「敗者には拍手よりも落胆の溜息を」W杯日本敗戦で考える侍ジャパンの行く末
サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会での日本敗退が決まったが、傷口をなめるような感傷的な報道は意外に少ないように思う。野球ファンの視線からは羨ましくもある健全な進歩だと思う。
日本時間25日早朝のコロンビア戦を評するなら「一敗地にまみれる」ということだろうか。この敗戦を報ずる記事の見出しも、本田圭佑の「これが現実」というコメントを引用したものや、「世界の壁」などの力不足をストレートに表現したものが比較的目に付いたように思う。
「頑張った選手にお礼を言いたい」とか「感動をありがとう」的な現実を直視することを避けた湿っぽいサポーターのコメントもワイドショーではなくはなかったが、少なくとも2月のソチ五輪での期待を裏切った選手に関する報道ほど目に余るものではなかった。
また、冬季五輪に比較しサッカーW杯の場合は出場選手の一般知名度が遥かに優るためか、五輪報道で鼻についた故障や家族の不幸などの逆境を過度に強調した「人間ドラマ」報道も目につかなかったのは良かった。アスリートにはある程度の故障歴はつきものだし、若者であっても成人であれば肉親との別れを経験してきた可能性はそれなりにあるものだからだ。
誤解を恐れずに言うなら、声援むなしく敗れたアスリートにはファンはあたたかい拍手なんぞ送ったりせずに落胆の溜息を発して良いと思う。敗者になることは恥ずべきことではないからだ。特にメディアが感情論に流されず敗戦を分析し指摘することはとても大事だと思う。
夕刻、帰宅途中に車内で聴いたラジオ番組でジャーナリストの上杉隆氏がJFAの「2050年までにW杯で優勝する」というミッションを「目標達成デッドラインが遠すぎる」として「現在関与している人々が現実味を帯びて感じられる時期」で「準備期間としても十分な長さがある」20年後の「2035年」をターゲットとすべきだと発言しておられた。
2050年でも良いのか2035年の方がベターなのかは分からない。しかし、「いついつまでに世界一」というのは分かりやすくかつ意欲的なメッセージだと思う。
振り返って野球はどうだろう。ここに来て「侍ジャパン」の活動の活性化が目に付く。前回のWBC前に議論を呼んだ、主催のWBCIと参加各国の収益配分問題は日本に関しては「侍」の常設化を前提に問題解決を棚上げした。果たしてこれがビジネスとして成立するかどうかは大いに注目すべき点なのだけれど、その背後に「意気たるや壮」と言える骨太なミッションはあるだろうか。WBCがW杯に比べると少なくとも現時点では権威性が比較に成らぬほど劣っていることと、すでに2度「世界一」になっていることにより、ミッションを確立することはJFA以上に難しいかもしれない。これまで以上に野球を見守っていきたい。