【京都市上京区】嵐の後の静けさ 参拝客の少なくなった北野の天神さんをじっくり歩いてみたら楽しかった!
あれだけあふれかえっていた人の波はどこに行ったのかと思わせるほど、2023年5月8日の京都市内は静けさを取り戻していました。折しも7日から続いた大雨の影響もあってか、まさに嵐の後の静寂です。
北野天満宮の「青もみじ苑」を訪れると人はまばらでしたが、鶯橋の袂などは昨夜の雨の影響で増水をしていました。午後からは日差しに照らされた青もみじが一層きれいに輝いていました。
静かに境内を散策してみました。三光門へ向かう手前、左手に菅原道真公の母君を奉った伴氏社(とものうじしゃ)があります。菅原道真の母君が大伴氏の出身であることから、こうよばれています。かつては石造りの五輪塔が置かれていましたが、明治維新の神仏分離政策により東向観音寺に移されました。石鳥居の台座に蓮弁が刻まれているのが珍しく、京都御苑の厳島神社、蚕ノ社の鳥居と合わせて京の三珍鳥居と呼ばれています。
東西に分かれた黒とまだらのなで牛も殺菌消毒はしたうえで、なでていいようです。境内の牛が立ち牛ではなく臥牛なのはなぜでしょうか? 北野天神縁起絵巻で語られています。
延喜3年(903)菅公が大宰府での臨終に際し、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言があり、遺骸を牛車で移動する途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬したというものです。この場所が、安楽寺であり、今の太宰府天満宮となったと伝承されています。
本殿前広場には、重要美術品とされている渡邊綱(わたなべのつな)の石燈籠があります。渡邊綱は平安時代中期の武将源頼光の四天王の一人です。伝承によると、「渡邊綱が所用で夜半一条戻り橋にさしかかると、若く美しい女性に出会います。深夜なので家まで送ろうとしばらく行くと女性は恐ろしい鬼の姿となり綱を捕らえて舞い上がり、愛宕山へ連れ去ろうとしました。
しかし、北野天満宮上空にさしかかったところで綱は太刀を抜き放ち、綱を掴んでいた鬼の片腕を切り落とし難を逃れた」と言います。後日 、綱はこれも北野天満宮の大神のおかげとこの石燈籠を寄進したと言われています。北野天満宮の宝物殿には、綱が鬼の腕を切り落としたという太刀、「髭切」、別名「鬼切」が展示されています。
まだまだ、魅力満載の「北野の天神さん」へ季節にかかわらず訪れてみてください!
北野天満宮(外部リンク)京都市上京区馬喰町 075-461-0005