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【歴史ロマンの旅】秀吉の2度目の”水攻め”は岐阜県羽島市だった!残された「一夜堤の跡」の真相を追う

旅人間はらぺこライター

はらぺこライターの旅人間です。今回は岐阜県羽島市にある「一夜堤の跡」について紹介しましょう。

天下統一をした豊臣秀吉と言えば、一夜城や水攻めといった常識破りな戦略で知られている。その中も特に「備中高松城の水攻め」は有名ですね。

ところでご存知だろうか?秀吉の水攻めは計4回ある。その2度目の水攻めは現在の岐阜県羽島市にあった竹ヶ鼻城と伝わる。しかし、その史跡は残っておらず、城のあった場所すら明確でない。当時の様子を記した資料も数少ない。

そこで羽島市歴史民俗資料館を訪ね、職員の方に一部資料を見せて頂き、時の流れで消えてしまった歴史ロマンの真相を追ってみることにした。

「竹ヶ鼻城」って、どんな城?

まず竹ヶ鼻城って、どんな城だったのだろうか?

竹ヶ鼻城(たけがはなじょう)は、築城は応仁年間(1467年 - 1469年)と伝わっており、竹腰尚隆に始まり土岐氏や斎藤氏に仕えた長井氏や不破氏、そして織田氏に支配権が移ったと考えられているそうだ。

その後、本能寺の変が起き、織田信雄の配下の不破広綱が城主の時代に小牧・長久手の戦いの時に秀吉から水攻めに遭う。その後は関ヶ原の前哨戦で城主が城に火を放ち自害したという。その後は廃城となっている。

現在、市内には「竹ヶ鼻城本丸跡」の碑があるのみ。同じ場所に竹ヶ鼻城をイメージした建物に羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館が併設されている。

以上の内容が竹ヶ鼻城の主な概要となる。

そして、今回気になっているのは”竹ヶ鼻城の水攻め”だ。街中には「一夜堤の跡」の石碑はあるが、それ以上は何も痕跡が見当たらない。

”羽島市歴史民俗資料館”へ

詳細を知りたく「羽島市歴史民俗資料館」に立ち寄り、職員の方がいる事務所を訪ねた。色々と話を聞かせてくれたが残念ながら当時の史跡などは何一つ残されていないという。

資料館の前にある「竹ヶ鼻城本丸跡」の碑も区画整理の際に現在の場所に移動して来たもの。つまり、城のあった場所うら定かではないらしい。

この城跡の石碑に関しては、かつては現在の位置よりも北西にあったそうだ。「それはどの辺りに?」と聞けば「踏切を越えた辺り、ダイソーがある辺りかなぁ?」と資料館の方。

いずれにせよ城のあった場所は未だ明確にはされていない。

戦に負けて、城は燃え、廃城になって400年以上も経つ…。そう考えたら、何も残っていないのも頷ける。しかし…

こんな劇的な歴史(秀吉に寄る水攻めなどの歴史)を持つ地なのに「何も残されていない」で終わらせるのも勿体ない気がした。実際に羽島市に住んでいる人に話しかけても「水攻めがあったこと」を知らない人が多かった。

そんな話を資料館の方としていると、「参考になれば」と親切に色々と資料を見せてくれたのだ。その資料の中に少しヒントがあった。

それが「鬼門(北東)の守り神として八剱神社を現在の地に遷座」という部分だ。

この綱村の子が不破源六広綱で、信長の死後は二男・信雄に仕えた。源六は2万8000石余を領し、石垣や堀など城の整備に力を入れ、町づくりにも努めた。鬼門(北東)の守り神として八剱神社を現在の地に遷座、菩提寺として本覚寺を創建した。
<羽島市歴史民俗資料館の資料より引用>

おそらく、この城のあったとされる付近を囲むように水攻めの堤が築かれたのであろう。現在この羽島市には4ヶ所「一夜堤跡」の碑が残されているという。その4ヶ所を巡ってみることにした。

「水攻め」と「一夜堤跡」のイメージ

ちなみに、下の地図は資料館の横「はしま観光交流センター」の休憩室に貼ってあった地図である。一夜堤跡の碑の場所が分かりやすい。ここで地図を確認してから現地を巡ると行きやすいだろう。

<はしま観光交流センターにて>
<はしま観光交流センターにて>

この地図を参考に「Googleマップ」をベースにイメージで作ってみた。

あくまで想像なので水攻めの浸水エリアなどは間違っている可能性は否めない。その点は予め理解をして欲しい。大雑把なイメージとなっている。

とにかく「水攻めってどんな感じだったのか」を頭の中で描いたものを少しでも形にしたく参考に作ってみた。

秀吉による「竹ヶ鼻城の水攻め」とは?

ところで、秀吉による竹ヶ鼻城の水攻めってどんな感じだったのだろうか?改めて整理してみよう。

<羽島市歴史民俗資料館にて>
<羽島市歴史民俗資料館にて>

信長の死後、天正12年(1584年)に小牧・長久手の戦いに敗れた秀吉は、宿敵である家康を誘い出す為、加賀野井城を攻め落とし、そして竹ヶ鼻城を攻めかかったのだ。当時の竹ヶ鼻城主は織田信雄の配下だった不破源六広綱だった。

竹ヶ鼻城主は堅城だったので城の近くを流れる足近川から水を引き入れ、秀吉は町ごと水攻めにする戦法をとる。

同年5月、10万人を動員、城の北西の小丘(間島・太閤山)に本陣を設けて大工事を指揮したと言う。

一夜堤は城を取り囲むように、間島から西へ半円を描いて松山、本郷、浅平を経て江吉良で輪中堤につなぐ形で長さ約3km高さ約10m幅約25mの大きな堤を5~6日で完成させたそうだ。そのスピードに人々は驚き「一夜堤」と呼んだとか。

結果、城は1ヶ月ほどで降伏し、城主の不破広綱は城を明け渡し伊勢長島に退却したという。

水攻めに使った川はドコ?

グーグルマップを見れば一目瞭然だが、この羽島付近は川が沢山ある。特に木曽川、長良川、揖斐川といった大きな河川が陸地を分断している。

この竹ヶ鼻城のあった羽島市は木曽川と長良川に挟まれているので、この大きな川から水を流し込んだのかと思っていたが、資料館の資料を読んでいると足近川逆川の名前が出て来た。

その川は「グーグルマップ(外部リンク)」を細かく見て行くと八剱神社の近くを流れる川のことだろうと推測される。

この小さな川が…と思うかもしれないが、昔はよく氾濫してたようだ。

竹鼻の東には足近川とつながる逆川が流れており(当時は南流していたと思われる)、その堤にそって町家が続いていた。水攻めはこの逆川堤を利用して、町家ぐるみ城を長堤で囲むことにした。
羽島市歴史民俗資料館の公式サイトより引用(外部リンク)

この先に在る足近川(現在・松枝排水路)は昭和初期まで、出水すると氾濫をおこしかねない水量があった流れで、出水時の交通は渡船により維持されていた。美濃路が水没したときに利用するためにと、この先の南宿村に対し渡し船2艘が江戸幕府道中奉行から預託されていた。
羽島市歴史民俗資料館の公式サイトより引用(外部リンク)

それでは「一夜堤の標柱」を探しに行こう!

前述の通り「一夜堤の跡」を記した碑は計4カ所ある。その石碑を探しに車を走らせてみたが、意識しなければ気が付かずに素通りしてしまいそうなほどポツンと路上に置かれている。

最初に見つけたのは「羽島郵便局前」だ。ここが一番分かりやすいかも…。
参考MAP羽島郵便局(外部リンク)

そして、次は「羽島市民会館」の前。県道153を渡ってスグの場所。
参考MAP羽島市民会館前(外部リンク)

3つ目は八剱神社の近くで、稲荷神社から信号を渡った先にある。「スポーツ教室」の前と言った方が分かりやすいかもしれない。
参考MAP稲荷神社付近(外部リンク)>

そして、最も見つけるのに苦労したのが「羽島市営斎場」の敷地内にある碑だった。「この付近にあるはずなんだけど…」と何度も探し回って見つからず、斎場の方がいたので聞いて見たら「詳しい人に確認してみるから」と超親切にわざわざ聞きに行ってくれた。

すると、まぁ~ビックリ敷地内に石碑はあった。許可を頂いて写真を撮らせてもらった。路上にあると思っていたらココは見つけずらいかも。
参考MAP羽島市営斎場(外部リンク)

そして、最後に「太閤山砦跡」だ。ここは竹ヶ鼻合戦の時、秀吉が水攻めを行うために陣を置いた場所と伝わっている。

少し遠目から見ると、確かに小高い丘になっているのが分かる。
参考MAP太閤山砦跡(外部リンク)

尚、秀吉は生涯に4度の水攻めを行ったと言われている。

1度目、備中高松城(岡山県岡山市)
2度目、竹ヶ鼻城(岐阜県羽島市)
3度目、太田城(和歌山県和歌山市)
4度目、忍城(埼玉県行田市)

「備中高松城の水攻め」と言えば、中国大返しでも知られており、戦国時代のドラマなどでは必ずと言ってよいほど登場するシーンの一つ。また忍城も映画『のぼうの城』で話題になったことがある。

そう考えたら、竹ヶ鼻城も和歌山の太田城も、もっと注目を集めて良いはずだ。

尚、この太閤山砦跡は八幡神社となっている。

石段を歩いて見渡すと周囲が広く見渡せる。秀吉の時代は現代のような高い建物は無かっただろう。今以上に見通しは良かったに違いない。

ここから水に浸かった城下の様子を見ていたのだろうか…。そんな風に物思いにふけってしまいそうになる。

今回は羽島市にある「一夜堤の跡」を中心に巡ってみた。城の跡も定かでなく、史跡は残されておらず、資料も少ないという条件だったが、これが想像以上に楽しかった。分からない魅力にどっぷりハマった心地だ。

資料館の方の好意や市営斎場の方も親切さもある。この土地に住む人々の人柄が魅力を膨らませてくれたのかもしれない。

羽島市歴史民俗資料館
住所:岐阜県羽島市竹鼻町2624-1
電話番号:058-391-2234
開館時間:9:00~17:00
定休日:月曜日、祝日の翌日、年末
公式ホームページ(外部リンク)
地図(外部リンク)

取材協力:羽島市歴史民俗資料館

はらぺこライター

旅行好きのライター。各地に伝わる伝説や民話、古くから地元で大切にされているモノを親しみやすく紹介したい|地元で人気の食堂やレトロな喫茶店巡り|”思わずクスッと笑ってしまうような”珍スポット探し|目標は個性的でヘンテコな旅本の出版|フォローして頂けたら嬉しいです。

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