「プーホルス、セントルイスに還る」この街が全米一のベースボールタウンである理由
先週末、エンジェルスのアルバート・プーホルスが8年ぶりにセントルイスに戻った。ブッシュ・スタジアムを埋め尽くしたファンからスタンディングオベーションを送られ、彼も第2戦では本塁打を放ち、それに応えた。感動的な場面だった。
2011年夏、ぼくはセントルイスを訪れた。その年は、球団の至宝であるプーホルスがオフにFA権を得るため、地元ファンの間でも彼の去就が最大の関心事だった。
試合前には、ボールパークツアーに参加した。そのツアー中では、エントランスに立つ1940〜50年代のカージナルスのスーパースター、スタン・ミュージアルの銅像も必見ポイントだ。その時、ガイドの球団職員がこう語ったのをよく覚えている。「将来、プーホルスの銅像も立てられるか、それはオフの彼の決心次第だ」。
しかし、地元ファンの願いも虚しく、プーホルスはエンジェルスと10年総額2億5400万ドルという(当時としては)途方も無い大型契約を結んだ。
セントルイスは、全米でもナンバーワンのベースボールタウンだと言われている。なによりもファンが選手に温かい。メディアも同様だ。選手を非難することは極めて稀で、地元紙セントルイス・ディスパッチも、基本的には「一緒に地元チームを盛り上げましょう」というノリだ(メディアの姿勢としてそれで良いかどうかは別問題だが)。
過去、問題児とされる選手がカージナルスに移ってくると、ファンの温かさに触れ「この街でいつまでもプレイしたい」と殊勝なことを言うケースも少なくない。2000年代の中心選手スコット・ローレンなどはその典型だろう。
このあたりは、ボストンやニューヨークあたりと対象的だ。メディアは地元球団に辛辣で、期待通りの働きを見せない選手には容赦ない。ファンも時にはかわいさ余って憎さ百倍とばかりに、激しいブーイングを浴びせる。
ある球団で長く活躍した選手が移籍した後、初めてその街に戻ってくるとスタンディングオベーションで迎えられることはメジャーでは良くあることだ。しかし、それがトレードかそれともさらなる好条件を求めてのFA移籍かで歓待具合は若干異なる。
プーホルスのセントルイス帰還も、仮にカージナルスを去った初年度だったらどうだろうか。それでもファンはスタンディングオベーションで迎えたとは思うが、ファンもプーホルスも少々複雑な心境だったと思う。
しかし、それから8年も経った。プーホルスに去られたファンの心の傷が癒えるには十分な期間だ。そして、その間プーホルスも衰えた。セントルイスでの全盛期においては、「史上最強打者」との声もあり、あながちそれも過大評価ではなかった。しかし、2017年には、規定打席に達した野手の中で両リーグ最低のWAR(-1.9)となった。その偉大なキャリアも晩年に差しかかろうとしている。その辺りの状況も、今回のプーホルスの帰郷をより純粋に感動的なものにしたと言えるだろう。
最後にセントルイスのファンの温かさを示すエピソードをひとつ紹介しよう。
それは2009年のことだ。この時点で、プーホルズがFAとなる2011年オフ以降の編成が課題だったカージナルスは、シーズン途中で強打者マット・ホリデイをアスレチックスから迎え入れた。
彼は期待通りの活躍を見せ、カージナルスは地区優勝。ドジャースとのディビジョンシリーズに臨んだ。ドジャー・スタジアムでの初戦を落としたカージナルスだが、第2戦はホリデイの先制本塁打もあり、8回を終了し2対1でリード。9回表の守りも簡単に2死を得た。あと1アウトでシリーズは1勝1敗のタイ。敵地で第2戦を獲ってのタイで本拠地に戻る、これはある意味では理想的な展開だ。
しかし、ここで事件は起こった。
2死からドジャースのジェイムズ・ローニーが放ったレフトフライを、太陽光線で見失ったホリデイがまさかの落球。ここで息を吹き返したドジャースは怒涛の反撃を見せ、結局逆転サヨナラとしたのだ。カージナルスは、0勝2敗と絶体絶命の状態で地元に戻ることになった。ホリデイが自責の念に駆られたのは間違いない。
ところが、地元セントルイスでの第3戦、試合前の選手紹介でも打席に入った時も、ファンはホリデイにいつ終わるとも知れぬスタンディングオベーションを送ったのだ。「気にするな」、「オレたちはそれでも応援しているぞ」、「そもそも、ここまで来れたのは君の打棒あってこそじゃないか」、そんな意味が込められていたのだと思う。
結局、カージナルスは第3戦も落とし、シリーズ敗退となったのだが、あの時のセントルイスのファンのホリデイへの応援ぶりは10年が経過した今でも忘れられない。