総理の「年功序列を見直す」発言は日本の重要な分岐点
政府と経営側、労働組合代表からなる政労使会議の席上、安倍総理が「子育て世代の処遇を改善するためにも、年功序列の賃金体系を見直し、労働生産性に見合った賃金体系に移行することが大切だ」と明言したことが話題となっている。
非常に重要な論点なので、よくある疑問に答えるという形で整理しておこう。本コラムはメディア関係者も多く読んでいるそうなので、けして「賃下げを狙う経営側の陰謀だ」的な安易な階級闘争史観に流されることなく理解を深めてほしい。ひょっとすると、この会議は10年くらいしてから「あれこそ日本のワッセナー合意だった」と振り返られるようになるかもしれない。それくらい重要な意思表明だというのが筆者の見方だ。
・どうして年功序列賃金を見直すことが若い世代の賃上げにつながるの?
「年功序列を廃して若い世代の処遇改善」という言葉には3つのポイントが含まれている。
まずは、単純に中高年にかたよっている人件費というパイを、下の世代にも公平に切り分けるという意味で、いわゆるソリティア社員やなんちゃって管理職の処遇を見直すということだ。
ただ、それだけだと「人件費の分配を見直すだけなので、給与総額自体は変わらないんじゃ?」という疑問を持つ人もいるかもしれない。そこで重要になるのが2つめのポイントで、実は賃下げを柔軟に認めること=むしろ賃上げしやすい環境にするという意味があるのだ。
筆者がいつも言っているように、日本企業は後から賃下げするのが困難なため、なかなか賃上げするのが難しい。実際、90年代のバブル崩壊後の不況に際し、日本企業の労働分配率は危機的水準に達し、日本企業は「不況に備え、出来るだけ賃金は抑制しておく」という貴重な教訓を学んだ。だから、アベノミクスでちょっとくらい好況をお膳立てされた程度では賃上げなど出来ないというわけだ。
ようやく官邸も根っこの終身雇用そのものをなんとかしないと賃上げが難しいという事実に気づいたのだろう。
そして3つ目のポイントは、勤続年数によらない処遇が可能となれば、出産等でキャリアにブランクの出る女性の復職が容易になり、結果として子育て世帯への有力な支援となるというもの。
継続したキャリアを前提とする年功序列式だと、途中で出産や育児などでキャリアに穴の開くことの多い女性は著しく不利になる。内閣府の試算によると、出産を機に一度キャリアを離れ、その後非正規雇用で再就職した場合、生涯賃金は2億円以上減ってしまう。
それを埋めるには月数万円の子供手当なんてものでは焼け石に水で、ブランクの後に特にハードルなく「同じ労働市場」に復帰できるシステムが必要だ。それには年功序列を廃し、その時々の役割に応じて処遇できる職務給に切り替える必要がある。
という具合に、総理の「年功序列見直し宣言」には重要な視点が3つほど含まれている。けして単なる中高年の賃下げプランなどではない。
・年功序列制度は法で決められたものではないのだから、政府があれこれ口を出すのはおかしいのでは?
たまにこういうおかしなことを言う輩がいるのでフォローしておこう。確かにもともとの民法には2週間前の通知で解雇も認められているし、もちろん賃下げを禁じる法律もない。だが、高度成長期を通じて、それらを禁じる判例が積みあがって、現在では解雇はもちろん賃下げも極めて困難な状況が出来上がっている。労使が納得の上で年功序列を作ったんではなく、政府が事実上の強制をしたわけで、それを無視して「政府が口を出すな」はないだろう。あれこれ口を出しすぎた過去を清算するのが今回の改革の肝である。
・具体的にどういう風に見直すべきか
賃下げルールを明文化した法律なりガイドラインを作った上で、雇用形態によらずに同一労働同一賃金を求める法律を制定すれば、緩やかに賃金制度の見直しが日本全体で進むはずだ。「企業側が制度変更に消極的ならどうするのか」と思う人もいるだろうが、労働弁護士のみなさんが大活躍されて、同じ仕事をしているのに契約社員と総合職で3倍も給与が違うようなケースを手あたり次第訴えてくれるだろうから問題ない。
もちろん、実際にベテランが若手や非正規雇用の人がこなせないような専門性の高い仕事をこなす企業は、従来通りの賃金制度を維持できるし、実際そうするだろう。
各人が働きに応じて賃金を受け取る。新卒一発勝負ではなく、労働市場を通じて自由に入退出出来る環境を作る。総括すると、今回の方針は、日本の労働環境を「当たり前のもの」にするためのごくごく常識的なものにすぎない。実現するかどうかはまだまだ予断を許さないけれども「全員正規雇用を義務付ける」なんて言ってる野党よりよほど健全だろう。