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日本でなぜ蕎麦文化が花開いたのか:蕎麦と火山との密接な関係

巽好幸ジオリブ研究所所長(神戸大学海洋底探査センター客員教授)
(写真:イメージマート)

夏そばのシーズン真っ盛りだ。王道の秋新に比べると味わいはやや淡白だが、一方で喉越しの清涼感は優れているように思う。こんなそばは、特に暑い日の夕方には凍結酒とざるでいただくのが何よりだ。

初夏の風に吹かれて白い花が揺れるソバ畑は美しい。私が初めてこの光景を目にしたのは小学生の頃。白いじゅうたんの背後には抜けるような青空と真っ黒な岩手山があった。その後大人になってソバの花を見た蔵王や御嶽山麓開田高原でも、同じような光景が広がっていた。こうして私の頭の中には、ソバ=火山という等式が出来上がってしまった。しかし、この関係は決して私の思い込みだけではないようだ(図)。

日本列島の活火山、ソバ産地、黒ボク土の分布(産業総合研究所の原図を加工)と典型的な黒ボク土の断面(農研機構日本土壌インベントリーの原図を加工)。
日本列島の活火山、ソバ産地、黒ボク土の分布(産業総合研究所の原図を加工)と典型的な黒ボク土の断面(農研機構日本土壌インベントリーの原図を加工)。

火山性の耕作不適土壌「黒ボク」に育つソバ

ソバの産地が火山の山麓に多い理由の一つは、ソバの花粉発芽適温が20以下で栽培には冷涼な気候が適していることにある。日本列島の高山には火山が多いのだ。

そしてもう一つの理由は、火山性の土壌にある。

世界一の火山大国である日本では、火山灰などの火山砕屑物や火山性のレス(風成堆積物)が広く分布しており、これらが地表で腐食した土壌である「黒ボク土」が、国土の30%程度を覆っている(図)。実はこの土壌は作物を育てるには向いていない「耕作不適土」なのである。

作物の生育にはリンが必須なのだが、火山性の黒ボク土ではリンがアパタイトという難溶性の鉱物に含まれたり、アルミニウムなどと結合するために、作物がリンを吸い上げることができない。黒ボク土は真っ黒で肥沃そうに見えるが実は「痩せた土壌」の代表格なのだ。

ところがソバはそんな黒ボク土でも育つ。なんと土中の鉱物などからリンを効果的に吸収する特殊な根を持っているのだ。だからソバは、米はもちろん野菜も育ちにくい黒ボク土が広く覆うこの国では、貴重なエネルギー源である上に冷害などにも強い穀類として、人々の命を繋ぐ「救荒作物」だったのである。

ソバと同じように、黒ボク土からのリン吸収を助ける根粒菌や菌根菌などの微生物と共生する大豆やじゃがいもも、この火山大国では重要な救荒作物であった。

始まりは江戸時代、黒ボク土の持続的活用

関東平野は日本でも黒ボク土が広く覆う地域である(図)。江戸幕府開闢以来江戸の人口は増加の一途を辿り、新鮮な野菜の調達が幕府にとって大きな課題の一つだった。米は天領から運び、魚介は江戸前で賄えばよかったのだが、野菜は近隣で栽培する必要があった。しかし江戸の背後に広がる広大な武蔵野台地は耕作不適土黒ボクで覆われていた。

将軍綱吉は寵臣の柳沢吉保とともに黒ボク土の土壌改良など農業改革を進めた。堆肥や下肥、それに干鰯などでリンを補給したのだ。こうして現在まで続く江戸野菜の栽培が始まった。

戦後は化学肥料を用いた大規模な土壌改良が行われ、千葉県や神奈川県の台地域は首都圏を支える野菜の供給地となった。一方で、世界的なリン資源の減少に伴う価格の高騰や、リン酸の過剰施肥による環境汚染、それに連作障害などの問題が顕在化している。

そんな状況で注目したいのが、ソバなどのリン吸収能力の高い作物の栽培である。ソバの他にもダイコンなどのアブラナ科の植物の根も、先に述べたようにリンの吸収力が高い。また、大豆などの豆類やジャガイモは、根粒菌や菌根菌などの微生物が共生してリンの吸収を助ける。これらの節リン作物を含む栽培戦略を立てることで、黒ボク土の弱点を補いながら持続的な農業を進めることが期待される。

やや薄暗い照明の下でジャズが流れる今風の店で、入手困難な日本酒とともにそばをいただくのは確かにオシャレである。だがその際に、火山大国の民が生き延びるためにソバを育ててきたことを少しだけ思い出していただければ、よりそばの深い味わいを楽しめるに違いない。

ジオリブ研究所所長(神戸大学海洋底探査センター客員教授)

1954年大阪生まれ。京都大学総合人間学部教授、同大学院理学研究科教授、東京大学海洋研究所教授、海洋研究開発機構プログラムディレクター、神戸大学海洋底探査センター教授などを経て2021年4月から現職。水惑星地球の進化や超巨大噴火のメカニズムを「マグマ学」の視点で考えている。日本地質学会賞、日本火山学会賞、米国地球物理学連合ボーエン賞、井植文化賞などを受賞。主な一般向け著書に、『地球の中心で何が起きているのか』『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』(幻冬舎新書)、『地震と噴火は必ず起こる』(新潮選書)、『なぜ地球だけに陸と海があるのか』『和食はなぜ美味しい –日本列島の贈り物』(岩波書店)がある。

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