<イラク・モスル>ISから解放4年 再建遠く 恐怖支配耐えた教師たちの嘆き(写真10枚)
◆IS思想で教育機関を支配
イラク第二の都市モスル。アッシリア帝国が首都ニネヴェを置いた地だ。この町が過激派組織「イスラム国」(IS)に制圧されたのは、2014年のことだった。この時、私は住民たちに密かに連絡を取ろうと試みた。
「なんとか今日を生きていますが、私と家族が、この先どうなるか不安でたまりません」
ようやくつながった携帯電話で話してくれたのが、モスル大学工学部の教員、サアド・アル・ハヤート氏(当時44歳)だった。
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ISは町を支配すると、独自に解釈したイスラム法を布告した。戦闘員らが「神の代理人」のごとく振る舞い、子どももいる路上で斬首や銃殺を繰り返した。教育現場にはISの指導に沿ったカリキュラムが強制され、女子教育は大幅に制限された。
「工学部では女子学生が排除され、教え子が肩を落として泣いていた」。サアド氏は無念の思いを打ち明けた。のちに工学部全体が閉鎖され、失職。ISの恐怖におびえ、家から出るのを控えた。
◆戦火の子どもたち
16年秋、イラク軍は米軍・有志連合の支援を受け、モスル奪還作戦を開始。戦況が悪化するとISは中学生ほどの少年まで動員し、自爆車両でイラク軍の拠点に突撃させることもあった。さらに、その様子をプロパガンダ映像で「ジハード」などとして宣伝した。
子どもを含む住民らが戦闘と空爆に巻き込まれ、たくさんの命が失われた。作戦が続くなか、私はISから解放された地区に治安部隊と入った。瓦礫(がれき)が広がり、焼け焦げた戦車が残る住宅地を進んだ。
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空き地では、中学生ほどの少年たちが鉄くず拾いをしていた。家計の足しに鉄を集めて売るという。「戦争が終わったら、こんな仕事しなくて済むかな」。ひとりがつぶやいた。
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◆学校再開するも 心に深い傷
18年、再びモスルを取材すると、多くの学校が再開されていた。子どもたちの登校風景を目にした私は、明るい未来を期待した。
しかし、女子中学校で英語を教えるスマア・アルハマダニ先生(当時47歳)は言った。
「破壊されたままの校舎がいくつもある。心の傷は深く、急に泣き出す生徒がいる。その上、生活困窮で学校に行けない子も少なくない」
◆遅れるモスル再建
政府はモスル再建委員会を設置し、さまざまなプロジェクトの検討を始めている。先日、私は先生たちに改めて連絡を取った。
モスル大学の教員に復帰したサアド氏は、「行政機関の怠慢と腐敗で復興は遅れている」と嘆く。彼は現在、学生に数学を教える。IS支配前と比べ、全体の学力が下がったと感じている。
◆過激組織 阻むために教育が大切
フセイン政権崩壊後、イラクではシーア派のマリキ政権が宗派色を強めた。スンニ派のモスル市民は、シーア派の影響力が強い警察や治安機関から不当逮捕などの扱いを受けてきた。政府に憤るスンニ派住民に加え、貧しい階層、教育を受ける機会のなかった若者を取り込む形でISは勢力を拡大した。
多大な犠牲を払ってようやくISが去り、イラク人が結束して復興を進めなければいけない時に、怠慢や腐敗で、学校に行けない子どもたちが置き去りにされている。イラクでは今も潜伏するISが爆弾攻撃や暗殺を続ける。
「教育が途絶えると、過激組織に利用される土壌を生んでしまう。心配でならない」
スマア先生はそう伝えてきた。
【写真特集・モスル】イラク軍掃討作戦からIS台頭までを振り返る
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年8月17日付記事に加筆修正したものです)