【富士宮市】『賽の河原の六地蔵』なんで「賽の河原」なの?懐かしの場所の謎に迫る!
子供の頃、学校の通学路だった通り道に赤い帽子と前掛けをして並んでいる6体のお地蔵様。
母校の校歌では『賽の河原の六地蔵』と歌われていました。
気が向いたときに立ち止まって手を合わせたりするものの、あまりにも慣れ親しんでいた存在で、何のためにこの場所に祀られているかなんて、特に気にせず過ごしていました。
あれから幾年か時が経ち、子どもだった私達もマイホームを持ち始めました。そんな折、友人が『賽の河原の六地蔵』の近くに住居を構えることとなり、六地蔵について、調べるきっかけになりました。
賽の河原とは俗にいう賽の河原とは三途の河原のこと。三途の川の「川」は、現世とあの世の境界を意味します。
ではなんで変哲のないこの場所を『賽の河原』と名付けたのでしょうか。
富士山の噴火活動が沈静化すると、富士山頂に仏の世界があると考えられ、多くの修験者が山頂をめざしました。
15~16世紀になり修験者に引率された衆庶の信仰登山へとすると、富士山本宮浅間神社から村山に続く登山道や宿坊ができ、「富士講」という民衆信仰が確立されました。
現世とあの世の境界を意味する『賽』は、現世と神聖な富士山(仏の世界)の境目として名付けられたと考えられます。
六地蔵は古来から郊外の集落の境などに災厄を入れないようにするため、道祖神などの石仏を設置して結界を作る習わしがあり、富士山登拝の際、感覚や意識を生じ、またそれによって迷いを起こさせる原因となる六つの器官(眼・耳・鼻・舌・身・意を合わせて六根といいます)を清浄してくれる菩薩として祀っていたのではないでしょうか。
六地蔵の他にも石碑がいくつかあり、読むことはできませんでしたが、『富士登山』と刻まれているのが読み取れました。
夏の強い日差しの中、『賽の河原』で時を越えて神聖な場所を守る石像たち。
記憶の中では紅い帽子と前掛けをしていましたが、今日は麦わら帽子を被っていました。そしてこの麦わら帽子が少し猫耳みたいで、厳かな中におちゃめさを垣間見たような気がして、ふっと笑みが零れました。
賽の河原の六地蔵:富士宮市大岩
アクセス:県道397号線ファミリーマート大岩店を南下、大岩市営住宅バス停を右側して約20m