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ザックジャパンの問題は『監督<選手』のいびつな関係にあり

中山淳サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

日本目線で見た場合とNZ目線で見た場合の大きな違い

「最初の25分間は、我々の良いプレーが出来ていた」

4-2で勝利したニュージーランドとの親善試合を終え、指揮官はこう言った。確かに、前半開始わずか17分で4ゴールを立て続けに奪ったことを考えれば、最初の25分間でゲームは決まったと言っていい。

そして、ザッケローニ監督は続けてこうも言った。

「時に起こることだが、早い時間で4点リードしたことで、チームとして少しペースを落としてしまい、怪我のリスクマネージメントをしている選手もいた」

確かに、これもサッカーではよくあることで、立ち上がりで4点もリードすればペースダウンするのは当然のことではある。

要するに、指揮官は最初の25分間とその後の時間とを分けて考え、2つの側面から自分たちを分析したわけだ。

あくまでも、これは日本代表目線、ザッケローニ目線の話である。

しかし、この試合をニュージーランド目線で振り返ってみると、これとは違った景色が見えてくる。

開口一番、「最初の10分がなければ」と語ったのは、ニュージーランドのエンブレン監督だ。彼は、最初の10分間のことを問われると、こう答えている。

「経験不足で、ナイーブで若いところがミスを生んだのだと思う。1点目はコミュニケーションミス。3点目はフリーでヘディングシュートを打たれた。4点目はGKのミスからやられてしまった。日本が自分からゴールを奪ったというよりも、われわれがプレゼントしてしまったという性質の強いゴールだった」

確かに、今回のニュージーランドは次のW杯の準備に向けた若手中心のチームであり、完全アウェイでの格上との対戦ゆえ、立ち上がりはチーム全体が地に足がついていない状態だったことは否定できない。

さらにエンブレン監督のコメントに補足をさせてもらえば、日本の3点目につながったPKのジャッジについても、国際大会であれば2点リードの状況で笛を吹いてくれるかどうかは微妙なプレーだった。

そして、バタつく若い選手たちをベンチから見ていたエンブレン監督は、前半30分前あたりに軌道修正を施した。

「試合開始のフォーメーションが悪かったかもしれない。これは自分のミスだが、中盤が間延びしていたので、4−1-4-1に変えて、そこから良くなった。最初からそのシステムでスタートしていたら違っていたかもしれない」

ディフェンスが機能せず、なかなか自分たちのリズムがつかめない苦しい状況を打開するために、中盤の両サイドにスペースを空ける中盤ダイヤモンド型の4-4-2(4-1-3-2)から、両サイドにサイドバックとワイドに構えたサイドハーフをそれぞれ配置する4−1−4−1にシステム変更したのである。

エンブレン監督が睨んだ通り、その采配の効果はてきめんだった。

それまでニュージーランドを圧倒していた日本の攻撃は、主に2列目の3人と両サイドバックによる攻撃だった。しかも、両ウイングの位置にいる香川と岡崎は中央へのベクトルが極端に強い選手であり、基本、サイド攻撃は長友と酒井(宏)の両サイドバックのオーバーラップに頼るかたちをとっていた。

それが、ニュージーランドが両サイドに2人配置したことで、サイドの戦況は一変した。数的不利のエリアを避けるかのように、日本の攻撃は中央方向へのエネルギーが増加。最終ラインから1トップにかけて、長細い三角形を描くような攻撃に終始した。

すなわち、日本の攻撃は、最も混雑する小さなエリアで、難しいパス交換やドリブル突破を強いられると、当然ながらアンカーも配置するニュージーランドの網にかかりやすくなっていったのだった。

俗に言う、良くないボールの失い方をするようになった日本は、次第にリズムを崩し、ニュージーランドのカウンターに苦しめられることになっていった。

これが、ザッケローニ監督の言う最初の25分間とその後の時間を、ニュージーランド側から見た場合の見方だ。

もちろん、この試合をどちらの目線で振り返るかは人それぞれかもしれないが、少なくとも、試合中に起こっている現象に対してアクションを起こした指揮官と、リズムが悪くなってからもそれを見過ごしていた指揮官との違いは、はっきり見てとれる。

最終的に勝ったのは日本であり、ザッケローニ監督だ。これは間違いない。しかし一方で、この試合を通してより多くの手応えと収穫を得たのは、敗れたニュージーランドとエンブレン監督だったと思われる。

さらに言えば、これがもしワールドカップ出場国レベルの相手だったとしたら……。

自分色を出す采配を放棄したザッケローニ監督

実は、この日本のサッカーの傾向は、今に始まった話ではない。

顕著に表れ始めたのは2013年になってからで、ワールドカップ最終予選でほぼ本大会の出場権を手にした後になってからのことである。就任当初に見せていたザッケローニ監督のサッカーとは、まったく別モノと言っていい。

かつてのザッケローニ監督は、世界基準のサッカーを日本代表に初めて導入してくれた頼もしい指揮官だった。特に前線から最終ラインをコンパクトにすることを強く意識し、ボールを奪ったら無駄な横パスを使わずに、縦に速く攻め切る。サイド攻撃も、基本は同サイドで終わらせることを目指していて、すなわちそれはカウンターの備えという意味合いも含んでいた。

イタリア色の強さはあるものの、ヨーロッパのトレンドに近いそのサッカーは、これまでの日本代表の歴史にはなかったもので、大きな期待を寄せていいシロモノだった。試合中に問題点の修正を選手に注意する場面も多かったし、修正のための采配もあった。

ところが、目標のワールドカップ出場権獲得が近づいた頃から、そのザッケローニ色は薄れてしまった印象だ。とりわけ攻撃面の変化は顕著で、スピーディーな縦への攻撃は影を潜め、逆に、本田や香川を起点に横パスやショートパスが増えて、ワイドな縦攻撃はサイドバックのオーバーラップに頼る恰好になってしまっている。

ボールを奪われた後、最もカウンターの餌食になりやすいサッカーであり、失点が減らない最大の要因だ。

では、なぜこうも変化してしまったのか。

ザッケローニ監督の考え方が変わったのかどうかは定かではないが、言葉の端々や選手起用などを見ていると、どちらかと言えば、選手の希望を指揮官が受け入れている状況と見ていいだろう。

そもそも30年近くも監督をやっている人物が、急に自分の考えや手法を変えるとは思えないし、選手のコメントからもその傾向はうかがえる。

たとえば、試合終盤にハーフナーを投入しても、クロスを増やすこともなければ、パワープレーをしようとしていないという事象だけを見ても、指揮官の意図は選手に受け入れられていないと分析するのが普通だ。最近フィテッセで奮闘しているハーフナーが招集外となってしまったのは、もはや指揮官の諦めとも見てとれる。

つまり、今のチームは「監督>選手」から「監督<選手」へと変わったと見るべきだろう。

もはや、こうなると監督はザッケローニではなくてもいいのではないかという疑問が当然生まれてくる。もっと言えば、ベンチから問題点が見えているのに、それを分かっていながら見過ごし続けているのであれば、監督不在状態と言っても過言ではない。

そしてこの悪しき傾向は、よほどのことがない限り、ワールドカップ本番まで変わることはないだろう。ザッケローニ監督の契約はワールドカップ本大会で終了する。彼の立場からすれば、それまでは問題を見過ごし続け、敢えて波風を立てる必要はないと考えても決しておかしくはない。

ワールドカップで対戦する相手は、今回のニュージーランドとは違う。日本が無策のままノーマルに戦って勝てるようなレベルの相手ではない。勝つためには、プラスアルファの要素がどうしても必要になってくる。それが、監督の「采配」であり、あるいは「幸運」という要素だ。

ニュージーランド戦を終えて改めて感じたのは、今の日本に残されたプラスアルファの要素は「幸運」だけという、実に心もとない状況にある、ということだった。

サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

1970年生まれ、山梨県甲府市出身。明治学院大学国際学部卒業後、「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部に入り、編集長を経て2005年に独立。紙・WEB媒体に寄稿する他、CS放送のサッカー番組に出演する。雑誌、書籍、WEBなどを制作する有限会社アルマンド代表。同社が発行する「フットボールライフ・ゼロ」の編集発行人でもある。

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