「断種と堕胎の恐るべき事実を後世に」。らい予防法廃止から25年の今日改めて考える、ハンセン病とは?
「ハンセン病」について、どれだけのことを私たちは知っているのだろうか? いや、どれだけ正確なことを知らされているのだろうか? はたして、ハンセン病患者のみなさんの言葉にきちんと耳を傾けてきたのだろうか?
そんな思いにかられるドキュメンタリー映画「凱歌」。 国立療養所多磨全生園(前全生病院)で暮らす元ハンセン病患者の人々の生の声を記録した本作の坂口香津美監督に話を聞くインタビューの第2回に入る。
新たな生を産むという人間の尊厳を奪い取る、人の存在の根幹を破壊する行為
「断種」と「堕胎」の恐るべき事実は絶対に伝えたかった
きれいごとで片付けられない元ハンセン病患者の人々の国や社会への本音が収められている本作だが、坂口監督がとりわけ力を入れて伝えたかったことはなんだったのだろうか?
「断種(輸精管切除=ゆせいかんせつじょ)や堕胎ですね。堕胎や断種は、言うまでもなく新たな生を産むという人間の尊厳を奪い取る、人間の存在の根幹を破壊する行為です。
その人権無視の手術が、国策によって、全国の療養所で、日常的に行われたという事実。この恐るべき事実を、映画では当事者が伝えています。それを見ると、自然と、『どうしてこのような惨劇が起こったのか?』『二度とこのようなことを繰り返してはならない』と誰しもがそんな疑問と感情を抱くのではと思います。
中村(賢一)さんに促されるようにして、(山内)定さんが本当はもう思い出さなくてもいい、自身が受けた院内では結婚の条件とされた断種手術を受けた記憶をあえてほりおこしてよみがえらせてくれた。当事者の定さんの妻の山内きみ江さんも思いを共有し、撮影を受け入れてくれた。国によるこの誤った行為を過去の遺物として歴史の闇に葬ることだけは決してしてはいけない。その事実を隠蔽せず、社会全体が、僕らも重く受けとめなくてはいけない。それぐらい非人道的な行為。そして、それらをきちんと後世に伝えることが大切と、中村賢一さん、山内定さん、山内きみ江さんの三人は、それを自分たちの使命として勇気を持って示してくれたのです。
でも、残念ながら、単に『断種があった』と言われてもそれがどういうことなのかをすぐに理解できる人は少ない気がする。ハンセン病の患者に対して、どんな断種がされたのかとなると、なおさら誰も知らない。
全生病院で、断種のための輸精管切除の最初の手術が行われたのは、1915年(大正4年)のこと。患者たちは、この手術を『すじ切り』とか『土管を外す』といい、手術を受けた者には、卵と牛乳が七日間だけ支給されました。つまり、それはハンセン病患者を撲滅するという優生思想を推し進める国が、手術を受けた患者に与えた『お礼』でした。
ハンセン病に罹患したことで、家族や地域から永遠に隔離され、自由を奪い取られ、その上、子どもを作ることを強制的に断念させられた者への対価が卵と牛乳。そういう不条理が延々と続けられていたのです。
僕から見ると、いまのハンセン病のイメージは、かなりオブラートに包まれて過ぎている。昔、国家によってある時期、隔離されていた人たちといった程度というか。か弱く、かわいそうな人々というところでとどめることで、なにか触れてはいけない存在に思わされている気がする。そうなることで、むしろわたしたちから遠ざけられている。か弱いイメージがつけられる一方で、ある意味、真逆にある彼らの怒りや叫びはあまり届けられていない。断種の実態といったほんとうに人間の尊厳を踏みにじられるところは触れられていない。それゆえに自分たちには関係ない、遠い存在となってきてしまっているのではないかと、思えてならない。
ハンセン病については、特効薬があり、医学で治る病気で恐れることはない、と厚労省はしきりに喧伝しています。断種や堕胎が行われていた事実は伝えてはいますが、その「真の痛み」を積極的に伝えているかといえば不十分であると言わざるを得ません。断種や堕胎などが長きにわたり日常的に行われていたが、それに従わない者には、所長に付与されていた警察権が彼らを施設内にある牢獄に送り込んでいた。そんな事実もきちんと伝える必要があると僕は思います。
今年1月、政府与党は新型コロナウイルス対策の関連法改正案を巡り、入院措置を拒否したり、入院先から逃げたりした患者に1年以下の懲役か100万円以下の罰金を課すとの報道には驚愕しました。実際には、野党の修正案、患者が感染経路の追跡調査を拒んだり、虚偽の回答をしたりした場合にも50万円以下の罰金を科すことに落ち着いた。とはいえ、そもそも、入院措置を拒否したり、入院先から逃げたりする行為自体は厳しく糾弾されてしかるべき、何らかの罰則規定もやむを得ないとしても、『懲役刑』を科すのは行きすぎではないか。
いったい、この法案の出所はどこなのか。ハンセン病患者を撲滅するために強制隔離政策を実施し、治療が可能になった戦後も人権侵害や差別が横行した。感染症を巡る過去の教訓を学んでいないということではないのか。
ハンセン病についてはいろいろと語り継がなければならないことがある。
とはいえ、人って、自分が体験したことをすべて表に出せるわけではない。いくつかのことは表に出せず、秘匿したまま人は死んでいく。もちろん、僕にもそういう事柄がいくつかある。ある日、原因もわからず、ハンセン病に罹患していることを告げられる。その後、有無を言わさず、国策の終身隔離政策によって強制施設に収容される。そこで起こったこと、体験したことをすべて表に出して語ることができる人などいるだろうか。表に出さず、胸のなかにしまい込んで死にたい。でも、そんな表に出すのを忌避したい過去の体験のなかにこそ、真実があることも事実です。そこにこそ、ハンセン病患者への誤った国策の本質がある。その核心部が、断種や堕胎(人工早産、人工流産)であると確信を抱くようになり、そこから撮影は、より深い部分に入っていったように思います。
重要なものは、常に隠されている」
国はかつてハンセン病の患者にどのようなことを行ったのか、
もっと明らかにすべき
坂口監督はこう続ける。
「映画で絶対に撮りたいと思っていたが、撮れなかったものがあります。それは、ホルマリン漬けにした胎児の標本です。人工流産や人工早産など堕胎による胎児・新生児が標本として保管されていたことを、多磨全生園の複数の入所者から聞きました。
全生園に標本はあった。でも、どこにあるかわからない。撮影しようと思ってけっこう粘ったんですけど、出てこない。ついに見つけることはできなかった。でも、どこかにある。それは秘匿されているのか。誰かわからないけど、出したくない力が働いているのか。今は、園内の納骨堂に葬られ、静かに供養されていることを願うばかりです。
90年間もの長きにわたり、国はハンセン病患者を強制隔離し,出産を認めず,不法な断種・中絶を常態化させ,絶滅をめざしていました。胎児の標本は、決して許されない無言の怒りの象徴であると思います。
また、瀬戸内海の離島、長島にある日本初の国立ハンセン病療養所『長島愛生園』で、同園で死亡した入所者の遺体が解剖されていたことを示す『解剖録』が確認されたという ニュースを最近、目にしました。国立ハンセン病療養所の入所者の解剖が常態化していたことを具体的に裏付けるもので、『家族の同意が得られたのか疑問が残る』と。
国は、かつてハンセン病の患者にどのようなことを行ったのか、その詳細をもっともっと国民の前に明らかにすべきです。多磨全生園に隣接してある国立ハンセン病資料館は、国がハンセン病患者に強いた凄絶な精神的かつ肉体的な苦痛を、私たちが今、リアルに知る事の出来る展示をもっと工夫して展示すべきと考えますが、それがなされていない。もっともっと表にすべきものはあるはずで、『ハンセン病の元患者への配慮』とそれは別次元の問題として捉えるべきだと思います。
国立ハンセン病資料館を回り、ハンセン病を理解出来た気になるのは大きな誤り。本当に明らかにするべき重要な事実、真実はいまだ隠されている。
これは僕が今回の撮影や勉強して感じたことですが、ハンセン病の世界は、それを明らかにされると、触れられると都合の悪い事実や真実がある。つまり国や行政側は、ハンセン病に対する誤った国策による『見せたくないもの』を時を経るとともに巧妙に少しずつ少しずつ隠蔽し、人目に触れないようにする。結果、歴史的事実そのものが変容し、抹消され、しまいには何事もなかったかのようになる、そんなロードマップを遂行している気がします。そうすると、ふたたび同じ悲劇が繰り返される。そうならないためには、つねに私たち国民がおそれずに本当の事実や真実を受け止め、検証する強さが必要だと思います」
なぜ、こういうことになってしまっているのだろうか?
「療養所の園長に絶対的な権限が与えられたために、ハンセン病の患者が想像を絶する苦しみを味わわされた。しかし、その加害者たちが名乗りを上げて、その罪を悔い、患者たちに謝罪したという話を聞かない。これはどういうことか。長年、療養所の園長を務めてきた人物が、『断種』について語るのをネットのインタビュー記事で読みました。
その中で彼はこう言っている。『当時の療養所では結婚するためには断種をしなければならなかった。子どもができたときには、かならず中絶させられた。このことを知って、人権無視だと批判する人がいるけれど、私はあえて、その人たちに訊きたい。生まれてきた子どもを引き取って育ててもいいという人が、どれだけいるのか。その覚悟もなしにひどいと言ってしまっていいものか』と。
この園長の話は、完全に話をすり替えていると言わざるを得ない。1915年(大正4年)、所内結婚を認める前提に、全生病院(多磨全生園の前身)で断種のための輸精管切除を最初に行って以来、全国の療養所で続いて来たこの手術を、医師であり、園長である彼もまた、継承した。
それにしても、園長の権限を持つ彼であれば、敷地内に生まれた子どもの養育所を作ることなどさほど難事業とも思えない。『赤ん坊のうちに親から引き離された子どもは決して発病しない』とも同じインタビューで語っているんです。それをやらなかったのは、彼らが国が掲げる、ハンセン病患者の撲滅政策、らい予防法の忠実な遂行者であったこと。それ以外に、申し開きはできない。その職責を下ろした今でも彼自身、ハンセン病患者の撲滅政策の遂行者であった過去から完全に脱皮し切れていないように見える」
これほど国が、無辜(むこ)の市民を暴力的に蹂躙し、破壊した例は、
日本の有史以来、無いのではないか
ハンセン病は過去のことではない、現代に続く、もっと自分たちの身近なものとしてとらえてほしいという。
「いまもご存命の元ハンセン病患者の方々のことを考えると、もうみなさんご高齢で、人生が限られている。かつて隔離された場所がいまは療養所になって終の棲家になっている。
でも、みなさんの中には、今に自分の住んでいる住居が壊され、立ち退きを言い渡されるのはでは、と不安におびえている方もおられる。『ここから追い出されるんじゃないか』っていうことを恐れてる。
今の生活がいいとは限らないけども、現状が変わることは望んでいない。
1996年4月1日、らい予防法が廃止となり、ハンセン病の元患者のみなさんは法的にも完全に開放されて自由になった。しかし、『閉じ込められた状態』は続いている。なぜなら、出ることは自由にできるが、高齢となった今、現実には社会に出て生活することは至難ですから」
その上で、こう言葉を寄せる。
「これほど国が、無辜(むこ)の市民を暴力的に蹂躙し、破壊した例は、日本の有史以来、無いのではないか。罪深い、などという言葉では到底語れない」
「国家が行って来た過酷な非人道的な撲滅政策そのものを肯定し、聖化しては絶対にならない」という佐川さんの言葉を胸に
9年かけた撮影、その間に変わったこと、変わらなかったことは?
「変わったことは、ご出演されたお二人(佐川修さん、山内定さん)がお亡くなりになられたことと、山内さんご夫妻が住んでおられた住居が壊されて、更地に変わったこと。変わらなかったことは、映画で出演された中村賢一さんも山内きみ江さんも、今も多磨全生園で生活をされているということです。
佐川修さんは長年、多磨全生園の入所者自治会の会長をされていましたが、生前、繰り返し僕に語った言葉が胸に残っています。『ながい隔離生活のなかで、断種や堕胎などむごい現実とはまた別の、我々患者を愛し、献身的に尽くされた多くの職員がいることも知っている。しかし、それらの人びとを賛美し、聖化するあまり、国家が行って来た過酷な非人道的な撲滅政策そのものを肯定し、聖化しては絶対にならないと思う』と。
その考えに僕は共感し、『凱歌』を作ったのだと思う。
僕は、この『凱歌』だけは、『一人でも多くの方々にぜひ、劇場で見て欲しい』と声を大にして言いたいと思う。二度とハンセン病の悲劇を繰り返さないためにも」
(※第3回に続く)
「凱歌」
シネ・ヌーヴォ(大阪)にて4/23(金)まで公開中
アップリンク吉祥寺(東京)※東京アンコール公開
4/2(金)~4/8(木)にて公開
刈谷日劇(愛知県刈谷市)※愛知県アンコール公開
4/9(金)〜4/15(木)にて公開
詳しくは、公式サイトにて
筆者撮影をのぞいて写真はすべて(C)株式会社スーパーサウルス