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2020年ミステリーランキング三冠達成!辻真先『たかが殺人じゃないか』は何がそんなにすごいのか

飯田一史ライター
東京創元社 辻真先『たかが殺人じゃないか』販売ページより

 早川書房「ミステリが読みたい!」、文藝春秋「週刊文春ミステリーランキング」、宝島社「このミステリーがすごい!」と年末の風物詩である各社のミステリーランキングが出そろった。2020年は今年米寿を迎えた辻真先『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』が各種ランキングで1位となり3冠を達成。

 各社どんな作品が評価されやすいのかには傾向があるにもかかわらずこうも重なったのは、今村昌弘『屍人荘の殺人』が「このミステリーがすごい!2018年度版」「週刊文春ミステリーベスト10」「2018 本格ミステリ・ベスト10」において第1位を獲得して以来3年ぶりのことだ。

 ではこの作品はどんな話なのか。

■あらすじ

 タイトルどおり舞台は昭和24年。終戦から4年後の日本の名古屋の高校の推理小説研究会・映画研究会の面々が、修学旅行中に密室殺人、次いで撮影中にバラバラ殺人に遭遇。

 はたしてその殺害方法は? 犯人は誰なのか? そしてその動機は? というのが基本的な筋立てだ。

 主人公の勝利は推理小説を書きたいと思っている17歳の少年。彼の視点から、妙に大人びていて語学も堪能、映画や小説のこともよく知っている上海からの引揚者である同級生・鏡子への淡い恋心を描いた青春小説でもある。

 その時代をまさに名古屋で生きた著者だからこそ描ける時事風俗の描写が秀逸だ。ある日突然に皇国教育から戦後民主主義に転換し、別々の学校に通っていた男女が共学へと切り替わって間もない時期に大人はどう振る舞い、少年少女は何を感じていたのか。価値観の激変を経てもうまく世渡りして権力を握っている人間もいれば、家族のために身体を売らざるを得なくなった女性もいる。

 そしてそういう時代背景がミステリーとしての根幹に関わってくる。

■人間をモノとして扱うから生じる殺人/戦争を通じて生と死を問う

【ネタバレになるようなことは極力ぼかして作品の軸となることを以下論じていくが、未読の方は注意されたい】

 この作品で扱われる問いはまさにタイトルの『たかが殺人じゃないか』――「戦争で何十万、何百万と人が死んだことを間近で経験した人間にとっての命の重さとは?」「他人の命を軽んじるからこそ、殺せる」――ということだ。

 これは本格ミステリーの歴史を考えると非常に古典的とすら言える問いである。

 どういうことだろうか?

 笠井潔はクリスティやクイーンといった作家が戦間期(第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発まで、1919年から1939年)に本格ミステリーの傑作をものして黄金時代を築いたことについて『探偵小説論』シリーズで理論化している。

 近代兵器が登場した第一次大戦において、人類は初めて大量死を経験した。それまでの戦争は人と人との争いだったが、連射できる機銃等の発達によって文字通り屍体の山ができるほどの死者を生み出し、戦場ではそれぞれの兵士が持つ固有性/固有名を剥奪された、たんにモノとしての大量の死体に人びとは遭遇することになった。

 この感覚はたとえば20世紀文学の傑作のひとつT・S・エリオットの長編詩『荒地』(1922年)などに色濃く表れている。

 そして同時代に書かれた本格ミステリーは、まさに人間を道具や記号のように扱うことで行われる殺人を描いていた。近代兵器がロゴス(理性、論理)に基づいて発達した科学技術によって非人間的と言える殺傷能力を獲得したことを裏返すように、本格ミステリーでは、殺人(モノとして殺された人間)の過程を探偵は論理の力で辿り直す。

 マルクス主義では、資本主義社会下では人と人との関係が、モノとモノとの関係(お金と商品の関係、資本と労働力の関係)として現れると考え、それを「物象化」と呼んで批判する。やはり人と人との関係がモノとモノとの関係(固有名を剥奪され、それぞれの人間性を無視した「数」としてしか把握されない兵力や屍体)として扱われる大量死の時代を反映したものが本格ミステリーというのが笠井の理論立てだ。

 犯人によって道具や記号のように扱われて殺された人の命を、同じく人間を道具や記号のように徹底して扱う探偵の論理の力によって救済する――固有名を持った人間の死として取り戻すという、逆説的な試みなのだ、と。

『たかが殺人じゃないか』はまさにこういう問題意識を作中で取り扱っている。

■昭和24年を舞台にしながら、2020年の世界にある問題を取り込む

 では古めかしい作品なのか。そうではない。舞台は昭和24年だが、今日でもモノとして扱われがちな人たちに(おそらくかなり意図的・自覚的に)焦点を当てているからだ。

 それはたとえば在留外国人や女性、子ども、あるいは特定の職業の人たちである。差別とは、言いかえれば、特定の属性の人間を傷つけてもかまわないモノとして扱う、ということだ。

 本作はそうした感覚を退けようとする。

 本格ミステリーで作家が守るべき規則として提言されたノックスの十戒には「推理方法に超自然能力を用いてはならない」「犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない」といったものと並んで「中国人を登場させてはならない」というものがある。これはノックスが提唱した1929年当時、黄禍論を背景に中国人を犯人にしたスリラーが横行していたからだとされるが、ノックス自身が少なからず東洋人に差別意識を抱いていたことも疑いえない。

 つまり本作は、かつてジャンルが抱えていたこうした差別意識に対して、2020年の感覚で自覚的に返答した作品でもある。

 それが88歳になる大ベテランの手で書かれたのだ。近頃では「おじさん」「昭和」ということばが侮蔑的な意味で使われがちだが、感覚をアップデートするのに年齢は関係ないこともまた、本作は教えてくれる。

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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