沖縄の「初雪」は本当に初雪だったのか
名瀬・名護・久米島で「みぞれ」、那覇では観測されず
2016年1月24日から25日にかけて、日本付近には数十年に一度とも報じられた強い寒気が流れ込み、西日本や南西諸島を中心に記録的な寒さになりました。
あまりに強い寒気が南下したため、奄美大島の名瀬では24日昼過ぎに、沖縄本島の名護や久米島でも24日夜遅くに、それぞれ「みぞれ」を観測したと測候所・気象台が発表。「みぞれ」は雨と雪が混在して降る現象であり、気象観測上は雪の仲間に分類されます。これにより、名瀬と久米島では観測史上2回目、名護では観測史上初めての降雪として、歴史に残る記録となったと報じられたわけです。
その一方、那覇では終始、雨に雪は混じらず、残念ながら(?)歴史的な雪とはならなかったのでした。
本当に「雪」は降ったのか?
気象台・測候所(気象庁に所属する)が「みぞれを観測した」というのであれば「専門家が判断したのだから間違いなく降ったのだろう」と読者の皆さんは思うかもしれません。ところが、今回の「雪」は素直にそう言えないような疑念があるのです。
みぞれを観測した名瀬・名護・久米島について、観測所の詳細を把握すると実情が見えてきます。
名瀬は、鹿児島地方気象台の「名瀬測候所」、
名護は、沖縄気象台の「名護特別地域気象観測所」、
久米島は、同じく沖縄気象台の「久米島特別地域気象観測所」
がそれぞれの観測所の正式名称になります。
このうち、「測候所」は気象庁職員が常駐し、人間の目視観測により、雨や雪の判別を行っている観測所。一方、「特別地域気象観測所」は気象庁職員がおらず、観測機器が自動で数値データを観測しているだけの無人観測所、なのです。特別地域気象観測所ももとは測候所だったのですが、公務員削減など諸般の事情により無人化された観測所で、通常の地域気象観測所(いわゆる「アメダス」)よりも機器が充実しているぶん「特別」なのです。
つまり、名瀬では気象庁職員がしっかりと目を皿のようにして観察した結果、雨に雪が混じっているのを確認し「みぞれ」と記録したけれど、名護や久米島では機械による数値データの観測結果から自動的に「これはみぞれであろう」と推定され、「雪が降った」と扱われたという経緯なのです。
雨に雪が混じるかどうかというのは、気象学的には非常にデリケートな問題です。降ってくる際の気温と湿度に大きく左右されることが知られており、気温が低かったり湿度が低かったりすると、雪の混じる可能性がより一層高くなることが一般的に分かっています。しかし、実際には数値できっかりと分けられるものではなく、特に境界線上にある場合には推定と実際にズレがあることが普通なのです。
実は、特別地域気象観測所での推定は、この「気温」と「湿度」の観測値から各地点ごとに「雨」「みぞれ」「雪」と自動的に推定・判別するアルゴリズムを使っていて、それに基づいて、降ったものは一体何なのか1分刻みで推定して記録することにしています。あくまで観測データの数値から推定したものであり、誰かが実際に降っているのを見て記録したわけではないのです。
雨か雪かみぞれか、目視の判別も簡単ではない
雪が降ったと判断するのは、さほど難しくはないように感じるかもしれません。しかし実際は、いま見ている降水現象が一体何なのかを正確に判別するのにはそれなりの技術を要します。雨が降るなかで白っぽいものが混じっていた場合、普通に考えれば「雪」と思うかもしれませんが、気象観測上は早計にそうは言えません。
白っぽいものが「雪」である場合のほか、「氷あられ」「雪あられ」「凍雨」などの可能性も十分に考えられます。降ってきた物体の形状や色、固さや崩れやすさなどを観測者が丁寧に観察して、その結果、現象の種類が判別されて記録されることになります。
今回の沖縄本島の「雪」とされる映像がテレビやネットなどでもいくつか報じられましたが、私が見た限り、実はその多くが「氷あられ」だったように感じます(不鮮明な映像も多く、何より現場で直に観察したわけではありませんので断定はできません)。気象台の職員が現地で観測すれば、「雪」とは判断しない事例も少なくなかったように思われるのです。
実際、那覇(沖縄気象台、ここでは気象庁職員が目視観測)では5分間だけ、雨に「氷あられ」が混じって降っているのを観測しましたが、観測当番の職員が丁寧に観察して、「これは雪ではない」と判断して「氷あられ」と記録したものなのです。
気象台が公式の記録として「雪」と発表する際には、気象学的な専門性に裏打ちされた観測に基づいた発表であり、集中力や知識・経験を要する謙虚で真摯な科学的行為が「観測」と言えるのかもしれません。
名護と久米島の「みぞれ」発表はどういうことなのか
名護も久米島もかつては「測候所」であったため、有人観測をしていた時代があります。2000年代前半に両測候所とも無人化され「特別地域気象観測所」となり、人間による目視観測は途絶えました。このことは、「雨・雪の判別はアルゴリズムによる自動判別となり、あくまで『推定』である」ということを意味します。どれほど優れた精度のある判別式を使ったとしても、人間が実際に観察して記録した観測事実と、自動的に計算式で判別・推定された結果を同列に扱って良いはずはないと私は思いますし、世の中の多くの気象関係者はそう思っているはずです。
ところが今回、那覇や名瀬での丁寧な目視観測とは裏腹に、「名護や久米島で”みぞれ”を観測した」と沖縄気象台が報道発表し、この歴史的なニュースがテレビやネットで全国を駆け巡りました。しかも、みぞれは、久米島では有人観測時代に唯一観測した例を示し「1977年以来39年ぶり」、名護を含む沖縄本島では1890年以来一度も観測したことがないため「観測史上初」になった、としたのです。有人観測と自動観測のデータを統計的にも連続させて同列のものとして比較して示した文章でした。
繰り返しますが、自動観測による判別はあくまで「推定」です。かつての人間による目視観測の記録とは根本的に異質のものだと私は思います。そのデータを同じように扱って報じるのは、本当に科学的に正しい立場なのでしょうか。私はこのことについて、ひとりの「気象屋」として強い疑問を禁じ得ません。
自動観測の精度は?
自動観測の精度がどれくらいなのか、今回の事例で見てみましょう。実は、有人の気象観測所(気象台・測候所)からも1分ごとにデータが外部配信されており、無人の観測所同様、降っているものが雨なのか・みぞれなのか・雪なのか、自動的にアルゴリズムで判別された情報も配信されているのです。しかし、当然ながら有人観測所では人間が目視で観測したデータが優先され、観測者が手元のノート(観測野帳)に記録した現象が公式記録とされます。自動判別の情報は、あくまでも参考情報です。
今回、歴史的な115年ぶりの雪となった奄美大島の名瀬について、24日に気象庁職員が目視観測して記録したものと、自動のアルゴリズムで判別されたものを比較したものが右の図になります。
目視観測(左)と自動観測(右)の違いは一目瞭然です。やはり、気温と湿度による自動判別は人間の目視観測にはまだまだ及ばず、それほどに自然界の実際の現象は複雑で奥が深いことが分かるでしょう。
名瀬測候所で自動的には「雨」と判定されていた時間帯に実際は数分間雪が混じり、これが歴史的な雪となりましたし、その後は雨の時間が大部分だったのに、自動判別では比較的長い時間みぞれと誤って判定してしまっています。
(なお、有人観測所では人間が目視観測をすることを考慮し、無人観測所ならば「みぞれ」と判定される条件の場合には「雨か雪かみぞれ」とぼかした表現で配信されます。今回は、無人観測所であればという仮定で「みぞれ」という呼称で図を作成しました。)
ちなみに、名瀬ではみぞれのほか、午前中から「氷あられ」も目視観測しています。測候所職員の方々はきっと、歴史的な瞬間が起こるかもしれないこの1日を後世に残すため、いつも以上に背筋をのばす想いで、天気と対峙したのではないかと思えてなりません。「私が記録しなかったら、この瞬間は二度と戻らず、後世に残すことはできない」という観測者の心構えは「測候精神」と呼ばれ、岡田武松・藤原咲平といったかつての大気象学者の時代から気象庁に受け継がれてきた教えです。名瀬もそうですし、決して安易に「みぞれ」と観測せずに、真摯に謙虚に空を見上げて「氷あられ」と判断した那覇の観測当番の方々には心からの敬意を表したいと私は強く思います。
結局、沖縄で雪は降ったのか?
その答えは、「雪が降ったか降らなかったかは分からない」というのが科学的に謙虚な立場でしょう。那覇では「降らなかった」、名護・久米島では「気温や湿度による推定では降った可能性も否定できないが、降らなかった可能性も否定できず、分からない」というのがより適切な回答でしょう。山あいの地域でより気温が低い地域では、雪が降った可能性はさらに高まると思います。
ただ、今回、テレビなどメディアが事前の気象予測から「沖縄で雪が降るかも」と大きな期待を寄せていたなか、自動観測による「みぞれ」判定が現れ、「沖縄で初雪!」という端的な情報だけが一気に広まってしまったことが、必ずしも正確でない情報が拡散してしまったひとつの要因かもしれません。
しかし、沖縄気象台の報道発表資料において、「この場所の観測は自動観測によるものです」「この場所の観測は目視観測によるものです」という但し書きが見当たらないことに関しては、私個人の意見になりますが、これは強く指摘されても仕方のないものと考えます。沖縄気象台が「自動観測でも、推定とはいえ科学的手法に基づいて判定しているのだから、みぞれ(雪)と言っても良いのです」と胸を張って主張するのであれば、それはそれで観測の「ルール」としてアリなのかもしれません(私は簡単に納得はできませんが)。しかし、こうしたデリケートな事象に関しては、あとで誤解や疑念を持たれないように精いっぱい、その情報の背景や事情を付記すべきだと私は思います。
また、同様に各地の気象予報士や気象解説者も、技術的な背景は当然分かっているのだから、それぞれの立場で事情を丁寧に詳細に解説する努力義務があると思います。ましてや、もし、意図的に都合の悪いことには目をつぶって、どうしても「歴史的」と報じたいがために、インパクトを求めて「観測史上初めての雪」とだけ伝えるとしたら、ひとりの気象解説者として、私はこのスタンスには決して同意できません。
気象観測とは非常に地味なものですが、先人たちが長い間丁寧に記録し後世へと残してきた人類共通の知的財産です。私たちも同様に次の世代へ受け継いでいかなければならないと強く感じます。気象業務の花形は「予報」と思われがちですが、正確な「観測」が無ければ、精度良い予報はできません。今回の沖縄のいわば「雪騒動」をキッカケに、そもそも気象観測の意味・意義は何なのか、その重要性を再認識しながら、私たち気象関係者は広く利用者の声を聞きつつ、今一度考える必要があるのかもしれません。