キーは20代のまま!南こうせつ55周年、“懐かしむ”ことは「明日を生きる薬」
この季節になると行きたくなる“夏フェス”。その歴史を作ってきたお一人が、南こうせつさんです。夕方から翌日の朝方にかけてオールナイトで行われていた『サマーピクニック』が、デビュー55年目となる今年、いよいよラストを迎えます。こうせつさんが紡いできた青春の音楽が、夕焼け・星空・夜明けの思い出に包まれ、新しい夏の思い出を作るため、今静かに燃えています。
―ライフワークである『サマーピクニック』は、今回で最後なんですね
そうです。実は前回の2019年を最後にしようと思って、タイトルは「さよなら」を付けていました。そしたら、大勢の方から「それは寂し過ぎる」と言われまして、嘘でもいいからと「またね」を付けたんです。『サマーピクニック~さよなら、またね~』としたタイトルは、折り合い・落としどころですよね。
そんなわけで僕は終わったつもりでいたんですが、2~3年前から「“またね”って言いましたよね?」という声がだんだん大きくなって、断れない雰囲気になってきたんです。だから、今度こそ本当に終わりにしようという思いで、今回に至りました。
ただ、今までずっと野外コンサートでしたが「それは無理だ」と言いました。特に夏は必ず、台風や雨に見舞われます。僕の主催で、天候による中止という事態になったらもう責任が取れないから、これが本当に最後だから、ケリをつけるために屋根のあるところでお願いしたいと。日本武道館で日本人のソロ・シンガーソングライターとして最初にワンマンコンサートをしたのは僕だから、そこで終わりにしようということになりました。
―そもそも、なぜ2019年を最後にしようと思われたんですか?
何といっても、全部自分がやっているコンサートだからです。ステージング、場所決め、ゲスト送迎の車の手配から警備に至るまで、すべてに関わっておりましたので大変でした。本来は最初の10年で終わりのはずでしたが、皆さんの声で、その後も何年かおきに続けていたものですから。
―野外コンサートの良さとは?
野外は自由です。『サマーピクニック』はオールナイトでしたから、天井がない分、自然の風が流れて、皆と一緒に夕焼けを眺めて、一番星が出て、夜中は星がいっぱい見えて、明け方の光が差してきて最後の歌を歌う。
真夜中に「星を見よう」と言って全部電源を落として、星を眺めながら僕はギター1本で歌う。そのうち皆で合唱になっていくという、いい思い出が残っています。皆は、クーラーボックスにビールやジュースを用意して、ゴザを敷いて、楽しかったですね。
―前回(2019年)は長渕剛さんも出演されて、「こうせつ先輩の前座をしていた」と話されていましたね
彼がデビューするくらいの頃の話で、今でいう、オープニングアクトです。僕は、長渕を愛してくれている人たちの夢を壊したらいけないと思って、今まで一度も言ったことがなかったから、「そんなこと言っていいのか?」と聞きましたよ。彼は「いいですよ」と皆の前で話すので、「大人になったな」と言ったら、本人もお客さんも笑っていました。
―こうせつさんのラジオに長渕さんのコーナーを作ったことが、ブレイクのキッカケにもなったそうですね
僕がパーソナリティを務めていた『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)に出てもらっていました。でもね、オープニングアクトもそうですが、本人に実力がないと、いくらキッカケがあっても無理です。僕がどうしたからということではなく、彼には当時から才能がありました。“生きる”力強さや反骨精神があって、でも先輩の言うことは素直に聞くタイプです(笑)。
―今年は、ゲストとしてお二人が発表されています
さだまさしさん、森山良子さん、この二人は外せないです。話、長くなりそうですね(笑)。
―55年目を迎えられた今の心境は?
よく現役でここまで来られたなという感じです。ギターを持っていろいろな街で、元気に歌ってきましたし、キーは20代の頃と同じです。今も大勢の方がおいでくださるから続けられるのであって、本当に感謝です。
そして、「かぐや姫」の頃の歌が、今また皆さんの胸の中に響いてきているような気がするんです。きょうも、タクシーの運転手さんと話していたら「妹」が一番好きな歌だと言っていただいて、最近そういうことが多いんです。当時リアルタイムだった方たちが、今その歌を聴くと一瞬で青春時代に戻れる。
僕らの若い頃は、“懐かしむ”ことは後ろ向きで悪いことのように言われたりしたけど、それは違います。昔の映画を見る、昔の歌を歌う、“懐かしむ”ことは「明日を生きる薬」になります。
―こうせつさんは常に穏やかなイメージがあります。イライラされることはありませんか?
僕は全部受け入れるタイプです。例えばチケットが売れないことがあっても、嫌なことがあっても、すべて必要不可欠なのだと理解しています。不幸があっても、自分が必要としているから起こること、自分が学ぶためだと。アンラッキーはない、全部ラッキーという考え方です。たとえ命をきょう失っても、自分に責任があり、神様の命令だと従う気持ちです。
ただ、人を騙したり、命を奪ったりすることには、怒りますし、許しません。人は肉体と心があり、潜在意識の奥底では、何が正しくて何が悪いか、何が美しいかを知っています。どんなに悪いことをした人でも、皆知っているんです。すべての人には平等に神仏が宿っています。神とは?自分です。「良心」です。
―こうせつさんのお考えは、ご実家がお寺だということも関係しているのでしょうか?
特に考えたこともないし、父から何か言われたことも一度もないですが、お寺で寝起きして、父の木魚を聞いていました。小学生の頃はお経も読めませんでしたが、お葬式に参列していたので、もしかしたら知らないうちに影響があったかもしれないですね。
―お仕事への向き合い方は?
曲が売れて日本武道館がいっぱいになり、コンサートに何万人も入ったりすると、驕りが出てきます。30代後半から40代の頃、そういう波もあったし、これではいけないとまた頑張る。でも、ヒット曲が出ないとお客さんは減っていきます。去年は2000人集まったのに、今年は500人とか、目に見えて分かるんです。悔しいし、これで僕は忘れられるのか、歌う人生が終わるのか、という恐怖が芽生えますが、それをしっかり見るのも好きなんです。
そういう中でも、お客さんと向かい合ってコミュニケーションしていくのが、何か楽しいんですよね。聴く方は1対1で、それは千人でも一万人でも変わらないから、その人たちに対して全力を尽くします。そうすると、またちょっと増えてきたりして、これを繰り返しているんです。
今回の『サマーピクニック』は、屋根のある広いところ、“武道館”でやる、と僕が決めました。大きな会場でチケットが少ししか売れなかったら、赤字が出たら、僕が持つ!それでいい、それを見つめたい。自分の今を、現実を見たい。「南こうせつの人気はガタ落ちだ」と書かれたらそれを見たい。それが人生なんだ。そこを決断しないとできないことです(※7月14日時点の最新情報:『南こうせつ ラストサマーピクニックin武道館』チケットは即日完売、追加席販売予定)。
―何か特別なことはしていますか?
僕は大分県の国東(くにさき)半島というところに住んでいます。朝6時頃に起きて、海を見て深呼吸して、自分が植えて育てた全部の木にあいさつに行きます。そうすると鳥、イタチ、テンやアナグマが来たりして、人間と違って気難しいことを言わないから楽ですよ。もう40年近く住んでいますが、気分も落ち着くし、一番好きな時間です。
その前は富士山の2合目に7年間住んでいました。寒かったですね(笑)。きょうも大分から来ましたが、東京に着いて首都高速で移動するのも好きです。
以前は青山に住んでいたこともあるんですよ。自然も大好きですけど、人間関係が渦巻く都会も好きなんです。東京は、アート、ファッション、音楽、皆が夢を実現しようとしている、夢に向かって生きている人たちの集合体だからすごく前向きなんです。エネルギーが違います。
―今後のことで考えることはありますか?
今は不自由ないですけど、年齢的に人並みには考えます。バタっと倒れて終わるのがいいなと、自分では思っていますね。仕事は、ギターを持って歌える間はもちろん、立ち上がれなければ座ったままでもいいし、大きな会場でなくてもいい。運命に従って生きようと思います。
■編集後記
終始穏やかでにこやかで、小さなことでも楽しそうに受け入れていらっしゃいます。半面強い信念をお持ちで、ブレない芯も感じることができました。こうせつさんの周りはパッと明るく、少し温度が高いようにも思います。
■南こうせつ(みなみ・こうせつ)
1949年2月13日生まれ、大分県出身。1970年デビュー。直後に「かぐや姫」を結成し、「神田川」「赤ちょうちん」「妹」など、ミリオンセールスを記録。ソロとして「夏の少女」「夢一夜」などがヒット。1976年、日本人ソロ・シンガーソングライターとして初めて日本武道館ワンマン公演を開催。オールナイトコンサート『サマーピクニック』を10年連続(1981~1990年)で開催する。1986年『広島ピースコンサート』、1992年からは環境への意識を盛り込んだ『GREEN PARADISE』を開催。
『南こうせつ ラストサマーピクニックin武道館』は、9月23日(月・休)17時~、東京・日本武道館にて開催予定。https://kyodotokyo.com/pr/summerpicnic2024.html