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朝ドラ『エール』の空気を一変させた『絶対零度』役者のすごさ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

朝ドラ『エール』の描く「戦争に協力した人」の姿

朝ドラ『エール』は、戦争の描き方は、これまでと少し違っていた。

主人公は、「はからずも軍部に協力して戦意高揚のためを作曲しつづけた」作曲家・古山裕一である。(モデルは古関裕而)。

主人公の戦争に対する態度がこれまでの朝ドラとは少し違っている。

彼は戦時中は「この国民的な戦争に参加できないこと」にひけめを感じ、戦後は「戦争に協力的だったこと」を強く後悔している。

おそらくあの時代の壮年、だいたい明治の終わりごろ生まれから大正生まれの人たちの、ごくごくふつうの姿だろう。

「戦争はあの時代を作った大人たちが悪いのだ」と無邪気に言える「昭和生まれの人たち」とはまったく違う、いわば「大人の視点」からのドラマになっていた。(つまり、昭和生まれの視点から作られたドラマは、どこか幼い思い込みが残るということになる)。

ドラマ『エール』の戦時描写のすぐれているところ

主人公の妻(二階堂ふみの演じる音)の姉(吟:松井玲奈)は軍人と結婚している。

奥野瑛太が演じる関内智彦である。

帝国陸軍でのそこそこの地位にいるから、彼らは東京住まいである。吟と音の姉妹はけっこう行き来をしていたから、住まいもそんなに遠くないのだろう。

軍人の関内智彦は陸軍省の馬政課に勤務し、軍馬の映画『暁に祈る』の主題歌を主人公に依頼していた。

(調べていて知ったのだが、このときの馬政課の課長はのちに硫黄島の戦いを指揮して戦死した栗林忠道中将〔戦死後に大将、馬政課長時代は大佐〕だったようだ。映画『硫黄島の戦い』で渡辺謙がやっていた役)。

朝ドラ『エール』のすぐれたところは、主人公が「戦争に協力した」立場にあったため、陸軍や軍人をさほど「形式的な狂信者」としてだけでは描いていないところにある。

主人公の妻の姉の家庭風景もときどき描かれていた。つまり軍人さんの家庭である。

軍人のころの「智彦さん」はけっこうぴりぴりしていた。

まあそうだろう。

昭和12年の盧溝橋事件以降、日本国はどんどん軍部が牽引していくような形になり(政治家はそういうつもりではなかったのだろうが、最後は強引に引っ張られていくことになる)、軍人の力がもともとの想定より大きくなり(もともととはたとえば明治の元勲や憲法の想定だけど)、自己肥大化していった。

それについていった軍人もいただろうが、「無理し続ける軍部」とは同一化しにくい軍人もいたはずである。でも軍人であるかぎりは軍の方針に従う。自然、無理が重なる。いろいろぴりぴりもする。

巨大な組織なのだから、想像してみればそんな人がいたことは、ふつうはわかるはずだ。

でも、いままでのドラマでは軍部や軍人は画一的で(だいたい庶民の敵というような役どころである)、そういう想像がしにくかった。

戦後のわれわれは、軍人はみんな「狂信的な人物だった」と考えてしまいがちであり、それはそう考えるほうが楽だからでしょうな。

「もてあましている姿」をきちんと演じる奥野瑛太の見事さ

『エール』の「智彦さん」は、当時のふつうの人である。

がちがちに真面目で、家でも威厳を保つ主人である。

外で起こったことを、家内では話題にしない、というタイプだった。

これは軍人にかぎらず、昭和前半の家庭風景としては、ふつうのことだったとおもう。

ふつうの血の通った人として描かれていた。

軍人だったから、戦争が終わると路頭に迷う。

軍人は「政府の役人」でもあり「特殊技術の人」でもあった。でも戦争が終わり、軍は解体されて再軍備は禁止されたので、それまでのキャリアがまったく使えない。

過去のキャリアが何も役に立たないただの無職である。

職を探して苦労している姿が見られた。

すべてをもてあましてる感じが出ていて、その姿を見せる役者・奥野瑛太が見事だった。

この人は、とても身体性を強く感じさせる役者だとおもう。

セリフを言う前の存在感がきちんとしていて、その佇まいだけで見入ってしまう。

主人公の義兄・智彦さんは「陸軍中佐」のエリートだった

再就職のときに彼の出した履歴書が映しだされていたが、それには赫々たる履歴が並んでいた。

陸軍幼学校から士官学校に進んだエリートで(幼学校は当時の中等学校にあたる)、卒業後、騎兵隊第十九連隊の少尉に任官。最後は中佐まで昇進している。すごいエリートである。

最後の昇進はいわゆる「ポツダム昇進」、つまり敗戦が決まってからの昇進ではないかとおもわれるが、それまででも少佐である。すごく偉い。なんか、軍人さんの位で偉さを測るのは裸の大将をおもいだしてしまうのだが、でもそういうしかない。

履歴書が映し出されたあとに、工場の鉄屑拾いの仕事があるといわれ、そんなものができるかと、憤然と席を立つシーンがあったが、たしかにそうだろう。

陸軍中佐は、ふつう鉄屑拾いをやらない。

プライドがあまりに高い。たしかにそういう作業には向いてないだろう。

エリート軍人が「あったかい人」になっていく見せどころ

でも彼は、やがてラーメン屋をやることになるのだ。

ここんところが、すごくいい。

かなり定型的な(ベタな)展開でもあったが、見ていて、ただ気持ちがあったかくなる。

それは、ドラマ『エール』がもともと持っているトーンと、ちょっと違うものだった。

スピンオフといっていいような展開だった。

また同時に「エリート軍人の戦後の苦労」も知ることにもなる。

ほろっとする“人情噺”として作り込まれていて、すなおにほっと見られる王道の展開でもあった。

「智彦さん」は職を探したけど見つからず、屋台のラーメン店の手伝いを始める。

それを見かねた陸軍士官学校の同期が、経営している貿易会社に迎えいれてくれる。

陸軍将校が戦後に貿易会社へ勤めるというのは、まさかこれから山崎豊子『不毛地帯』的な展開を見せるのかと驚いてしまった。

2009年のドラマで唐沢寿明が演じていた主役は陸軍参謀だった瀬島龍三中佐がモデルだと言われている。「智彦さん」と同じ中佐である。

孤児のことを「友だちだ」という姿

まじめに貿易会社で働いていたが、96話、それが転換する。

「智彦さん」は、ラーメン店を手伝っていたころ戦争孤児のケンと仲良くなっていた。

(余談ながら、世代的にはセンソウコジという言葉はあまり耳慣れない言葉で、当時も、そのあと戦後もずっと、彼らは「浮浪児」と呼ばれていた。ちょっとひどい呼称だとおもうが、歴史的事実として言えば、そういう呼称だった)。

あるとき、孤児のケンが寝ぐらでぐったりしているのを見かけ、病院に運び込む。

身のまわりのものを妻に買ってきてもらい、この子はだれかと妻に聞かれ、「友だちだ」という。もとは財布をひったくられたところから知り合った孤児なのだが、不思議な交流が続いていたのだ。たぶん、やさぐれた元軍人と、なにか通じるところがあったのだろう。はにかんだ表情で、孤児を「友だちだ」という智彦さんは見ていてほっとする。

そのあと妻の吟は、この子を家に連れ帰り、食事をさせる。

「ほっとけないから強引につれてきちゃった」という。

智彦さんは、それを聞いてやさしい表情になっていた。

そして奥の部屋でひとり酒を飲む。

奥野瑛太の「丸まった姿」に心動かされる

このときの智彦さんの姿をみて、感心してしまった。

彼は、すくっと立っていると軍人さんらしくりりしい。

放送局で主人公とすれ違ったときなどは、颯爽としていて軍人らしかった。

でも、座敷に座りこんで酒を飲んでいる姿は、少し丸まって、ちぢこまっていた。

その姿が、いろんなものを語っていた。

もと軍人が不本意な戦後を送っていることを、座っている姿だけで雄弁に語っていた。

偶然とった姿形ではないだろう。役者・奥野瑛太の力だとおもう。

ぐっと、引き込まれてしまった。

一幅の絵のような奥野瑛太と松井玲奈の夫婦姿

孤児を寝かしつけた妻がやってきて、一緒に酒を飲む。智彦さんは妻がけっこう飲めるのをこのときまで知らなかった。

何かを悩んでいる彼に、どうしたのですか、と妻は聞く。

なんでもないと、いつものように語ろうとしない。

でもこの日の妻は引き下がらなかった。

「お願いします、今日は話してください」と迫る松井玲奈はやさしく、りりしく、あったかい。

いまの貿易会社に勤めつづけていていいのかを悩んでいる、とぽつぽつと語る。

聞き終わって妻は彼を見据えていう。

「人のために命を燃やせるのがあなたの誇りでしょう。その生き方ができるほうを選んでください」

その言葉によって彼の心が動く。

丸っこく座っているもとの陸軍中佐と、凜として対峙している妻の姿が一幅の絵のようで、見事だった。

役者の奥野瑛太と松井玲奈が作り上げた絵である。

どうやら孤児のケンも家に引き取るようだ。

こうなって欲しいと願ったとおりの展開で、ベタといえばベタ、でも見てる者の気持ちをすべて掬い取ってくれたようで、清々しい気持ちである。あったかくもなる。

歴史的な事実をもとに描かれている主人公まわりでは見せられなかった空気が、ここにはあった。

このドラマを作ってる人たちは、ほんとはこういう「お話」をたくさん入れたかったんじゃないかと感じさせる部分だった。

もし可能なら、どんどん入れて欲しい。

『絶対零度』で見せていた奥野瑛太の凄み

この「あったかい空気」をしっかり感じられるように作り上げたのは役者の力だろう。

松井玲奈と奥野瑛太である。

とくに奥野瑛太。これまでさほど意識してなかった役者だから、あらためてその存在感に舌を巻いた。

奥野瑛太はこれまでもいくつものドラマに出ている。

大河ドラマ『おんな城主 直虎』では武田勝頼の役で出ていたが、そんなに印象に残る役どころではない。(長篠の戦いでは、言葉は発していなかった)

彼が印象的なのは、何といっても『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』の悪役だろう。

主演の沢村一樹の家族殺しの犯人とされていた。

シーズン3(2018年7月から)で出現し、シーズン4(2020年1月から)でも印象的に登場する。

沢村一樹演じる刑事は暴走して、犯人の口の中に銃をさしこんで発砲しようとするシーンがあるが、その相手役である。

不気味な存在感があった。

身体性を強く感じさせる役者である。

だから今回の朝ドラ『エール』でも軍人役を担ったのだろう。

軍人から、ふつうの人へ変わっていくさまを、その身体できちんと表現していた。

なかなかドキドキする役者である。

ちょっとしばらく目を離せない。

朝ドラ『エール』が、「はからずも戦争に協力した人たち」への客観的な視点を保ちつづけていたから、こういう「もと軍人のあったかいシーン」と身体性にすぐれた役者を提供してくれたのだとおもう。智彦・吟夫婦のこれからもとても楽しみである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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