前回、阪神が優勝した1985年は日本国債にとっても転機の年だった
プロ野球、日本シリーズの第7戦が5日夜、大阪市の京セラドーム大阪で行われ、阪神がオリックスに7対1で勝って対戦成績を4勝3敗とし、1985年以来となる38年ぶり2回目の日本一に輝いた。
この1985年は日本国債にとっても転機の年といえた。転機というよりもそもそも国債を主体とした日本の債券市場、流通市場が本格的に稼働した年といえる。
1985年6月に金融機関の国債のフルディーリングが開始された。国債を大量に保有している都銀などの銀行が国債市場に本格的に登場することで、公社債の売買高は急増したのである。
この年の10月には東京証券取引所に日本で初めての金融先物市場が誕生。長期国債先物取引(債券先物取引)が開始されたのである。
債券先物取引においては、東京証券取引所会員の証券会社だけではなく、国債を大量に保有している銀行の参入が、特別会員という資格で認められた。
金融機関による国債のフルディーリングの開始と債券先物取引の開始により、国債は流動性が大幅に向上することとなり、日本の債券市場は急速に拡大したのである。
1985年のプラザ合意後の急激な円高に対処するための、度重なる利下げによる未曾有の金融緩和に加え、公共事業拡大による財政出動が要因となり、結果として、日本のバブルが発生した。
金融緩和や円売り介入などから資金は余剰となり、それは設備投資には向かわず、株や土地に向かい典型的な資産インフレを引き起こした。円高対策のための日銀の金融緩和により、バブルを加速させる結果に。これを受けて国債の価格も大きく上昇した(国債利回りは低下)。
その後のバブル崩壊と日銀の積極的な利上げによって1990年には長期金利が大きく上昇し8%台を付けた。ただし、これも長い目でみると一時的な長期金利の上昇といえた。
つまりここにきての長期金利の上昇は、すでに2020年から3年程度経過しており、日本の債券市場が本格稼働してからはじめて、本格的に長期金利の上昇トレンドが形成されているとの見方ができるのである。