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King of 63.5kg 安らかに瞑れ

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
26年ぶりの再会の折、思い出の写真を見詰める両者

「プライアーは自分の人生をまっとうしたんだと思います。ボクサー時代は強い、上手い、そんな風にしか彼を見なかったけれど、本当に一生懸命に生きた人だった」

WBAジュニアウエルター級1位の指名挑戦者として米国オハイオ州シンシナティーに乗り込み、当時無敵を誇った(30戦全勝28KO)アーロン・プライアーに6ラウンドKO負けを喫した亀田昭雄は、しみじみと語った。

「7人きょうだいの5番目でしたっけ? 7人全員が違う父親。母親はキッチンドランカー、その後殺人未遂で逮捕されたこともある?ボクシングで成功しなければ、どうなっていたか分からない人生でしょう。グローブを握った瞬間に、追い詰められていたんでしょうね。スラムで食べ物もなく、本当に飢えていた。だからこそ誰よりも練習し、心身ともに鍛え抜いたんでしょう。ボクシングに対しては、これ以上ないくらい真面目な男だったと思う」

亀田昭雄は徹夜麻雀に興じた体で日本ウエルター級タイトルマッチのリングに上がり、難なく防衛戦をクリアした。ジムワークは多くて週に3回。ロードワークをしたことは無い。体に悪いと感じながらも煙草が止められなかった。そんな状態でも日本国内に敵は見当たらなかった。プライアーに挑んだ時の戦績は17戦全勝14KO。

WBA王者のプライアーではなく、同時期にWBC王座に就いた金相賢、ソウル・マンビーあたりに挑んでいれば、間違いなく勝っていたと関係者は口を揃える。プライアー自身も26年ぶりの再会時にそう話した。

「自分自身も何度かWBCチャンピオンと戦っていれば…と考えたことがありました。でも、プライアーという最強の男と戦えたことが、誇りなんです」

2008年の夏、亀田がシンシナティーのプライアー宅を訪問した際、King of Jr. Welter weightは言ったのだ。

次に会えるとしたら、きっと天国でということになるだろうが、今日は何て素敵な日なんだろう。心底、幸せを感じているよ

この時、プライアーは頸部脊柱管狭窄症を患い、体中の痛みに苦しんでいた。

「逆の立場だったら、弱々しい姿は誰にも見せたくなかった筈。でも、あの日に再会できて良かった。できればもう一度、会いたかったけれど、次が天国で、というのならそれでもいい。僕もいつかは向こうに行くわけですから。

僕は中途半端にボクシングをやってしまった。でも、偉大な男に出会え、戦え、生きることの意味を学んだと思っています」

リングに上がる前の控え室で、トレーニング中のジムで、プライアーはしばしば「What time is it?」と叫んだ。その度にトレーナーや取り巻きたちが「HAWK TIME!」と応じた。

獲物を狙う鷹のように鋭く、荒々しかったジュニアウエルター級(63.5kg)史上最強のファイター。私自身も彼と出会い、接し、何度もインタビューできて良かったと思っている。

Aaron、どうぞ安らかに瞑ってください。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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