【富岡八幡宮殺傷事件】日本刀は誰でも所持することができるのか
富岡八幡宮殺傷事件
今月7日、東京・江東区の富岡八幡宮の近くで、神社の女性の宮司が殺害され、切りつけたと見られる弟が自殺するなどして合わせて3人が死亡したという衝撃的な事件が起きました。
被害者の女性と容疑者の男性は姉弟であり、二人の間では宮司の地位をめぐって関係が悪化していたことなどが注目を集めています。
日本刀を所持するためには? 銃砲刀剣類取締法の規定
今回、犯行に使われた凶器は、刃渡りおよそ80センチの日本刀、刃渡り45センチほどの日本刀とサバイバルナイフ2本だったということで、この「日本刀が凶器に用いられた」という点も、非常に特徴的な事件だといえるでしょう。
この日本刀とサバイバルナイフは、どちらも刃物ですが、刃物については、銃砲刀剣類所持等取締法が規制をしており、対象となる「刀剣類」は以下のように定義されています。
第2条(定義)
2 この法律において「刀剣類」とは、刃渡り15センチメートル以上の刀、やり及びなぎなた、刃渡り5.5センチメートル以上の剣、あいくち並びに45度以上に自動的に開刃する装置を有する飛出しナイフ(刃渡り5.5センチメートル以下の飛出しナイフで、開刃した刃体をさやと直線に固定させる装置を有せず、刃先が直線であってみねの先端部が丸みを帯び、かつ、みねの上における切先から直線で1センチメートルの点と切先とを結ぶ線が刃先の線に対して60度以上の角度で交わるものを除く。)をいう。
サバイバルナイフの刃渡りは明らかではありませんが、おそらく日本刀は刃渡り80センチと45センチとのことなので、銃砲刀剣類所持等取締法の規制対象となります。
さて、その場合どのような規制に服するのか?ということが問題になります。
日本刀を所持するためには何が必要なのでしょうか?やはり許認可が必要だと思っている人も多いのではないでしょうか。
実は、日本刀を所持するには、許認可は必要ないのです。
銃砲や刀剣類については、銃砲刀剣類取締法という法律が規制していますが、銃砲と刀剣類については大きく取扱いが異なります。
銃砲刀剣類所持等取締法3条は以下のように規定しています。
第3条(所持の禁止)
何人も、次の各号のいずれかに該当する場合を除いては、銃砲又は刀剣類を所持してはならない。
(中略)
(6) 第十四条の規定による登録を受けたもの(変装銃砲刀剣類を除く。)を所持する場合
原則として、刀剣類を所持することは禁止されていますが、6号で定める通り、この法律にしたがって登録をすれば、例外として所持することが認められます。14条は以下のように規定しています。
第14条(登録)
1 都道府県の教育委員会は、美術品若しくは骨とう品として価値のある火縄式銃砲等の古式銃砲又は美術品として価値のある刀剣類の登録をするものとする。
2 銃砲又は刀剣類の所有者(所有者が明らかでない場合にあっては、現に所持する者。以下同じ。)で前項の登録を受けようとするものは、文部科学省令で定める手続により、その住所の所在する都道府県の教育委員会に登録の申請をしなければならない。
3 第一項の登録は、登録審査委員の鑑定に基づいてしなければならない。
4 都道府県の教育委員会は、第一項の規定による登録をした場合においては、速やかにその旨を登録を受けた銃砲又は刀剣類の所有者の住所地を管轄する都道府県公安委員会に通知しなければならない。
5 第一項の登録の方法、第三項の登録審査委員の任命及び職務、同項の鑑定の基準及び手続その他登録に関し必要な細目は、文部科学省令で定める。
このように、「刀剣類」については、「銃」と異なり武器ではなく、あくまで文化財・美術品として扱われるため、文化的・美術的価値のある日本刀については、一口ずつ登録し、銃砲刀剣類登録証が交付される必要はあるものの、所持するためには、免許や資格などはなにもいらないわけです。
もっとも、ここで登録が認められるのは、美術品として価値が高いものに限られますので、伝統的な製作方法である、玉鋼、折り返し鍛錬、皮・心鉄構造といった江戸時代後期の製法に従って製作された刀、やり、ほこ、なぎなたなどに限られます。したがって上記の伝統的な製法以外の方法で作られた軍刀、例えば、三十二年式軍刀や九五式軍刀、海外で制作された刀剣は、登録の対象となりません。
銃砲刀剣類登録証の記載事項は、種別(刀・脇差し・短刀など)、長さ(刃渡り)、反り、目釘穴の数、刀工の銘などであり、所有者の氏名は記載されていません。ただし、譲渡・相続・貸付などが行われた場合、名義変更について都道府県の教育委員会に届け出る必要があります。届出た所有者の氏名は都道府県の登録台帳に記載されます。
第17条(登録を受けた銃砲又は刀剣類の譲受け、相続、貸付け又は保管の委託の届出等)
登録を受けた銃砲又は刀剣類を譲り受け、若しくは相続により取得し、又はこれらの貸付け若しくは保管の委託をした者は、文部科学省令で定める手続により、20日以内にその旨を当該登録の事務を行った都道府県の教育委員会に届け出なければならない。貸付け又は保管の委託をした当該銃砲又は刀剣類の返還を受けた場合においても、また同様とする。
ただし、登録証が無いものを所有、売買した場合は銃刀法違反となり、罰せられます。仮に古い家の庫の奥から日本刀が発見されたら、警察署で発見の届出を行う必要があります。
また、登録のある刀剣類であっても認められるのは所持することのみです。特に意味も無く持ち歩いた場合や振り回した場合も違法となります。
第22条(刃体の長さが6センチメートルをこえる刃物の携帯の禁止)
何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めるところにより計った刃体の長さが6センチメートルをこえる刃物を携帯してはならない。ただし、内閣府令で定めるところにより計った刃体の長さが8センチメートル以下のはさみ若しくは折りたたみ式のナイフ又はこれらの刃物以外の刃物で、政令で定める種類又は形状のものについては、この限りでない。
刀剣類取締の歴史と占領下の刀狩り
1876年(明治9年)3月28日、明治政府は、大礼服着用の場合並びに軍人や警察管理などが制服を着用する場合以外に刀を身に付けることを禁じる内容の太政官布告を発しました。世にいう「廃刀令」または「帯刀禁止令」です。正式には、「大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件(明治9年太政官布告第38号)」といいます。
この太政官布告では、あくまで帯刀を禁じており、刀剣類の所持そのものは認めていました。
その後、大東亜戦争が終わると、占領統治に入った進駐軍が戦利品として日本刀の略奪を始めます。これは、1945年8月19日に開催されたマニラ会談において定められた「一般命令第一号」11条、「日本國大本営及日本國当該官憲ハ聯合國占領軍指揮官ノ指示アル際一般日本國民ノ所有スル一切ノ武器ヲ蒐集シ且引渡ス為ノ準備ヲ為シ置クヘシ」という文言を根拠としたものでした。
日本側は、武器としての軍刀は別として、各家の家宝である日本刀の接収についてやめるよう要望を出しますが、あくまで武装解除を徹底することを目的として、進駐軍の刀狩りは止むことはありませんでした。こうして海外に持ち出された日本刀の数は数万にものぼり、中には国宝級・重要文化財級のものもあったと言われています。
その後、日本側が繰り返し要請を行ったこともあり、進駐軍の担当者であるキャドウェル大佐・米第8軍憲兵司令官が、日本人の刀に対する精神的な畏敬感情と日本刀の高い芸術性に理解を示してくれるようになりました。結果的に、彼の尽力によって、接収された日本刀のうち一部が返却されています。
このように、日本刀が文化的価値を認められ、守られてきた歴史の裏には、様々な人々の大変な努力が刻まれています。
歴史的・文化的に価値のある日本刀は、武器ではなく、日本における伝統文化を構成する文化財・工芸品であるといえるでしょう。実際に歴史においても、日本刀は戦場で用いられてきたというよりも、やはり祭祀的な意味合いや家宝・美術品として存在してきたという面が強いようです。
日本刀が戦場で「主要な武器」になったことは一度もない! 殺傷率は「投石」以下
そのような日本刀がこのような兇行に用いられてしまったことは、とても哀しく許しがたいことです。仮に、このような犯行がまた繰り返されれば、これまで登録証のみで自由に認められてきた日本刀の所持が、法律で規制されてしまう可能性もあります。法律によらずして、文化を守ることができるのであれば、それに越したことはありません。今後も、文化としての日本刀が守られていくことを切に願います。