久保建英だけじゃない!東京五輪世代の熱気
日韓W杯の引力
「日韓ワールドカップは、浮かされるような熱があった。おかげで、自分を死ぬ気で追い込めた。やっぱり、自国開催のワールドカップというのは特別で。人生を懸けられたと思う」
日韓W杯で活躍した日本代表ディフェンダー、松田直樹はそう振り返っていた。松田は2011年夏、練習中に急性心筋梗塞で倒れ、34歳の若さで亡くなっている。彼がその命を燃やしたのが、自国開催のワールドカップだった。
日本代表はワールドカップ、ベスト16に史上初めて進んだ。
「周りの注目はすごくて。迂闊に外を歩けないほどだった。今なら認めるけど、大会後は燃え尽き症候群だったと思う」
松田はそう本音を洩らしていた。常に人に見られている。それを意識し、生き続けるのは相当なストレスだったが、それ故、最大限に力を振り絞れた。
そして松田だけでなく、多くの同世代の選手が自国開催のワールドカップにまっしぐらだった。中田英寿、川口能活、松田らの1996年アトランタ五輪世代と、小野伸二、小笠原満男、稲本潤一など1999年ワールドユース(現在のUー20W杯)で準優勝した“黄金世代”が融合。日韓W杯に向け、爆発的な力を示している。何を語らずとも、お互いが高め合った。熱に押し上げられるように、技術を改善させ、身体を最大限に鍛えた。
自国開催のW杯は、躍進の旗になったと言えるだろう。
その点、2020年の東京五輪も、それに近い熱源になり得る。事実、東京五輪を来年に控え、ルーキーたちが躍動しつつあるのだ。
すでに世界進出している東京五輪世代
東京五輪世代を牽引するのは、堂安律(フローニンヘン)、冨安健洋(シントトロイデン)の二人だろう。
二人はすでに日本代表の主力としてプレーし、1月のアジアカップも戦っている。堂安は左利きのアタッカーとしてエース候補の一人。冨安はセンターバックとしては日本人規格外と言える。どちらもすでにヨーロッパで研鑽を積んでおり、この世代の出世頭と言える。
二人の存在は、他の選手にとって目標だろう。
中山雄太(ズウォーレ)、板倉滉(フローニンヘン)のディフェンダー二人も、すでにオランダに新天地を求めた。守備の選手は、日本人が欧州で活躍したケースは少ない。それを考慮すれば、画期的な流れと言える。
お互いが刺激し合うように、J1でも定位置を確保する選手が増えている。FW前田大然(松本山雅)、MF安部裕葵(鹿島アントラーズ)、三好康児(横浜F・マリノス)、相馬勇紀(名古屋グランパス)、田中碧(川崎フロンターレ)、DF初瀬亮(ヴィッセル神戸)、町田浩樹(鹿島アントラーズ)、立田悠悟(清水エスパルス)、杉岡大暉(湘南ベルマーレ)など枚挙にいとまがない。
いずれも、東京五輪が近づくここ1年で、急激に頭角を現している。
そしてこの世代には、2001年生まれと最も年少ながら旋風を巻き起こしている17歳がいるのだ。
久保の成長
今年6月で18歳になる久保建英(FC東京)は、「日本サッカーの希望」と言えるだろう。
久保は少年時代に世界最強バルサにスカウトされるも、FIFAの裁定で日本に戻ってきた後、早くもプロの風格を身につけつつある。
昨シーズンは、ユースの選手特有の"不完全な匂い"を放っていた。光る才能を持ちながらも、その技術を大人たちを前にして出せない。横浜に半年間、期限付き移籍で武者修行。デビュー戦でいきなり得点するも、プレーをアジャストできずに消える時間が多く、もどかしさが募る1年だった。
しかし、その経験が精神的に成熟させたのだろう。身体も追い込んで鍛えた様子で、今シーズンはキャンプから顔つきまでが変わっていた。そして、開幕してまもなく首位争いを演じる東京のエースに近い存在になっている。左利きで独特のリズムを持ち、ルヴァンカップでは終了間際にFKを決めたように、得点感覚と度胸も備える。
「タケ(久保)はプレー判断が良く、両足を使える。サイドで相手の守備バランスを崩せるし、嗅覚も失っていない。論理的に賢い選手だが、直感にも優れる」
スペインのエル・ムンド・デポルティボの記者は、最近の久保を高く評価。「バルサ復帰の仮契約を結んだ」とまで書いている(実際は契約には至っていない)。パリ・サンジェルマン、レアル・マドリー、チェルシー、マンチェスター・シティも食指を動かしていると言われる。
世界中が、日本の17歳に注目しているのだ。
才能の煌めきが、他の才能をさらに光らせる
ほとんど運命的に、久保を中心として日本の東京五輪世代が沸き立っている。相乗効果というのか。
今、世代を引っ張っているのは、堂安、冨安の二人だが、年少の久保の激しい追い上げは凄まじい。今年6月、南米選手権での代表招集の可能性も出てきた。誰もが、負けてはなるものか、自分たちにも可能性がある、と切磋琢磨。一方で松岡大起(サガン鳥栖)、西川潤(セレッソ大阪)のような十代の選手も台頭しつつある。ポジティブな競争が生まれているのだ。
「自分に才能があったとは思っていない。ライバルの存在や共に戦う目標があったからこそ、ここまでやってこられた。おまえには絶対負けねぇって」
松田の言葉である。