自転車で台湾1周 なぜ彼らは「環島」にチャレンジしたのか
台湾在住20年以上の日本人の挑戦
「ぽつりとでも雨が降れば体で感じるし、田んぼからは稲の香りが匂ってくるのが分かる。自転車での旅は、五感を使いながら、直接的に台湾を感じる方法だと思います。ひと漕ぎひと漕ぎ、何にも頼ることなく自分の力で進むのは、まったく違った感覚でした」
こう話すのは、台湾滞在歴20年を超える熊谷俊之さんだ。台湾の現地カメラマンとして、取材などで数え切れないほどの場所を訪ねてきた。
2013年6月1日〜6月16日、自転車で台湾を1周した。日本の九州ほどの面積にあたる台湾全土をぐるり1周すると約1,000キロ。この台湾1周のことを台湾では「環島(ホアンダオ)」もしくは「環台(ホアンタイ)」という。日本語にするなら、島めぐり、台湾めぐり、といったところだ。
1周の方法には、鉄道、バス、車、自転車、徒歩などさまざまある。だから言ってみれば鉄道で回っても、歩いて回っても1周といえば1周なのだが、最近の台湾では熊谷さんのように、自転車での走破を指すことが多い。(参考記事:自転車で台湾1周 「環島」が一気に浸透した背景)
ルートは、大まかにいって、都市部中心の西回りと、海岸線を走る東回りに分けられる。熊谷さんの場合は、東海岸の景色を楽しむため東回りにした。
「台湾には蘇花公路と呼ばれる道路があります。車や列車だと、この景色がガラス越しになる。その景色を自分の目で確かめたかった。西回りだと、そこを通るのは出発してから10日後とか2週間後になってしまう。そんなにも先の天気なんて、天気予報だって当てられませんよね。東回りなら、天気が読めて景色をしっかり楽しむことができると考えました」
入念に下調べをしたものの、そこは一人旅。自分で自由に決められる。毎日の距離も均等ではなく、景色のよい場所ではゆっくりと、体力に合わせて走った。宿は、その日の夕方の位置でスマホを使って検索し、予算に応じてゲストハウスを探した。
「持ち物は最低限にしました。タイヤのパンクが心配だったので、チューブを2本と交換のための道具一式。着替えは2セットずつとプラスα。食料と水は、次の補給地点がいつになるか分からないので、少しは持っていました」
感謝も携えた各地での出会い
16日間の旅で熊谷さんが楽しいと感じた場所は「雑貨屋さんですね」という。台湾では今なお昔ながらの雑貨店が各地に残っている。
「店のおばさんや近所の人が、暇そうにおしゃべりしていて、その人たちに声をかけられて一緒にビールを飲む。そんな時間がまた楽しいんですよ」
最も多い小売店舗はコンビニエンスストアだといわれる台湾で、あえて雑貨店に足を運んだことには、熊谷さんなりの大きな意味があった。台湾への恩返しだ。日本で東日本大震災が起こった2011年、台湾で大きな募金活動が広がり、結果として180億円を超える募金が寄せられた。台湾に暮らす日本人として、その恩返しをしたいと考えていた。道中ではできるだけ地元の雑貨店に立ち寄り、現地の人たちと言葉を交わし、買い物した。
「私の落とすお金なんて、ごくわずかでしかありません。こちらが払ったのは100元(約370円)なのに、向こうがごちそうしてくれたのはそれ以上、なんてことも多々ありました。それでも、少しでも感謝の気持ちを伝えられたらと思ったんです」
もう1つ、熊谷さんに台湾を回ろうと決意させたものがある。それは「台湾新三鉄」と呼ばれ、日本語にするなら「台湾人なら必ずやっておきたい3つのこと」とでも言おうか。
1)台湾最高峰の玉山3,952メートルに登頂すること
2)台湾中部の湖・日月潭3.3キロを泳ぎきること
3)台湾1周1,000キロを自転車で走破すること
熊谷さんは、2007年に玉山登頂を達成した後で、この3か条の存在を知り、日月潭の遠泳もクリア。残すは自転車走破だった。
「台湾で暮らしていると毎日、『郷に入っては郷に従え』という言葉が頭をよぎるんです。台湾人がこの3つを条件というのであれば、台湾に暮らす人間として自分も達成したい、と思ったんです」
すべてを達成し、改めて「やっぱり、台湾は人との出会いがおもしろいですね」と晴れやかな顔を見せた。
台湾の中学生とその父兄の挑戦
熊谷さんと同じように、3か条の制覇を目指している台湾人に話を聞いた。
劉于華(リウ・ユーホア)くんは2017年夏、同級生11人やその父兄と一緒に台湾1周を果たした1人である。中学を卒業し、高校入学を控えた夏休みのことだった。
3か条のうちすでに日月潭の遠泳は、小学校卒業を記念して父親の其龍(チーロン)さんと一緒に達成していた。玉山は、抽選に当選した人しか登ることができない。落選した結果を受けて「それなら」と自転車1周にチャレンジすることにした。
家族で話し合ううちに、単に島を1周するに止まらず、誰かのためになる活動ができないか、と考えるようになった。そう考えたのは、「プラダーウィリー症候群」という難病をもつ姉・藍王景(ランジン。王+景で1字)さんの存在があった。
プラダーウィリー症候群とは、1956年に報告された病で、肥満や低身長、筋力低下やそれに伴う骨折、中度の学習障害など、さまざまな症状がみられる。食欲の抑制が効かないために食べ続けてしまい、身体に大きく負担をかけ、中には早世する例もある。ただ、近年では体重コントロールに成功し、肥満による合併症がなければ、こうした事態は免れる。
台湾ではこの病はほとんど知られておらず、患者とその家族が加入する協会は募金などで運営されているだけで、政府からの補助はない。そこで1周しながらこの病気のことを皆に知ってもらい、募金を呼びかけることにした。
その呼びかけにもまた、家族で知恵を絞り、ある企業に募金活動への協力を呼びかけた。それが、世界トップの自転車メーカーであるジャイアントだ。
于華くん自身がジャイアント宛に依頼メールを書いて送った。要所要所でジャイアントのロゴ入りポスターを持った写真をSNSで拡散し、ジャイアントの協力を周知すること、そしてジャイアントに募金があったら、プラダーウィリー症候群の協会にその募金を寄付してほしいと願い出た。後日、電話で承認をもらうことに成功した。
こうして計画が進むうち、ほかにも参加を呼びかけよう、と話が発展した。そこで「卒業記念に」と同級生やその父兄に参加を呼びかけた。さらに加わったのは、于華くんの父・其龍さん含めた2人の父兄である。
其龍さんは「息子と一緒に3か条を達成したい」と、日月潭の遠泳も達成した。だが今回は、何しろ9日間の旅程だ。システムエンジニアとして働く身では、休暇を取るのも容易ではない。その上、体力勝負である。中学生と五十路を超えた其龍さんの体力差は歴然としている。それでも、「一緒に成し遂げたい」という気持ちが勝ったという。
ところが親も含めて、台湾1周にチャレンジしたことがない。そのため、アウトドアに詳しく、海外の人のチャレンジもサポートしたことがある知人に、ルート、宿、食事などのプランニングからサポートカーの手配も含めて協力してもらうことにした。
「チャレンジが怖くなくなった」
スタートは2017年7月1日、場所は台湾の最高学府・台湾大学だ。ポスターと一緒に全員で写真撮影し、9日後にまたこの場所に戻ってくることを目指して出発した。
毎朝、朝食をすませると、コーディネーターがその日の進路を説明する。1日の走行距離は120〜140キロ。休憩地点には、スタッフや父兄が用意したフルーツやお弁当が待ち、14人のチャレンジを応援した。休憩場所は、学校のスペースを借り、お昼を食べると必ず昼寝タイムを設けた。
フル参加できない父兄も、休みの日には子どもたちが自転車で走る場所へと駆けつけ、差し入れをしたり、激励に走った。中には、孫の挑戦する姿を見たいと現場に足を運ぶ祖父母まで現れた。参加者は、連日、SNSに写真をアップし、その日の様子を伝えたため、参加できない父兄たちも、SNSを通じて様子を知ることができた。
9日間で、1人あたりの参加費用は2万6,000台湾ドル(約9万5,000円)。この中には、自転車のレンタル代、宿泊費、3食の食事代、今回の参加者で作ったTシャツ、保険費用も含まれる。
台湾1周を終えた于華くんに、改めて感想を聞いた。
「1日120〜140キロを走るのはやっぱり大変でした。日月潭の遠泳は1時間ほどで終わるんだけど、1周は9日間だから、筋肉痛で足は痛いし、すんごい疲れた。疲れていても、次の日に自転車に乗らなきゃいけない。上り坂もあったしね」
父親の同行について話を向けると、照れ臭そうに答えてくれた。
「父さんはいつも最後に集合場所に着いていたから、どんなふうに走っていたかは知りません。ただ、僕たちに付いてこようと、必死でした。そんなふうにして、一つのことを成し遂げようとする姿を見せたいんだ、ってこともちゃんと伝わりました」
皆のチャレンジが終わってから、報告を兼ねて、撮影した写真をジャイアントに届けた。あとで分かったことだが、最終的にジャイアントには5万台湾ドル、協会には4万台湾ドル、計9万台湾ドル(約34万円)の募金があったという。于華くんの母、練敏清(レン・ミンチン)さんは言う。
「3,000台湾ドル(約1万1,000円)もあれば有り難いことだと思っていました。それが、こんなにもたくさんのお金が集まるなんて、想像もしていませんでした。私は娘を連れて列車で合流しました。美しい夕日、雄大な浜辺、大きな川に架かる橋……こうした景色を家族で共有でき、本当に忘れられない旅になりました」
忘れられない旅になったのは、于華くん家族だけではなかったようだ。とりわけ大きな成長を見せた参加者がいた。それまで彼は「最後までやり遂げたことがない」と評されていた。親は9日間の団体行動についていけるのか心配しながら、送り出したという。だが、その彼こそが、決められた時間に率先して起きて準備を済ませ、根を上げることなくやってのけた。後日、「僕、もう何かにチャレンジすることが怖くなくなった」と自信に満ちた様子で語ったという。
自転車に乗って台湾を1周する。1,000キロという距離を考えれば、容易な挑戦ではない。さらに今回紹介した2人の挑戦は、単に1周しただけに止まらない意義があった。