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【杉並区】食べておくべきレジェンドの中華そば!ノスタルジックで実直な荻窪『丸福』の味に魅了される

酔街草エディター・ライター(東京都杉並区)

「ラーメン激戦区」と呼ばれるようになってから久しい荻窪。新しい店舗が次々と進出する中、その源流とも言うべき「荻窪ラーメン」を語るにあたって、今なお殷賑を極めているのが、『春木屋』『丸信』『丸福』のレジェンド御三家だ。

酔街草もこの3店舗には数十年近く通い続けていて、どの店も優劣つけ難いのだが、一杯呑んだ後に無性にその味が恋しくなり、〆(シメ)でよく足を運んでいたのが『丸福』なのである。

正直なところ、『丸福』は現在も連日行列を成す『春木屋』や、先代からの味を頑なに守る『丸信』ほど繊細な味は見出せないものの、”これぞ、屋台を彷彿とさせる昭和の中華そば!”と唸らせるほど、ノスタルジックで実直なその味に魅了され続けている。

JR荻窪駅の北口を右折して徒歩で1分ほど、バスロータリーが途切れた先の「荻窪北口駅前通商店街」アーケード内に入ると、黄色い看板と白い暖簾の『丸福』荻窪店が見えてくる。

店内は、10席のカウンターがL字に配された小ぢんまりとした造り。創業者の息子で二代目として後を継いだ神谷幸(かみや・みゆき)さんと妻が夫婦二人だけで営むラーメン専門店だ。

店内に券売機などは無く、口頭で注文して食べ終わった後に現金で支払うという、昔ながらのシンプルなシステムも、ノスタルジーな一面を漂わせる。

メニューは昔から変わっておらず、ラーメンの文字は見当たらない
メニューは昔から変わっておらず、ラーメンの文字は見当たらない

“白い看板”“と”黄色い看板”の『丸福』とは?

「荻窪ラーメン」に造詣の深い方々はご存じだと思うが、一時期の『丸福』は荻窪に“白い看板”“と”黄色い看板”の『丸福』が2店舗、西荻窪に”黄色い看板”の1店舗が存在していた。

「銀行員だった親父が、今で言うところの脱サラして『丸福』を創業したのは、戦後間もない昭和26年(1951年)。屋号の『丸福』は、親父の故郷である福島県の”福”に因んで命名したんです。創業当時は親父夫婦と妹夫婦で切り盛りしていてね、場所も駅前のバスロータリーが拡張される前の青梅街道沿いにあったんです」と、神谷さんは振り返る。

ここが『丸福』のルーツとなった最初の店で、冬場の寒い中、店脇の路地にしゃがみ込み、盥(たらい)の中でモヤシのヒゲを抜いていた光景を朧げながら覚えている。

その後、神谷さんが二代目として厨房に立つようになり、荻窪駅の北口開発による移転に伴い、昭和59年(1984年)に実弟と共に西荻窪駅の南口に『丸福 西荻店』を開業。

程なくして、神谷さんは弟に西荻店を託すかたちで「荻窪北口駅前通商店街」に本店を構えることになる。これが“黄色い看板”の始まりである。

一方、創業者当時から一緒に働いていた妹夫婦の息子が青梅街道沿いに開業。こちらが所謂、“白い看板”の『丸福』となり、あれよあれよという間にバブル時期のラーメンブームに乗り、『春木屋』と人気を二分するほどの有名店になっていった。

大ぶりの煮玉子が人気の「玉子そば」(900円)。
大ぶりの煮玉子が人気の「玉子そば」(900円)。

“白い看板”の『丸福』の黒歴史

ただ、“白い看板”の『丸福』は、”接客態度がぶっきらぼう”との悪評が付きまとい、いつも店内には妙な緊張感が漂っていた。

二人で訪れても空いた順に着席させられるため、勝手に移動すると咎められ、私語も許されないような張り詰めた空気感に、まるで坐禅道場の様だと感じていたのは自分だけではなかっただろう。

それでも、スマホもSNSも無い頃にも関わらず、雑誌や口コミなどで評判が広まり行列が絶えなかった。”確かに旨い!クセになる味”との批評も、間違いのない事実だった。

酔街草も、思い返すと若気の至りで、いつも臆することなく「ワンタン麺大盛り、玉子2個!」と常連ぶった注文をしていたものだ。”気に入った店には通ったもの勝ちの利がある”と、つくづく感じてしまう。

ちなみに、“白い看板”の『丸福』は開店してから約1年後、当時、創刊したばかりの写真週刊誌に巨額な脱税をスクープ報道されてしまう・・・。

”税務署員が、夜な夜な捨てられていた割り箸の本数から脱税額を割り出した”という記事だったと思うが、皮肉にもこの事件が明るみに出たことでさらに行列が伸び、「荻窪ラーメン」なる呼称がさらに脚光を浴びるようになったという説もある。もちろん、“黄色い看板”の『丸福』においても行列が絶えなかった。

ところが、白い看板”の『丸福』は、平成17年(2005年)に、何の前触れもなく突如として閉店してしまう。

噂では、脱税事件とは関係なく、さまざまな負債を抱えて家賃を滞納したためだと伝えられているのだが・・・。

ワンタン麺(920円)には、粗挽きの挽肉餡が入った喉越しの良いワンタンが7〜8個も!
ワンタン麺(920円)には、粗挽きの挽肉餡が入った喉越しの良いワンタンが7〜8個も!

出来上がるまでを目の前で楽しみたい!

然るに、現存している店舗は“黄色い看板”のほうの『丸福』のみである。

ただし、『丸福 西荻店』は、経営を別にして独立し、その後は中国人従業員が主体となって、ビールなどの酒類や餃子などもメニューに加わっている。

賛否両論あると思うが、『丸福』の正統な中華そば専門店を継承しているのは、荻窪の店のみと言っても過言ではないだろう。

豚ガラを中心とした動物系の主張が強いスープは、見た目ほどの醤油の濃さは感じられず、中細のストレート麺と良く絡む。

店主の幸さんが平ザルで湯切りした麺と瞬殺で湯通ししたモヤシをスープを入れた丼に投入すると、すかさず女将さんがチャーシューやメンマを盛り付け、最後にそぼろの沈んだ煮玉子のタレを掬い、ひと回しさせて完成だ。

カウンターのすぐ目の前が厨房とあって、着丼するまでの一連の行程は、ずっと観ていられて飽きない。長年連れ添った夫婦ならではの絶妙なコンビネーションは、いつもながら惚れ惚れしてしまう。

黄身の引き締まった玉子は絶品!
黄身の引き締まった玉子は絶品!

味付玉子は外せない!

『丸福』と言えば、昔から味付玉子が有名だ。今どきの味付玉子は半熟の味玉が主流なのだが、おでんの玉子を思わせるような硬茹された煮玉子なのである。しかも、かなりの大ぶり。

「玉子はね、2Lサイズをあちこちから掻き集めて使ってる。それを丸1日タレに漬け込んでおくのよ。今でも玉子2個って注文するお客さんもいるね〜」と、神谷さん。

ちなみに、刻みネギは常に冷蔵庫に保存して出し入れする。薬味は、新鮮な状態で香りと水々しさを失わないようにとの、細やかな配慮からであろう。

また、コップの水が少なくなると、二人のどちらからかともなく「お冷、大丈夫?」と、ひと声掛けてくれる気配りもいい。厨房との距離がさらに近く感じられるはずだ。

麺の茹で上がりも目視で確認、長年の勘の成せる技だ。
麺の茹で上がりも目視で確認、長年の勘の成せる技だ。

懸念される店の将来・・・

昭和22年(1947年)に創業し、”つけ麺発祥の店”として行列の絶えない人気店として名を轟かせていた荻窪駅南口の『丸長』も、昨年の11月に惜しまれつつ閉店してしまった。

もちろん、ラーメン業界に止まらず、後継者問題は津々浦々の老舗飲食店の共通課題である。店主の高齢化によって味の伝承が失われていくのは、如何ともし難い現実だ。

神谷さん自身も70代の半ばを越え、重い寸胴鍋を頻繁に動かす作業や立ち仕事の連続で、腰や背中の痛みを堪えての日々だと訴える。昨年の秋には大病での入院を余儀なくされ、休業せざるを得なかった時期もあった。

現在は昼間のみの営業になり、月曜日と火曜日を定休日にしているものの、

「寄る年波には勝てないからな〜、いつまで続けられることやら・・・」と溜息まじりに語っていたのが印象的だった。

これからも身体を労りつつ、末永く『丸福』を続けていただくことを願うばかりである。

丸福 中華そば
住所:東京都杉並区上荻1-6-1
アクセス: JR荻窪駅・ 東京メトロ丸ノ内線 荻窪駅 北口から徒歩約1分

営業時間: 11:00 - 15:00 月・火 定休(祝・祭日は営業)
*現金決済のみ

エディター・ライター(東京都杉並区)

中央線沿線の街並みとお酒をこよなく愛する、元・雑誌編集者です。長年に渡って杉並区の荻窪に在住。居酒屋をはじめ、グルメに関する話題・スポットを中心に、皆さんの役に立つ情報を発信して行きます。

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