三菱重工Westの北條史也選手(元阪神) 初公式戦で値千金の適時二塁打!
昨年10月に阪神タイガースを戦力外となった北條史也選手(29)は、ことしから社会人チームの三菱重工Westでプレーしています。
昨年11月27日に契約を交わし、背番号は23に決まりました。なぜ23番かと尋ねたら「特に理由はないですけど、空いている番号の中で一番かっこいいかなって思ったので。それに阪神の23は永久欠番だから」と言います。もしかして、かなりの阪神ファン?
阪神に“同期”で入団した金田和之投手も三菱重工Westにいたけれど、昨季限りで引退。北條選手は「金田さんとも会えましたよ。それと高校の1つ先輩(秋田教良投手)がいますけど、その人も上がりで…」と、2人とも入れ替わりなのが残念そうでしたね。
契約の日にはグラウンドやミーティングルームを見学してチームメイトと顔を合わせ、新体制のミーティングにも大学生を除く新加入の5人(三菱重工Eastから移籍の二橋大地選手、引木翼選手、元巨人の山下航汰選手。NPBからは北條選手とオリックスの辻垣高良投手)で参加したとのこと。
年が明けて引っ越しを済ませたあと1月8日からチームの全体練習が始まって、2月29日から3月9日までは沖縄県糸満市西崎球場でのキャンプ、3月に入ってからはオープン戦も始まりました。そして、いよいよ公式戦がスタートです。
3月16日から明石トーカロ球場で開催の『2024年度兵庫県社会人野球春季大会 兼 第69回神戸新聞杯争奪社会人野球大会』に、17日の2回戦から出場。これが三菱重工Westにとって今季初公式戦で、北條選手の社会人デビューとなりました。
2番セカンド・北條
17日は曇りのち雨の悪天候ながら日曜ということもあり、スタンドだけでなく試合前後の選手通用口もかなりの人だかり!大会関係者の方は「北條ファンがすごい!」と言われ、チームの皆さんも驚いていましたね。北條選手が打席に立つとバックネット裏の、特に一塁側ベンチ上あたりに“カメラマン”の列ができます。
ファンの方にとっては、半年近く待って見ることができた北條選手のユニホームとプレーする姿ですもんね。本人も帰り際に少し、サインや写真の対応をしていました。ちょっとビックリしたような、ちょっと戸惑ったような表情で。
さて試合を振り返ってみましょう。そうそう!試合開始時に両チームの選手がベンチ前に並んで、そこから出て行ってホームベースを挟んで整列、挨拶をかわしますよね?そのベンチ前に並ぶ際、北條選手があわててベンチへ戻りました。
何があったのかと思っていたら、手にグラブを持って戻ってきます。なるほど、挨拶をしたあとはそのまま1回表の守備に就くので、後攻チームのスタメンはもうグラブを持って並ばないといけなかったんですね。
兵庫県社会人野球春季大会
《2回戦》 明石トーカロ球場
アスミビルダーズ-三菱重工West
ア 000 000 000 = 0
三 000 010 03X = 4
▼バッテリー
【ア】藤居(6回)-辻垣(3回) / 石井
【三】山田(5回)-内海(4回) / 田中
▼二塁打 三:北條
《試合経過》※敬称略
4回まではともに1安打ずつと静かな立ち上がりでしたが、5回にアスミビルダーズがヒットと盗塁で両チームを通じ初めて二塁へ走者を置いたものの、最後は北條が難なくさばいた二ゴロで得点なし。
その裏、三菱重工Westは相手の連続失策と犠打、四球で1死満塁とし、9番・朝日の二ゴロ(二塁封殺)で1人生還!ノーヒットで先制しています。すると6回にアスミビルダーズが2安打と暴投などで1死一、三塁とチャンスを迎えるも藤居が後続を断ってリードを守りました。
三菱重工Westはまだ1安打のみで、1対0のまま迎えた8回。1死から内野安打で出た1番・杉浦を北條が右翼線へのタイムリー二塁打で還し、ついに2点目!続く山下の左安打で1死一、三塁として4番・西岡が左前タイムリーで北條も生還!
さらに2死後、6番・佐藤の左前タイムリーでもう1点。この回4連打を含む5安打で3点を加えます。なお7回から登板した元オリックスの辻垣が3イニングをパーフェクトリリーフ!4対0で三菱重工Westが勝ちました。
「プロのノウハウを伝えて」
北條選手の打席結果は、アスミビルダーズの先発・山田投手から1打席目(1回)と2打席目(4回)が右飛、2人目の内海投手に代わった直後の3打席目(6回)が空振り三振、そして8回のタイムリー二塁打で、4打数1安打1打点です。
試合後、まず三菱重工West・津野祐貴監督に伺いました。
ここまでの北條選手はどんな感じですか?「まあちょっと周りの期待というのも、かなり本人自身が感じていたみたいで。ちょっと自分でプレッシャーを感じながらやっていた部分はありましたけど。でもまあ1本ヒットが出て非常に楽になったかな、っていう感じはしますね」
「あとはチームに対しての役割といいますか。結果を出すのはもちろんなんですけど、あの若手選手に準備の仕方だとか、プロでやってきたノウハウっていうのを伝えてほしいっていうことで。そういう役割を任せているんですけど、しっかりとやってくれています」
チームにもなじんでいるようで。「北條が憧れという選手は、かなり多いんですよ。やっぱり刺激になっていますし。本当に加入してくれて、いい効果も出してくれているなっていうふうに思います」
本人は左肩の不安がまったくないわけではないと思うんですけど、内野手としての役割も大きい?「はい、そうですね。しっかりと堅実な守備をしていますし、ここぞという時の球際の強さというのもありますし。どんどん戦力になってチーム引っ張っていってほしいなと」
そんな北條選手のタイムリー二塁打、いいところを見せられたのでは?「1点が欲しい場面で取る、状況に応じたバッティングをしてくれましたね。非常にチャンスにも強かったりするので、これからもどんどんいいところで打って欲しいなって思います」
期待しています!と言うと「はい、僕も期待しています(笑)」と津野監督。期待に応えてもらいましょう。
朝の練習がない戸惑い
では北條選手のコメントをご紹介します。
初公式戦、オープン戦とは気持ちも違いますか?「うーん、そんなにわかんなかった。いや、でもまあそうですね。負けたらあかんっていうのはありましたけど。うんまあどうやろう?なんかまだまだ実感はしていない。次のJABA岡山大会くらいからかな」
試合前に軽く左肩を押さえていたのは?「きょうはちょっと調子がよくなかったんで。とにかく朝、練習せえへんから体が慣れていないんですよ。そういうのにまだちょっと…」。朝、練習しない?ああ、なるほど。社会人は試合前にシートノックくらいしかできませんね。
「そこが一番、慣れないとあかんなっていうところ。これからJABA大会でも朝イチの試合があるし。9時開始とかもあるでしょ?だから、それに慣れていかないとあかんなと思って」。確かにプロ野球では1軍でもファームでも、試合前にしっかり練習しますもんね。
「そう。もう十何年間、絶対に練習してから試合をしてきたんで。それが練習しないってなったら戸惑います。全然違う。ピッチャーの球を見てへん、前から来る球を見てへんから。見ずに一発目ドンって打席やから難しい。めっちゃ難しい。そこが、はよ慣れんとあかんっていうとこです」
必ず毎日やってきたバッティング練習が試合前にないのは不安でしょうね。でも8回、ライトへ大きなファールが1つあってスタンドが沸き、カウント2-2になったあと7球目を二塁打!感触もよかったのでは?「まあ意外とこう、ガッと力を入れんと素直にバットが出て、キレずにしっかり噛んだので。僕的にはいい打球だったかなと思います」
自身5か月ぶりの打席
一番得点が欲しいところで結果が出たのはよかった!「もっと早く打ちたかったです。でもまあ一応、8回裏で点が入ったら9回が楽になるんで。もしあそこで入らんかったら、あとの守りも結構しんどい。そういう部分では、あの場面で出てよかった。ギリ1本打てたって感じです」と苦笑。
いやー盛り上がりましたよ。北條ファンの方が大勢来られていたので。それは気づいていた?「やばい!こんなに来るとは思ってへんかった」。さらにもう一度「こんなに多いとは思わんかった」と目を丸くしていました。
年明けの全体練習が始まる直前に心境を聞いた時、「最初は楽しみが強かったんですけど、今は不安の方が強いですかね」という答えでした。あれから変化してきた?「いや、まだ不安。まだ不安の方が大きい。試合でそんなに打ててへん。打てる確信はまだないから」
オープン戦で二塁打があったものの「あれはもうポテンやし」とのこと。ここまでの成績について「オープン戦は全然、全然。沖縄で3打席立って3タコ。で、帰ってきて3試合して、3試合とも出たんですよ。4-1、3-0、3-1かな」と記憶をたどりながら答えてくれました。
そんなに、打っているというわけでもない?「ないです、全然。まあ僕も去年の10月1日から打席に立ってないですからね。そう、あのホームランから。そらまだねえ。シートバッティングとかはありますよ、でも試合となったら、沖縄キャンプの練習試合が初」
昨季最後の公式戦からだと4か月は空いています。とにかく試合前の打撃練習がない状況に慣れていくしかありませんね。「そうそうそう。まず流れ、社会人の流れっていうのに慣れていかないと。早く慣れるようにします!」
「おもろいっすよ!!」
ところで、楽しい?「おもろいっすよ!おもろい。みんなの感じがおもろい」。感じ?「いやもう、みんながすごいから。その勢いにまだ戸惑っているというか、みんなメッチャ声出すやん、えぐいな~みたいな(笑)。それに、みんな前に立つから後ろで座ったら見えへんやん!って(笑)」
守備も問題ない?「まあだいぶ。年明けの冬場はちょっと肩の調子が悪くて、ゴロを捕るのもなんかおかしかったんですよ。あとはまあ練習量がグッと落ちて、筋肉もすぐ落ちちゃうんで。それが練習量も増えて上がってきたかなと思います。だいぶマシです。ほんまに」
よかった。それならショートも守っちゃいましょうか?「無理」。はやっ、即答ですね。「無理、無理。きょうショートを守っていた朝日(晴人内野手)って子が、ことし2年目で肩も強いし。もっと頑張れと、頑張ってプロに行けよ!って言っているんです」
そうなんですね。若い選手が話を聞きに来たりする?「するする!めっちゃ来る」。アドバイスしたり?「アドバイスというか」。聞かれたことには答える?「まあ、はい。でも結果を出していなかったら説得力ないしなあと思いながら」と笑う北條選手。「まず自分のことです、はい」と言っていました。
2012年のドラフト会議
ここからは、昨秋から少しずつ鳴尾浜や電話で聞いてきた話を書かせて頂きます。
『第96回選抜高校野球大会』に出場している北條選手の母校・八戸学院光星は、開幕第1試合で勝利、あす23日が2回戦です。北條選手がいた時は3季連続準優勝という成績で、特に3年の春夏とも大阪桐蔭が目の上のタンコブだったんですよね。
阪神入団時に北條選手が「僕は藤浪(晋太郎)のおかげで2位ばっかり」と、自身のドラフト順位と併せて笑いを取っていたのを思い出します。さすが関西人!その2012年の阪神ドラフトはこんな顔ぶれでした。
1 藤浪晋太郎 投手 (大阪桐蔭)
2 北條史也 内野手 (光星学院)
3 田面巧二郎 投手 (JFE東日本)
4 小豆畑眞也 捕手 (西濃運輸)
5 金田和之 投手 (大阪学院大)
6 緒方凌介 外野手 (東洋大)
「ドラフトのこと、今でも覚えていますよ」という北條選手の言葉で振り返ってもらいます。「その日は、田村(龍弘捕手・ロッテ)と監督、部長、校長先生でテレビカメラの前に並んで、始まる前から見ていました。うしろに同級生がバーッとおって」
「1位が終わるまでが、メッチャ長く感じたんですよ。休憩を挟んだ時に、長いなあ、これヤバいんちゃう?このまま(指名が)なさそうやなあと思っちゃって。1位が終わった時点でヤバいかも、と。別に1位でいくと思ってないのに(笑)」
「それで、2巡目が始まって阪神に呼ばれた。でもマジで阪神はないと思ってたんですよ。キャッチャーが欲しいという情報あったんで。だから田村ちゃう?田村かな、田村やでと思っていたら僕の名前が呼ばれて、ええっ!?と。びっくりしたあと、ああみたいな(笑)。リアクション弱かったですねえ」
1位が藤浪投手というのは予想していた?「僕は自分が阪神に指名されると思っていなかったので。あ、藤浪が阪神やん。やっぱりアイツは甲子園のスターやな、くらいに」。いやいや、北條選手のインパクトもかなりのものでしたよ。センバツでは、その藤浪投手から二塁打2本ですからね。
忘れられない1イニング2失策
そして入団した阪神タイガース。11年間での思い出は何ですか?「まあ活躍できたことも思い出にはあるんですけど。矢野(燿大)監督が1年目の時のCS、ハマスタとか」
2019年、リーグ3位で終わった阪神が2位のDeNAと戦ったCS・ファーストステージ(横浜)ですね。その初戦が終盤で6点差をひっくり返す大逆転勝利!北條選手は7回に2点差と迫る3ラン、8回に逆転2点タイムリーの計5打点と貢献しました。
「その前の金本(知憲)監督の時(2016~2018年)は、ただただ僕はもうがむしゃらに、ひたすらやっていただけで。思い出といえば練習のキツさ!秋季キャンプで朝から連ティーを400~500本くらいやっとった、そういうキツかった思い出が残っていますね」
「あと、1イニングで2つエラーした時もメチャメチャ覚えてる。やばかったです」
2019年4月19日、4対12という大差で敗れた巨人戦(甲子園)ですね。4回にまず1死二、三塁から坂本勇人選手の打球をショート・北條選手がホームへ悪送球、追加点を許します。なおも1死一、三塁のピンチで丸佳浩選手が二ゴロ、併殺で終了と思いきや…今度は一塁へ悪送球。ここも1点を失いました。
「ピッチャーがメッセンジャーやったんですよ。で、その回が終わった時に『フ○○クユー、メン!』みたいなことを言われて。うわ、こわっ!と。もうヤバかった。ほんで家に帰って朝起きたら、腹が痛くて(苦笑)。多分メンタルに来てたんやと思います」
小学生の子みたいですね。「いや、ほんまにメンタル来てたから。それでも試合に行かなあかんのですけど、運転できんほど腹が痛すぎて。球場までタクシーで行ったような気がする(笑)」。当時はきっと笑い事ではなかったんでしょうけど、2人で大笑いしてしまいました。
ガリガリに痩せた1年目
ファームでの思い出は?「ずっとファームにいたのは1年目、2年目と去年(2023年)だけで。4年目(2016年)なんかはずっと1軍やったし、5年目も何度かあるけど1軍の方が多かった。だからファームの思い出は1年目から3年目くらいですかね」
「やっぱり平田さん(平田勝男1軍ヘッドコーチ)ですね。2013年に入って1年目、2年目の時の2軍監督で、1年目は僕もうガリガリになりました。練習がきつくて。その時に初めて、高校よりきついと思ったんです」。おお、そうなんですか。
「朝8時から8時半くらいまで、風岡さん(現オリックスの風岡尚幸コーチ)とマンツーマンで特守して、休憩したあと9時から全体練習。みんなでアップしてバッティング回りがあって試合。試合が終わったら特守からの特打という毎日」
「今は特守なら特守、特打なら特打だけど、当時は普通に両方あった。それに今は夕方5時までには絶対終わるけど、あの頃は通常で5時を過ぎてた。だから試合後は特守やって特打やって、それから強化練習。長かったでしょう?」
確かに、あの頃は我々もすべての練習が終わった選手に話を聞こうと待っていて、夏なのに外が真っ暗になってしまったことも。「はい。そんな毎日が、地獄の日々が、思い出です」
また、よく走っていましたよねえ。忘れられないのが、レフトとライトのポール間をダッシュで往復する“ポール間ダッシュ(PP)”。という話をしていたら、急に思い出し笑いの北條選手。
「そうそう!僕が入団する前、高校時代の思い出を聞かれて『PP100本したこと』って答えたのが記事になったんです。それをフェニックス・リーグ中に平田さんがちょうど見ていて『高校生がPP100本やってるんやから、お前らも走れ!』と言ったらしくて」
「高2の時、毎日100本を1週間やったんです。きつかった!」。それで、のちに先輩方から何か言われた?「次の年に僕が入団した瞬間、みんなに言われました。『お前のせいでメッチャ走らされた。お前が要らんこと言うからや!って(笑)」
矢野ファーム監督の2018年
「ファームで言うと、2018年はおもしろかった!矢野さんが2軍監督の、あの時は僕めっちゃ楽しかったですよ!開幕から5月くらいまでファームにおったんかな。2、3か月ほどですけど、マジでその間で成長したと思う」
「試合後のミーティングとかで、すごいええこと言うてはって。試合でミスした選手がいて、そのあとは声も出さず下を向いているのを見た矢野さんが、試合が終わった最後のミーティングで『ミスするのはしゃあないやん。次どうするか考えて行動しろ』という話をしたり」
「『ミスなんかもう変えられへんねん。取り返そうと思って、次どうするか考えていたら声も出る。しょげている暇なんかないぞ』みたいなこと。なるほど、そうやって切り替えていかなあかんなと、聞いていて僕もそう思った」
「それで2018年は僕、途中からですけど1軍でメチャメチャ調子よかったんですよ!糸さん(糸原健斗選手)が1番で、僕は2番でショートでした。で、9月に脱臼したんですけど…」。ああ、そうだったんですよね。
「3割2分2厘くらい打っていましたよ」。すごい!もったいない。「あれはマジもったいなかった!調子いい時に限ってケガするんですよ。もうわかりました。この11年で。調子いい時こそ気をつけなあかんと」。まさに“好事魔多し”。「はい」
「野球をほんまに勉強できた」
「盗塁も、僕ら全然速くないのに矢野さんが『みんな行け!』って。そう言われると自分でも、どのタイミングで行こうかと考える。どうやったら行ける?これは無理か?と考えるからアンテナを張れて視野が広がると教えてもらった。僕は、野球勘がメチャメチャ成長できたと思います」
「僕は相手がクイックの速いピッチャーやったら無理なんで、変化球のタイミングで行ったり。それが成功した時に矢野さんから『あそこはどうやって行った?』と聞かれて『ここは変化球が来るなと思って行きました』と答えたら『さすがや~』と言われて(笑)」
確かに矢野監督は、まず“どう考えていたか、思っているか”を聞いてくれましたよね。「そうなんです。なんで行った?ではなくて、どういう考えで行ったのか、という聞き方。結果がセーフでもアウトでも」
「失敗した時にも、なぜ失敗したと思うか?と聞かれて、答えたら『それもあるけど』と言ったあとに『こういう考え方もあるで。次はこうやった方がええんちゃう?』と付け加えてくれる。で、『行く勇気をなくすな』とも言ってもらった」
「あの時期は“野球”をほんまに勉強できたっていう感じです。ただただ野球を、自分の感覚だけでやるのが普通だったので。ああやって言われたら、メチャメチャ勉強になりました。それで、あの時は途中から1軍に上がって、ほんまに調子よかった。ケガしたけど」
ああ、やはり話はそこへ辿りついてしまいますね。「いつもそう。いい時にケガをする。僕の11年」。ではケガの話も聞かせて下さい。
3度の左肩脱臼
「脱臼したことも、思い出というか印象には残っていますね。特に1度目を一番覚えています。メッチャ痛かった。2度目はそれほど痛くなかったかな。でも骨が折れたというか、かぶさっているところがめくれたみたいな。それでも痛くなかったんですよ、あんまり」
「で、1か月くらいで復帰したけど、医者に『手術したほうがいいよ』とは言われていました。でもヤクルトと優勝争いをしていたから、その時に手術はしなかった。阪神が勝利数で上回っていたけど、勝率で負けて優勝できなかった2021年ですね、2度目は」
ちょっと振り返ってみましょう。1度目が2018年9月14日のヤクルト戦(甲子園)。1番ショートで先発出場していた北條選手は、4回の守備で西浦直亨選手の三遊間へのゴロに飛びついて、つかんだあと倒れ込みました。そのまま担架で運び出され病院へ。左肩の亜脱臼と診断されます。
2度目は3年後の2021年、開幕を1軍で迎えたものの3度降格を経験。その時はファームにいて、9月15日のウエスタン・ソフトバンク戦(甲子園)に2番サードで先発出場していました。2回にファウルボールを追って伸ばしたグラブが、フェンスの金網に当たってしまい…またしても左肩亜脱臼です。
引退の2文字が浮かんだ3度目
2021年のプロ野球は東京五輪期間の中断により、レギュラーシーズンが11月1日までで、CSや日本シリーズはそのあとでした。よって北條選手も「まだ2軍やったけど、ここから調子を上げて、優勝争いをしている1軍に上がりたい」という願いで、宮崎のフェニックス・リーグに臨んでいたのです。
ところが「2度目の亜脱臼はそんな痛くなかったし、調子もよかった。それでフェニックス・リーグへ行ったのに…その矢先にまたやってしまった」と言います。
10月11日に始まったフェニックス・リーグの初戦(対巨人)で復帰したばかりの北條選手は、同18日のDeNA戦で5番セカンドで先発出場。5回に勝又温史選手が放った一、二塁間への打球に反応した際、3度目が起きてしまいました。
「あの時は僕、飛び込んでいないんですよ。スライディングしながら捕ろうとした時に、自分の動きでちょっと跳ねたんです。パッと引いたら、そのままボーンと肩が抜けて…。それが一番痛みはあった。1度目と3度目がメチャメチャ痛かったです。3度目はもうずっと外れた状態で、ああヤバッみたいな」
「しかも3度目は飛びついたりしたわけじゃないのに抜けてしもたから、あ~もう僕は引退やと思いました。その瞬間に。自分の動きでこんなことになるようじゃ、野球はできひん。終わった。引退せなあかん。と思ったんですけど、手術という方法がありましたね」
そして手術を決断
宮崎から戻ったあと手術(左関節鏡下肩関節唇形成術)を受け、2021年10月24日に無事退院しています。
「手術したら違和感がすごい。肩の可動域も全然やし。痛みと違和感と可動域ですね。バッティングで変なところに力が入ったり、守備も反応がちょっと遅れたり。サードでは特に。怖さ?メッチャありましたよ」
その後、懸命なリハビリを経て「たまにちょっと痛みというか違和感は出るけど、周りから見ればわからない程度」まで回復し、2022年4月23日のウエスタン・オリックス戦(鳴尾浜)で復帰しました。5月6日には1軍にも昇格しています。しかし…
「去年(2023年)は特に問題なく。何度か痛い時期もありましたけど、別にそんな、ケガ人(故障者リスト)に入るほどまではいっていないし。まあ乗り切っていたかと思います」。しかし、2014年以来9年ぶりに1軍での試合出場なしで2023年のシーズンが終わりました。
「僕の人生の中でプラス」
少しはチャンスがあるかと思っていたのに残念だと言ったら、北條選手は「まあ控え選手の入れ替えはあってもいいかなと思いましたけどね。あそこはだいたい(顔ぶれが)決まっていたから。でも、そこはまあしょうがない」と淡々と答えます。
「僕も金本さんや矢野さんが監督の時に、そういう立場だったかもしれないし。金本さんの時は僕がそこ(控え選手)をやっていて、ちょっと上の世代が入っていけなかった。今は僕がそういう立場で。それはしょうがない」
阪神に入ってよかった?「はい、よかったです。阪神で11年もできた。それは僕の中で、僕の人生の中でものすごくプラスです」
10年もやれると思っていなかったと言っていましたね。「もちろん目標はレギュラーを取ってずっとやりたいというものだったけど、結果はレギュラーを取った年がないので…。だから、それで10年やれたのはよかったと思います」
最終戦のホームラン
北條選手ら8選手が来季構想外と通告されたのは2023年10月3日のこと。その2日前の10月1日、鳴尾浜で行われたウエスタン・広島戦に6番サードで先発出場した北條選手は、8回に今季第3号のホームランを放つなど、3打数2安打2打点で締めくくりました。
これが今季最後の公式戦、もしかしたら…と思うところはあったのでしょうか。「それは感じていましたよ。ああ、これが最後の打席かもなと思って。最後ぐらいホームラン打ちたいな~と」。そう思って本当に最後の打席で打った?「はい、思っていましたねえ!」
「まず、その試合がスタメンで、きょうホームラン打ちたいなと思ったんです。マジで。それまでの打席でも、何球かホームランを狙ったスイングはあった」
2回無死一、三塁での1打席目は同点に追いつく右犠飛、3対3で迎えた4回の2打席目は左前打。5回の3打席目は空振り三振という内容です。
そして8回、「最後はマジで、ホームラン打ちたいと思って打席に入った」という北條選手の4打席目。広島はこの回から左の長谷部銀次投手が登板。ボールが3つ続きます。このあとは本人の心の声を交えた振り返りをどうぞ。
このユニホームで最後の…
「スリーボールになった瞬間、“待て”のサインが出たので『頼むからストライク放ってくれ!』と思った。フォアボールで終わりたくないぞー!って(笑)」
「粘って粘ってのフォアボールなら、まだ俺らしくていいかと思えたかもしれないですけど、スリーボールから何もなしに歩くのも嫌やし。それで『ほんま、ストライク入れろ~!』と思ったらストライクが来た」
このインコースの真っすぐ、142キロを見送ってカウント3-1となり、北條選手いわく「打てのサインが来たので、真っすぐを狙おうと思った」という5球目も、同じく142キロの真っすぐでした。
「それを打ってホームランになって。何か、よかったぁ…みたいな。あれが詰まってセカンドフライやファーストフライになっていたら、もう野球やめようかなと(笑)」。ここは明るくアハハと笑っています。
もう一度確認を。最後というのは今季最後という気持ちではなく?「いや、もう自分にとっての公式戦では最後かな、しかも鳴尾浜の公式戦はもう最後か、と思って打席に立って。はい。ほんで結果的に、タイガースのユニホームを着て最後の打席があれやったと」
そして「だから、まだやれる元気はある(笑)。気持ちもある」と締めくくりました。
日本シリーズはテレビで
「僕は、最終戦が終わった、その日に電話が来ると思っていたんですよ。もしクビやったら。でも来なくて。次の日だった」。10月2日に電話があり3日通告だったのは、思うに2日は1軍もファームも休日でチームのみんなに挨拶できないから、でしょうか。
「そうですね、今思えばというか普通に考えたらそうかなと。でも僕的には、1軍がCSとか日本シリーズとかまだやっているから、クビになるとしてももうちょっと先かと思っていました。まだかなと。だからちょっと、え?という感じも」
こんな日が来るなんて…。まあいつかは訪れるものですけど。「いや、いいですよ。十分やったんで」
「日本シリーズ、テレビで見ていましたよ。ちゃんと見たのは2、3試合ですけど。野球を見るのが好きやし。全然、複雑という感覚ではないです。ただ甲子園の日本シリーズは、あそこでやりたかったなとは思いました。ファンの人たちの雰囲気もまったく違ったし」
「あの甲子園でやりたかったなあ、あんなとこで野球をやったらヤバイな、もうできんのか…と。味わいたかったですね。何なら、ベンチでもいいくらい。試合に出られたら、なおいいけど」
社会人野球の世界へ
戦力外を告げられたあと、三菱重工West以外にもタイガースアカデミーのコーチ、女子野球のタイガースWomanのコーチ、独立リーグなどからも打診があったそうです。
「谷川(昌希)さんや糸原(健斗)さんとメシに行って、いっぱい話を聞かせてもらった。2人とも社会人野球の経験者で“メッチャいいよ”と言われて」
気持ちが動いた?「気持ち的には傾いていたけど、迷いましたよ。NPBから話があったら余計に迷ったかもしれない。ただNPBに行けても何年やれるか、いつまた終わるかわからない。違うところでやる魅力の方があった。実際にはNPBから話はなかったので」
三菱重工Westの大川広誉GMからはどんな言葉を?「内野の右打者が手薄だったからと言われました。結果はもちろん出してほしい。それと、プロで11年やった経験を伝えるというか。その姿を見ることで(若い選手が)いい刺激を受け、チームはいい方向に向かっていくだろうという話でした」
責任重大ですね。「とはいえ、そんなに気負うことなく、やりたいことを、やりたい野球をやってほしい。それを見てもらえばいいとも言われたので」。“見せる”という役割も担うことになります。
また大川GMの誘いで、昨年11月12日には京セラドーム大阪で行われた社会人野球日本選手権の試合を観に行った北條選手。
この日は三菱重工WestとEastの試合があり、残念ながら両方とも初戦敗退という結果ですが、Westの金田投手やEastの武田健吾選手(元オリックス)も出場していました。
武田選手とは同学年で、ファームにいた頃の試合ではよく話をしていた印象です。いつだったか武田選手が北條選手のバットを使っていたので、その写真を撮った記憶があります。そうそう!フレッシュオールスターゲーム(2014年・長崎)も一緒に出場したんですよね。
チームは違えども、同じ三菱重工で2年早くプレーしている武田選手と「けっこう連絡取りましたよ」と言っていたので、いろんな話を聞いているでしょう。対戦するところも見てみたいと思います。
「まだやれる元気も、気持ちもある!」
なお『2024年度兵庫県社会人野球春季大会 兼 第69回神戸新聞杯争奪社会人野球大会』で三菱重工Westは、19日の準決勝で兵庫県警察硬式野球部・県警桃太郎に7対0と7回コールド勝ち。この日、北條選手は出ていません。
そして翌20日の決勝は日本製鉄瀬戸内に0対4の完封負けを喫し、優勝を逃しています。2番セカンドでフル出場した北條選手は2打数ノーヒット、2四球という内容でした。
次の公式戦は4月12日からの『第66回JABA岡山大会』、その次は4月23日から行われる『わかさ生活 第74回JABA京都大会』です。優勝すれば秋の社会人野球日本選手権の出場権獲得。早く決めておいて、5月の都市対抗野球・近畿2次予選に集中して臨めたらいいですね。
新しい世界でまた始まった野球に「大舞台で活躍しているところを見せたいと思います!それまでに頑張って出られるようにしないと。都市対抗野球も社会人日本選手権も注目度は高いと思うので、まだまだやっているというところを見せたい」と語った北條選手。
「まだやれる元気も、気持ちもある!」
それを見せる時がやってきました。
<掲載写真は筆者撮影>