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[ドラフト候補カタログ] 遅咲きでも、色づきは鮮やかに 横山 楓(セガサミー)

楊順行スポーツライター
(写真:rei125/イメージマート)

 全国大会デビューで大会記録にあと1と迫るのだから、なにかを持っているのかもしれない。

 7月、第46回日本選手権の1回戦。NTT西日本に2点をリードした5回途中から救援したセガサミー・横山楓は、6回から7回にかけて5者連続三振。最速151キロをマークして、大会記録の6にあと1と迫ったのだ。この試合では結局、3回3分の2を2失点ながら勝利投手に。敗れたもののHondaとの準々決勝では、救援で5回を無失点に抑え、ここでも4三振を奪っている。

「中、高、大を通じて初めての全国大会。去年は"このレベルを相手に投げられるのか"と不安しかなかったので、ホッとしています」

 と横山はいう。昨年の都市対抗ではベンチにも入れず、公式戦の登板は2試合にすぎない。どこが変わったのか。まず、それまではテイクバックで高く上げていた左腕を下げ、

「横にかくようにして開きを抑える」

 ように改造。これに連動して、右手のテイクバックも小さくなり、打者からは見づらくなったという。

 あるいは、母校・国学院大人間科学部で知己を得た伊藤英之教授から指摘されたのが、「プロ野球選手と比較して、体重が5〜6キロ不足している」こと。そこからは集中的なウエイトトレーニング、「寮の食事を知人の栄養士さんに写メして、アドバイスを受ける」という栄養管理で体重アップに取り組んだ。すると、シーズン当初は83キロだった体重が92キロに。球自体は最速152キロと変わらなくても、筋肉量の増加がパフォーマンスの安定につながっている。

 そして「大学では決め球不足が課題だった」ため、昨年から取り組んできたのがフォークだ。この新球が「なんとか実戦で使えるようになり、真っ直ぐとの相乗効果で空振りが取れるようになりました」。これが、「強い球があり、中継ぎでも先発でも使える」と西田真二監督の目に止まったわけだ。

中学時代はわずか1勝だったのが……

 宮崎中央ボーイズ時代は公式戦で1勝しかしていないが、「その試合がたまたま、(宮崎学園高の)崎田忠寛監督の目に止まったようです」と進学すると、投手出身の崎田監督の指導により、一冬で20キロも球速がアップした。国学院大では、「周囲には甲子園経験者がずらり。すげえな、と」いう環境でリーグ戦初登板は3年春と遅咲きだった。

 また高校時代、同じ宮崎県では1学年下の山本由伸(現オリックス)と投げ合う機会があり、隣の大分県には森下暢仁(現広島)が同期にいた。いずれも、東京五輪の金メダリストだ。

「比べるのはおこがましいですが、あのレベルになることが目標です」

 と横山はいう。

 ただ、現在行われている都市対抗東京都2次予選では、ちょっと調子が上がっていない。明治安田生命との初戦、同点の5回から登板して5失点と負け投手になり、チームは敗者復活からのサバイバル。なんとか第3代表決定戦までこぎ着けた。

 その大一番は、ドラフト当日の11日。果たして横山の指名は、そして登板は……。「楓」という命名は、「紅葉する時期は周囲より遅くても、最後はきれいになる」ことにちなんでいる。社会人1年目の都市対抗では雑用係だった「楓」が、今季は鮮やかに色づくか。

よこやま・かえで●宮崎学園高→国学院大→セガサミー●180cm92kg●右投両打●投手

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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