、国内利用150人超 商業ベース、議論先送り(共同通信,2020年11月18日).
https://www.47news.jp/5506248.html
(注11)津田 大介(ゲスト:岡山大学教授 産婦人科医 中塚幹也):UP CLOSE from JAM THE WORLD.SPINEAR (スピナー).夫婦以外の第三者の卵子や精子による不妊治療で生まれた子どもの親子関係を明確にするための民法特例法案とは?(2020年11月3日).
https://spinear.com/shows/up-close-jam-the-world/episodes/up-close-jam-the-world-tsuda-daisuke-31/
(注12)中塚幹也:提供精子・卵子による生殖医療 親子関係を明確化する法案提出を契機に望まれる本格的な議論(Yahooニュース個人,2020年10月26日).
https://news.yahoo.co.jp/byline/mikiyanakatsuka/20201026-00204687/