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事実と意見を峻別できずに「ファクトチェック」と称するなかれ

楊井人文弁護士
朝日新聞2017年3月23日付朝刊に掲載されたファクトチェック記事

最近「偽ニュース」という言葉がよく聞かれるようになり、それに伴って「ファクトチェック」を取り上げるメディアも増えてきた。昨年の米大統領選でファクトチェックが活発に行われていることを紹介したが、そのころより関心が高まっていること自体は、喜ばしいことだ。と言いたいところなのだが、どうもファクトチェックの意味を誤解していると思えてならない記事が目立つ。ここで、ファクトチェックとは何であるか、あるいは何でないのかを整理しておきたい。

ファクトチェックは「事実確認」?

多くの新聞は「ファクトチェック(事実確認)」というように、訳語をつけて紹介している。「事実確認」はまさに直訳であり、間違いとは言わない。だが、「事実確認」という言葉から一般に思い浮かぶのは、事実関係がまだよくわかっていない段階で、確認を行うプロセスではないだろうか。「ファクトチェック」の本質を表した良い訳語だとは思われない。

私は、日本語でぴったり当てはまる言葉がないので、外来語としてそのままでよいと思うが、あえて短い訳語をあてがうのなら「言説の真偽検証」あるいは「真偽検証」がふさわしいと考える。

朝日新聞は、昨年10月以来「ファクトチェック」を最も積極的に取り上げており、ほぼ毎回、用語説明も添えている

ファクトチェックはメディアが政治家の発言を検証し、「正しい」「一部誤り」「誇張」などと判断するものだ。

出典:朝日新聞2016年10月24日付朝刊「首相の答弁 正確?臨時国会中盤 『ファクトチェック』してみました」

ファクトチェック  政治家らの発言内容を確認し、「正しい」「間違い」など、その信憑性(しんぴょうせい)を評価するジャーナリズムの手法。

出典:朝日新聞2016年12月9日付朝刊「党首討論 発言は正確?『ファクトチェック』してみました」

昨年12月以降は表現がほぼ固定化しているようだが、こうした説明には非常に問題がある。「ファクトチェック」の概念を、ある側面で”弛緩”し、別の側面で”矮小化”してしまっているのだ。

第一に、ファクトチェックの主眼は、あくまで「ファクト」にある。事実関係について述べた言説に誤りがないかどうか、すなわち事実に反するかどうかや、正確性に欠けていないかどうかを第三者が調査し、判断する営みである。その際に、事実認定の根拠となる証拠などを明示することが原則だ。

朝日新聞2017年2月21日付朝刊。事実関係の言明ではない「意見」を論評しただけで、ファクトチェックとして不適切な事例。
朝日新聞2017年2月21日付朝刊。事実関係の言明ではない「意見」を論評しただけで、ファクトチェックとして不適切な事例。

ところが、朝日新聞の説明は、この核心的な要素を曖昧にしてしまっている。「事実関係の真偽」に限らず、発言内容の「意見」が「正しいか、間違いか」を「評価」することも、ファクトチェックの営みであるかのような誤解を招きかねない。困ったことに、朝日新聞や東京新聞が「ファクトチェック」と称して実際に行ったものの中には、単なる「論評」の域を出ないものが少なくない。

第二に、ファクトチェックの対象は、政治家の言説に限らない。対象となるのは、事実関係に言及した言説・言明である。当然、メディアの報道も有識者の言説も含まれる。

そもそもファクトチェッカー(ファクトチェックを専門とする職種)の起源は、1920年代の米国の雑誌だと言われている。伝統的に、メディアが自らの記事に事実関係の誤りがないかどうかをチェックすることであり、現在もそれは変わらない。たとえば、米国のキャリア支援サイト「Study.com」では、ファクトチェッカーは「メディアの報道や公表された記事の情報を検証する」職業と紹介されている。

ところが、朝日新聞の説明では「政治家らの発言内容」としか書かれていない。「ら」と含みをもたせているが、自分たちメディアの報道がファクトチェックの対象になることを隠そうとしているのかと勘ぐられてもしかたない。

東京新聞が行っているのは「ファクトチェック」ではない

朝日新聞に触発されたのか、最近、東京新聞も「ファクトチェック」と称した記事を立て続けに載せている。結論からいえば、ファクトチェックの意味を全く理解していないと思わざるを得ず、唖然としてしまった。事実か意見かという最も基本的な区別ができていないのである。

3月19日付朝刊では、2013年9月に行われた安倍首相の五輪招致演説の「ファクトチェック」記事なるものが掲載され、「2020年を迎えても世界有数の安全な都市、東京」という発言が取り上げられている。これは事実関係に関する言明だろうか。この発言について、東京新聞の「担当記者」は、「首相は今国会で『共謀罪』の趣旨を盛り込んだ法律を成立させないと『東京五輪も開けないと言っても過言ではない』などと答弁」とコメント。記事本文では「(共謀罪)法案が成立しなければ五輪は開けないという今の主張とは大きな差がある」とも指摘している。

東京新聞2017年3月19日付朝刊2面のファクトチェック記事より。
東京新聞2017年3月19日付朝刊2面のファクトチェック記事より。

いったい安倍首相の発言中どのような事実関係の疑義を検証したのだろうか。これが安倍首相の発言に対する単なる批評の域を出ないことは、多言を要しないだろう。

他の発言も、事実関係の言明とは言えない発言を取り上げて論評しているだけで、「ファクトチェック」の営みとはおよそ関係のないものばかりであった。こうした記事を「ファクトチェック」と呼ぶこと自体が、”誤報レベル”である。

私は、メディアが政治家の発言を検証したり、批判的に論評すること自体の意義を否定するものではない。

だが、単に、ある言説を批判的に論評したり、異論を唱えたりすることを「ファクトチェック」と呼ぶことはやめていただきたい。ファクトチェックはもっと厳正なものであり、社会に誤った情報が広がらないように、立場を超えて首肯せざるを得ない事実と証拠を突きつける営みなのである。

朝日新聞のファクトチェックも厳正さに欠ける

朝日新聞は過去に6回ほど「ファクトチェック」記事を掲載しており、東京新聞ほど酷くはないものの、疑問がつくものが少なくない。

たとえば、3月23日付の記事では、安倍首相が2月28日の参議院予算委員会で「(森友学園の職員に)大臣賞を出した年は2012年ですから、民主党政権時代なんです」という発言を取り上げ、「誤り」と判断していた。その根拠として、文部科学大臣表彰が安倍内閣になった2013年1月に行われたことを挙げている。他方で、表彰者を推薦したのは民主党政権下の文科相であり、決定通知をしたのも2012年12月(安倍内閣発足は12月26日)であったことも記されている。「大臣賞を出した」という発言は、「実質的に表彰者を決めた」という意味にも解釈でき、形式的に表彰式がいつ行われたかより重要であろう。これを「誤り」と言い切ることは疑問がある。しかも、「首相自身が策におぼれた感」とか「開き直った」といった、冷静に事実を指摘すべきファクトチェックに似つかわしくない論評的表現があちこちに出てくる。

朝日新聞2017年2月10日付朝刊1面のファクトチェック記事より。
朝日新聞2017年2月10日付朝刊1面のファクトチェック記事より。

また、2月10日付の記事では、安倍首相が1月30日の参議院予算委員会で憲法改正に関して「どのような条文をどう変えていくということについて、私の考えは(国会審議の場で)述べていないはずであります」と発言したことを取り上げ「誤り」と判定。その根拠として安倍首相が2013年2月、改憲手続きについて定めた憲法96条の改正の必要性に言及していた事実を指摘している。

この安倍首相の発言は、自らの過去の国会答弁に関する事実認識を述べたもので、事実に関する言明に当たる。したがって、ファクトチェックの対象となり得るのだが、この発言は次のようなやりとりで出てきたものだった(以下、太字は引用者)。

【参議院予算委員会・平成29(2017)年1月30日】

蓮舫議員(民進党代表) 憲法九条、憲法四十三条について、去年、総理は衆議院でも参議院でも具体的に説明をしています。なぜ二十四条については語られないんでしょうか。

安倍首相そのときも基本的に、言わばどのような条文をどう変えていくかということについては私の考えは述べていないはずであります。

朝日新聞の引用では省略されているが、安倍首相は、蓮舫議員が「去年」と述べた質問を受けて「そのときも」と発言しており、2016年の国会審議を念頭において答弁したものだったと考えられる。そうである以上、2013年の発言を持ち出して「誤り」と判定するのはおかしい。この発言が誤りだというためには、2016年に憲法の条文をどう変えていくかについての考えを述べた発言を探し出さなければならない(安倍首相は「どう変えていくか」について「私の考えは述べていない」と言っている)。

私が2016年の国会答弁を調べたところ、稲田朋美・自民党政調会長(当時)の質問に対して次のように答弁した事実があった。

【衆議院予算委員会・平成28(2016)年2月3日】

安倍首相 (…)もとより自由民主党は、今委員(引用注:稲田議員のこと)がおっしゃったとおり、立党以来、憲法改正を党是としたわけでありまして、そうした谷垣総裁のもとで相当な議論を行って憲法改正草案を発表しております。

その中では、第九条第二項を改正して自衛権を明記し、また、新たに自衛のための組織の設置を規定するなど、自由民主党として、将来のあるべき憲法の姿をお示ししています。

そういう意味におきましては、いわば憲法解釈について、七割の憲法学者が、憲法違反の疑いがある、自衛隊に対してそういう疑いを持っているという状況をなくすべきではないかという考え方もあり、また、そもそもこれは占領時代につくられた憲法である、時代にそぐわなくなったものもある、そして、私たちの手で憲法を書いていくべきだという考え方のもとに、私たちは私たちの草案を発表しているわけであります。さきの総選挙においても、憲法改正を目指すことは明確に示しているわけでございます。

また、次のような答弁もあった。

【衆議院予算委員会・平成28(2016)年2月5日】

重徳和彦議員(民進党) (…)質問ですが、総理御自身の九条二項についての考え方というのは自民党の改憲草案と同じなんでしょうか、それとも違うんでしょうか。

安倍首相 (…)九条二項について、我が党はそれを変えるということについて議論を行い、そして我が党の憲法草案として出しているわけであります。私は、総理大臣という立場と同時に自民党の総裁である以上、自民党の総裁としては、自民党で出しているこの憲法草案について、我が党の考え方である、当然私も総裁として同じ考え方である、こういうことでございます。

…(略)…

重徳議員 (…)現行憲法のままでいいのか。解釈変更という形で今の安保法制をそのまま通していいのか。あるいは、今の安保法制、一分たりとも疑いをかけられないためには、九条二項を改正して、限定容認なのか無制限なのかわかりませんが、集団的自衛権を認める形にした方がいいとお考えなんでしょうか。政府の立場としてどうごらんになっているか、お答えください。

安倍首相 政府の立場としては、現行憲法を尊重、遵守していくことは、擁護していく義務を負っているわけでありますから、これは当然のことでございます。(…)と同時に、我が党としては、先ほどお話をいたしましたように、全党における議論の中において、憲法九条において二項を変えるべきだ、こういう判断をしたわけでありまして、実力組織自衛隊の存在をしっかりと明記すべきではないか、こう考えたわけでございます。

そこで、安倍首相の元の発言に戻ろう。その発言には「2016年の国会審議において具体的に条文をどう変えるかについて、私(安倍首相)の考えを述べたことはない」という事実関係の言明が含まれていた。しかし、実際は、自民党が発表した憲法9条改正の具体案に言及し、「当然私も総裁として同じ考え方」などと述べていた。よって、安倍首相の当該発言は事実に反し、「誤り」だったと言える。

僭越ながら、これが「ファクトチェック」というものである。

弁護士

慶應義塾大学卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHoo運営(2019年解散)。2017年からファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年『ファクトチェックとは何か』出版(共著、尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。2022年、衆議院憲法審査会に参考人として出席。2023年、Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット賞受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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