『新感染 ファイナル・エクスプレス』監督が教える「なぜゾンビは早く走れないのか?」
今回は世界中で大ヒット、大絶賛されている韓国のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』の、ヨン・サンホ監督のインタビューをお届けします!この映画、「ゾンビ映画はちょっと……」と敬遠するのがもったいない最高の娯楽作。ゾンビ映画、アクション映画としてはもちろんですが、人間ドラマとしてもすご~く泣かせるし、なんといっても人気、実力ともに現在の韓国でNo.1の俳優コン・ユが主演!老若男女、みーんなに見に行ってほしい!監督のお話も、特にゾンビの動きに関する考察が、めちゃめちゃ面白い!とういことで、まずはこちらをどうぞ!
監督の作風を作ったホラー/スリラー映画を教えてください。
私の記憶に残っている作品で好きなものは、デヴィッド・リンチ監督『ツインピークス』、これは映画版もドラマ版もよかったです。あとはニール・ジョーダン監督の『インタビュー・ウィズ・バンパイア』。吸血鬼はモチーフとしては古いものですが、新しい視点から切り取った作品だと思いました。もう一本挙げるとしたら、『ロボコップ』も、私はホラー映画として素晴らしいと思うんです。奇怪でありながらSF的な要素もあり、アクション要素も盛り込まれ、いろんなものが組み合わさった立派な作品だと思います。
『新感染 ファイナル・エクスプレス』を作ることになった経緯を教えてください。
これより以前、『豚の王』『我は神なり』という社会性の強いアニメーション作品を作ったのですが、そもそも下地としてホラーというジャンルが好きで。短編アニメのデビュー作『地獄』もホラーでしたし、その後には『ソウル駅ゾンビ』という作品の構想も練っていましたが、当時は実現には至りませんでした。でもその社会派アニメ2本を撮り終えた後、次はもっと別のものをと思い、そのゾンビ映画を発展させて『ソウル・ステーション・パンデミック』という作品を作りました。
これを見た出資・配給会社NEWが「実写版でリメイクを作ってみたら?」という提案をしてくださったんです。でも私としては、実写とアニメの違いはあれど、同じ作品を2回作るのは意味がない気がして。それで、ソウル駅から出発するKTX(韓国の新幹線)にゾンビが乗ってしまい、列車の中で急速に増えていく状況を考えました。
そういう設定の中で、例えばコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』のような、滅亡していく世界での中での親子の関係を描きたいとも思いましたし、スティーブン・キングの『ミスト』のような、閉鎖空間での群衆と人間の心理をアクション映画として作りたいという考えもありました。
韓国のメジャー映画ではこれまで扱われなかった「ゾンビ」という題材を選んだ理由を教えてください。
韓国にゾンビ映画がまったくなかったわけではありませんが、素材として馴染みのないものだったことは事実です。ゾンビのビジュアルも決して大衆が好むものではありません。でも私がこの作品に取り掛かった頃は、漫画、特にウェブ漫画でゾンビを存在にした作品が盛んに作られていて、若い世代のゾンビに対する関心が高まっていた時期でした。ですから「ゾンビは大衆にアピールできるジャンルになったのかも」という思いもありましたね。
『釜山行き』(原題)というタイトルが示すのはどんなことでしょうか。
釜山が持つ終着駅(釜山はKTXの終点であるため)というイメージが大事でした。韓国にもいろいろな「終着駅」がありますが、最も代表的な終着駅である釜山駅、つまり終末に向かってゆくストーリーとも重なりますし、登場人物それぞれの人生も終わりが決まっている、そうした人生の比喩にもなるのではないかと思いました。
ゾンビ映画を作るときに、スピードはすごく大事な要素という気がします。私はゾンビはゆっくりであることで人間の側の心理や哲学が描ける(逃げる余裕があるのに、かつての隣人を殺すのか、など)気がするのですが、監督はそのあたりをどんなふうに考えましたか?
ゾンビ映画において「ゾンビの動きをどうするか?」は議論され続けている問題ですよね。ダニー・ボイル監督が『28日後…』で「走るゾンビ」を作ってから、その論争は激化したように思います。ゾンビはゆっくり動くべきだ、いや早くないと、といったような。それに対して数年前、ゾンビの生みの親であるジョージ・A・ロメロ監督が公式に出した答えは「ゾンビは、速くない」(笑)。
それとは別に、私なりの「ゾンビの速さ」に対する定義があります。それは「ゾンビは生きている死体」なので死後硬直がある、だから筋肉が動かなくなるから、そこまで早くはなれない、というものです。さらに死体ですから当然腐る、筋肉も腐ってくるわけですから、簡単には動けなくなるんじゃないでしょうか。
でも『ドーン・オブ・ザ・デッド』を作ったザック・スナイダー監督は「発病したばかりのゾンビは新鮮で、まだ腐っていないので動ける」と主張していました。そういった意見もありますよね(笑)。
今回の作品では、どのようなことを意識してゾンビの動きを作りましたか?
「新しいゾンビ映画」を作りたいという思いと同時に、「クラシカルな部分」も出したいと思っていました。そこで考えたのは、ゾンビという存在に感じる根源的な恐怖です。これには大きくわけて二つあると思います。
ひとつは、自分が愛していた人が別の存在に替わってしまうという恐怖。もうひとつは、自分も別の存在になって愛する人を食うかもしれないという恐怖。それらを見た目で感じてもらうために、動きはやっぱりすごく大事になってくるわけです。
そういう考えのもと取り入れたもののひとつには、アルツハイマーになった方のどこか虚ろな動きがあります。それは家族だった人からすると「全く別の存在になってしまった」と思わせる、本当に心が痛むものです。また、それを見て「自分もそうなってしまうかもしれない」という恐怖も感じると思います。
あとはアクティブな動きを見せる場面では、「ボーン・ブレイクダンス」(関節を折るようなダンス)の動きも使いました。
ゾンビの動きを考えた方は、『哭声 コクソン』でもゾンビの動きを担当した方だそうですね。
そうです。『哭声/コクソン』でゾンビが登場するのはすごく短い場面で、使った動きはひとつだったのですが、ナ・ホンジン監督は徹底的に準備するスタイルなので、ものすごくたくさん考えていたようで。おかげで僕のほうは「これと、これと、これを使いたい」というふうに決められて、非常に助かりました。『哭声 コクソン』の制作チームに感謝します。
韓国では2016年は『哭声 コクソン』と『新感染 ファイナル・エクスプレス』の大ヒットで、ゾンビ一色だったと聞きました。これは韓国ホラーの流れを変えたと思いますか?
以前は撮られていなかったタイプの映画が、最近は撮られていると感じます。
例えばカン・ドンウォンさん主演の『プリースト 悪魔を葬る者』は、“エクソシスト”というテーマを前面に押し出していますよね。『哭声 コクソン』は“オカルト”の範疇に入ると思いますし、ゾンビ映画である本作も作られ、テーマはどんどん多様化し、以前はタブー視されていたような領域が打ち破られていっている気がしますね。
キム・ソンフン監督(今年上半期No.1ヒット作『共助』)の『猖獗』(ヒョンビン主演)もそうした流れの中で撮られていますし、偶然にも同姓同名のキム・ソンフン監督(『トンネル 闇に鎖された男』)による来年公開のNetflixのドラマ『キングダム』という時代劇ゾンビも作られます。タブーとされる分野がなくなってきているのかもしれません。
韓国映画のパワーの秘密はどんなところにあると思いますか?
韓国の現場に行くと感じるのですが、私と同世代の40代前半を中心にした若い世代のスタッフが中心となり、ものすごく情熱的に仕事に打ち込んでいるんですね。もちろん映画を作ることは「生活のための仕事」ではあるんですが、それを凌駕するエネルギーが感じられるんです。それが韓国映画の力であると同時に、先ほど言ったようなタブーを打ち破る力にもなっているのかなと思います。
『新感染 ファイナル・エクスプレス』
公開中
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