12月は、人権月間。「差別に対する代償」と「包摂に対するご褒美」としての人権
毎年12月10日は「人権デー」で、12月4日から10日までが「人権週間」で、12月は「人権月間」となっている。
日本の場合は、法務省の人権擁護局が中心となり人権啓発活動を行なっている。2017年の人権啓発活動強調事項17項目で、年追うごとに項目が増えており、時代が投影されている。全国あちこちで、催し物などが開催され、私も講演依頼などを受け、出かけている。
人権活動の立ち位置は、基本的人権の保障で、これは大事である。実社会の人権侵害は、結局のところあらゆる空間における数の論理も含む「力をもつ者」による「力をもたない者」への無関心や無配慮が原因である。
事実、少数派で力をもたない者に対して正しく向き合っていないのは今の世である。だけど、関心をもち配慮したところで自分にとって何らメリットはないと思っているとなれば「力をもつ者」は動かない。それが現実ではないか。しかし現状において基本的に「力をもつ側」へのメリットは示されていない。それが出来れば人権の問題も自ずと解決するのではないかとみている。
なぜマイノリティーを大切にしなければならないのかの大きな理由は実は2つある。逆の言い方をすると力をもつ者は、二重の意味でマイノリティーを大切にしないといけないということになる。むろん少数者のためにもなるが、少数者のためというより、力をもつまたは多数派のためになり、社会全体のためにもなる。少数者への「差別に対する代償」と「包摂に対するご褒美」が存在していることに気づく必要がある。
ここで、人権強調項目の一つでもあるL(レスビアン)G(ゲイ)B(バイ)T(トランスジェンダー)を例として取り上げたい。国連はLGBTの現状について次のように説明している。
現状を鑑みた場合、基本的人権を保障する必要が解りやすく見て取れる。注目すべきは、そのことが因果応報としてもたらされている結果についてである。
LGBTに対する差別は、社会悪となり社会保障費なども含め社会負担となって現れている。つまり、マイノリティーを差別してはならないのは、負の連鎖を生み、負担となり、社会の足引っ張る要因となるということである。もちろん負担することになるのは、力をもつ者や多数派ということになる。
こんな小話を聞いたことがある。「会社で上司が部下をいじめると、部下が家に帰り妻をいじめる。妻は子供をいじめ、その子供は家の猫をいじめる。猫はネズミをいじめ、ネズミは上司のスーツをかじる」つまり、巡り巡って自分の首を絞めることになるということになる。自分の代ではなくてももしかしたら子供や孫の代になるかもわからない。多数派がなぜマイノリティーを差別してはならないかということの一つの理由がここにある。
実は、もう一つのなぜマジョリティーがマイノリティーを大事にしないといけないのかの理由は、労働力の縮小に限らず、マイノリティーが潜在的にもつ才能や創造性の逃避、生産性を活用できないために生ずる損失である。同じ国連の発表によると、
ただでさえ、世界中が成長に悩む中、成長要因としての例えばここでいうLGBTパワー妨げることは、税収に影響を及ぼし、保険、教育、その他重要な社会全体の公共サービスの低下にまで及ぶことになる。
ここでは、LGBTだけにフォーカスした。言わずして、他の少数者に対する差別に関しても同じように当てはまる。
力をもつ者や多数派は、マイノリティーを大切にしないといけない理由は、そこに大きな代償があるためである。細かく見るとそこには「差別に対する代償」と「包摂に対するご褒美」がある。「情けは人の為ならず」である。