米軍兵士の「越境」は北朝鮮にとっては「飛んで火に入る夏の虫」 引き渡しには高い代償が!
とんでもない時に予想外の出来事が起きた。
今朝未明に発射された北朝鮮の短距離弾道ミサイルのことではない。昨日、発生した軍事境界線での米国人の「越境事件」である。
北朝鮮の核には核で対抗するための「米韓核協議グループ(NCG)」の初会合が行われた18日、それもよりによって北朝鮮を威嚇するため42年ぶりに核弾頭搭載の戦略原潜「ケンタッキー(SSBN)」が釜山に入港した日に南北分断の象徴である板門店の共同警備区域(JSA)を見学中の米国人が突然何を思ったのか、軍事境界線を越え、北朝鮮に渡ってしまったのだ。
この衝撃的な事件は軍事境界線を管理している国連軍司令部が昨日、SNSを通じて「JSAを見学していた米人1人が軍事境界線を越え、北朝鮮側に渡る事件が発生した。現在、北朝鮮が身柄を確保しているものと把握しており、(この件で)北朝鮮軍と協力している」と明かしたことで明るみとなったが、国連軍司令部はこの米国人の姓名、年齢なども含めそれ以上の詳細は明らかにしなかった。
「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムズ」「CBS」など米メディアの情報を総合すると、越境米国人はトラビス・キングという名の20代前半の米軍二等兵で、米軍当局は「二等兵はJSAを見学中に突然『ハハハ』と笑い出し、建物の間に走り出した」との目撃者らの証言等から二等兵が故意に北朝鮮に入ったものと断定したようだ。
北朝鮮側に越境した動機は不明だが、一説ではこの二等兵は暴行容疑で逮捕され、刑務所に収容されていたそうだ。懲戒処分を受け、韓国から米国に移送される身だったようで、本来ならば、この日米国に向かう飛行機に乗る予定だったのが、搭乗せずにJSA見学をしていたそうだ。北朝鮮に逃げるつもりだったのであろう。
それにしても、韓国人や脱北者が軍事境界線付近から越北したことは何度かあるが、外国人の越北は極めて異例である。
「ニューヨーク・タイムズ」によると、今回の米国人の越北は2018年に米国籍の男性(ブルース・ローレンス氏)が中朝国境を越え、北朝鮮に入り、抑留されて以来とのことであるが、直接軍事境界線からとなると、1965年1月に入北した拉致被害者、曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ロバート・ジェンキンスさん以来である。当時、米軍第一騎兵師団8連隊1大隊C中隊の分隊長中士として軍事境界線で勤務していたジェンキンスさんは部隊を脱走し、自ら進んで軍事境界線を越え、北朝鮮に入り、亡命を求めたことで知られている。
国連軍司令部は北朝鮮がこの二等兵を保護していることを確認し、またこの件で「北朝鮮と協力している」と発表していたが、米軍(国連軍司令部)が北朝鮮に引き渡しを求めるため交渉を呼び掛けているのかは定かではない。
米軍にとっては犯罪者、あるいは逃亡者(脱走兵)であったとしても、おそらく北朝鮮はそう簡単には引き渡さないであろう。なぜならば、北朝鮮にとっては不法に入った入境者はスパイか、亡命者扱いとなっているからである。
仮にスパイと判明すれば、裁判に掛けられ、無期懲役が宣告される。亡命者だとしても偽装の可能性があることから長期間監視下に置かれる。仮に「誤って入ってしまった」ことが明白となったとしても、一応、不法入国者として裁判に掛けられるのは必至で、釈放されるまで相当時間がかかるものとみられる。その証左として、過去の例を挙げてみよう。
▲1968年1月 米情報収集艦「プエブロ号」が元山沖で拿捕され、82名が身柄を拘束される事件が起きた。事件発生から11か月後の12月に米抑留者らは北朝鮮が用意した謝罪文書に調印したことで解放された。
▲2009年3月 中朝国境から入った米人女性ジャーナリスト2人が拘束。「不法入国の容疑」と「敵対行為の嫌疑」で12年の労働教化刑が宣告されたものの収容所ではなく、招待所に隔離された。この年の8月にクリントン元大統領が訪朝したことで5か月後に釈放された。
▲2010年1月 米宣教師(アイジャロン・ゴメス氏)が不法入国で拘束。裁判で8年の懲役刑と罰金50万円(日本円)の刑が宣告されたが、8月にカーター元大統領が訪朝したことで7か月後に釈放された。
▲2010年11月 在米韓国人宣教師(チョン・ヨンス氏)が拘束されたが、拘束の事実を半年も伏せられ、11年4月26日にカーター元大統領が、5月24日には米国務省人権担当大使のキング氏が訪朝し、米政府を代表して遺憾を表明したことで逮捕から6か月後に釈放された。
▲2012年11月 観光業の在米韓国人(ペ・ジュンホ氏)がロシアとの国境に近い羅先で「共和国に敵対する罪を犯した」として拘束。翌2013年4月に「反国家敵対犯罪行為」の罪で労働教化刑15年を宣告され、収容された。2014年11月にクラッパー米国家情報長官が極秘に訪朝し、交渉した結果、米国人(マシュー・トッド・ミラー)と共に解放された。解放まで1年11か月を要した。なお、ミラー氏は「問題を起こして、収監されれば、収容所の実態を暴ける」との信じ難い目的で入国し、2014年9月の裁判で「敵対行為」の罪で労働教化刑6年が言い渡されていた。
▲2013年10月 北京の旅行会社を通じてツアーで北朝鮮を旅行していた元米兵メリル・ニューマン(当時85歳)氏が北朝鮮を出国する日に飛行機から連れ出され、拘束された。12月7日に42日ぶりに「人道上の配慮」から国外追放という形で釈放された。
▲2014年4月 北朝鮮を観光していたジェフリー・ファウル氏が咸鏡南道の清津を旅行中にホテルの部屋に聖書を置いていったとして出国直前の5月7日に逮捕され、半年間抑留された。
▲2016年1月 観光目的で入国した米国人大学生オットー・ワームビア氏が「反共和国敵対行為容疑」で身柄を拘束され、15年の労働教化刑が科されたが、ジョセフ・ユン対北政策特別代表が2017年6月12日に平壌を電撃訪問し、交渉した結果、1年5か月ぶりに釈放。ワームビア氏は昏睡状態のまま米国に帰還したが、後に死亡した。
今回の件で韓国のメディアは「北朝鮮は抑留していた米国民の扱いを巡り、米政府との対話を試みたことがあり、今回も北朝鮮側に渡った米国人の解放などについて米朝が交渉を始めれば、対話が途絶えている米朝関係が意外な形で新たな局面を迎える可能性もある」(聯合ニュース)と伝えているが、米国人抑留者が釈放された過去のケースをみると、要人が訪朝しても、その多くの場合、米朝関係改善に繋がることはなかった。
北朝鮮は今現在、沈黙を守ったままだが、事件は金正恩(キム・ジョンウン)総書記の実妹、金与正(キム・ヨジョン)党副部長が「非核化のための米国との対話は不可能」とする強硬な談話を出した翌日に起きていることもあって、バイデン政権がよほど高い代償を払わない限り、北朝鮮が引き渡しの交渉に応じることはなさそうだ。
むしろ、労働教化刑15年を宣告されていたペ・ジュンホ氏に2014年1月に記者会見をさせたようにこの二等兵にも同じような会見をセットし、米国批判の「広告塔」に使う可能性のほうが高いのではないだろうか。
米軍偵察機の領空侵犯を批判していた北朝鮮からすれば、不法入国したこの米軍兵士はまさに「飛んで火に入る夏の虫」なのかもしれない。