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「ビバリーヒルズ・コップ」、主演はスタローンのはずだった

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(Courtesy of Netflix 2024)

 40年を経ても、エディ・マーフィが主演する「ビバリーヒルズ・コップ」シリーズの人気は健在だ。

 3日にNetflixが全世界配信したシリーズ4作目「ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー」は、西海岸時間4日現在、Netflixのアメリカでのアクセスランキングで、堂々1位に君臨している。Rottentomatoes.comによると、褒めている批評家は全体の66%。みんながみんな大絶賛というわけではないにしろ、評判の悪かった3作目よりずっと良いという点においては、概ね意見が一致するようだ。

 1984年に1作目が公開される前も、マーフィは、コメディ番組「Saturday Night Live」のおかげで、アメリカでは広く名前を知られていた。だが、1作目がアメリカで13週連続で首位に居座り、この年最高のヒットとなって、世界興収も3億ドル以上というすばらしい数字を達成すると(製作予算は1,300万ドル)、マーフィは世界的な映画スターとなる。

 2作目は3年後の1987年、3作目はオリジナルから10年後の1994年に公開。このほかにもマーフィは数多くのコメディ映画を大ヒットさせ、ミュージカル映画「ドリームガールズ」(2006)ではオスカー助演男優部門に候補入りもしたが、「ビバリーヒルズ・コップ」のアクセル・フォーリーが彼の代表的な役のひとつであることに、疑いの余地はない。

プロデューサーらの第1希望だった俳優は?

 だが、彼は決してこの役の第1候補ではなかった。「フラッシュダンス」(1983)を大成功させ、勢いに乗っていたプロデューサーコンビ、ドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーが最初に考えたのは、ミッキー・ロークだったのだ。だが、脚本の書き直しに時間がかかるうちにロークは降板。次に決まったのは、「ロッキー」「ランボー」シリーズで揺るぎない地位を確立していたシルヴェスタ・スタローンだった。

 脚本家としても活躍するスタローンは、この映画の脚本を大きく書き変えてしまう。彼が契約するクリエイティブ・アーティスト・エージェンシー(CAA)のエージェントには、「そのまま演じてくれれば良いよ。この映画に君のビジョンは求められていないんだから」と説得されたのだが、スタローンは聞く耳を持たなかった。とりわけ、脚本にあったコメディの要素を、スタローンはほとんどカットしてしまった。主人公の名前も、アクセル・フォーリーからアクセル・コブレッティに変更した。

 そこまでしたにもかかわらず、撮影開始の2週間前に、スタローンは自ら降板。それはプロデューサーが密かに狙っていたことのようで、うまいことやれたとシンプソンは後に友人に語ったと言われている。一方、スタローンは、この映画のために持っていた自分のアイデアを使い、「コブラ」(1986)を製作した。

 スタローンが去っていった後、名前はアクセル・フォーリーに戻され、シンプソンとブラッカイマーは主演にマーフィを提案。マーフィが出演に承諾すると、彼に合わせ、大急ぎで脚本はさらに書き変えられた。監督は、「初体験/リッジモンド・ハイ」(1982)のマーティン・ブレスト。これを引き受けたいかどうかわからなかったブレストは、25セントのコインを投げて決めたという。最終的に映画が大ヒットすると、ブレストは、その時のコインを額に入れ、壁に飾った。

2作目には当時のスタローンの妻が出演

 そんな経緯があっても、スタローンは「ビバリーヒルズ・コップ」にネガティブな思いをまるで持っていなかったどころか、マーフィと個人的に親しい関係にもなり、別の映画の企画を一緒に立ち上げようともしていた。続編「ビバリーヒルズ・コップ2」には、「ロッキー4/炎の友情」(1985)での共演中に婚約をし、1985年末にスタローンの妻となったデンマーク人女優ブリジット・ニールセンが、重要な役で出演することにもなっている(ニールセンは、いわばスタローンのバージョンの『ビバリーヒルズ・コップ』とも言える『コブラ』にも出演)。

「ロッキー4/炎の友情」のプレミアに出席したスタローンとニールセン
「ロッキー4/炎の友情」のプレミアに出席したスタローンとニールセン写真:Shutterstock/アフロ

 ブレストが続編の監督を断ったことから選ばれたのは、シンプソン、ブラッカイマーと「トップガン」(1986)で組んだトニー・スコット(ブレストは、この後、ロバート・デ・ニーロ主演の『ミッドナイト・ラン』(1988)を監督した)。アクションは得意でもコメディはそうでもないスコットが作った映画は笑いがほとんどなく、テスト上映の後、再撮をして新たなシーンを入れるなどの苦労もあった。

 だが、深刻な問題は、カメラの裏でも起きた。スコットとニールセンが密かに不倫をしていると、ゴシップ誌が報道したのだ。それが直接の理由かどうかは不明ながら、スタローンとニールセンは、「ロッキー」シリーズのプロデューサー、アーウィン・ウィンクラーの豪邸で式を挙げたわずか19ヶ月後に離婚。また、ニールセンとマーフィの間にも不倫の噂が出たことから、マーフィとスタローンの友情も崩壊した(マーフィは関係を強く否定)。

 ハリウッドで最もパワフルな人物のひとりだったスタローンとそんな騒動の中で別れたニールセンは、「ハリウッドからブラックリストされた」と当時を振り返っている。しばらくヨーロッパに帰らざるを得なくなった時、悔しさのあまり、ニールセンはグリーンカードを引きちぎったとのことだ。

マーフィは10人の父。初孫も誕生

 だが、それらももう昔話。ニールセンとスタローンは、2018年、「クリード 炎の宿敵」(2018)で再び共演している。スタローンとの離婚の後、ニールセンは3度結婚。スタローンの前にも一度結婚しており、生涯で結婚歴は5回だ。授かった子供は5人で、5人目を生んだのは54歳の時。

 スタローンは、1997年にモデルのジェニファー・フラヴィンと結婚。最近は離婚の危機に見舞われたがやり直すことになり、今では一家でリアリティ番組「The Family Stallone」に出演している。ニールセンの前にも結婚をしていたので、結婚歴は3回。

 マーフィは、1993年から2006年まで結婚、5人の子供に恵まれた。ほかの女性との間にも子供がおり、その人数は全部で10人だ。一番下の息子は、2018年11月に誕生。2019年には、初孫も生まれた。これらの大家族もきっと、パパ、あるいはおじいちゃんのマーフィがいつまでもアクセル・フォーリーとして暴れ回ることを、応援しているのではないか。

「ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー」のプレミアに、娘たち、婚約者ペイジ・バッチャー(左隣)と出席したマーフィ(Getty Images for Netflix)
「ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー」のプレミアに、娘たち、婚約者ペイジ・バッチャー(左隣)と出席したマーフィ(Getty Images for Netflix)

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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