新元号「令和」 私の受け止め

新元号「令和」(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

新元号が「令和」と決まった。

語源や出典については、その分野の専門家がさまざまに言及されているので、私は自分の受け止めについてだけ書いてみたい。

一人一人の日本人がそれぞれの花を大きく咲かせることができるよう

私にとって印象的だったのは、次の部分だった。

厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、

そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました。

出典:【安倍首相談話全文】ハフポスト2019年04月01日 12時33分

「一人ひとりの日本人が」「それぞれの花を大きく咲かせる」とは、翻れば、この10年間、日本の中心的な理想であり続けた。

2008年、福田政権下で開催された「社会保障国民会議」は「全ての国民が参加し支える、国民の信頼に足る社会保障」を打ち出した。

2009年、鳩山政権は「みんなに居場所と出番を」と訴えた。

2014年、安倍政権は「一億総活躍」を唱えた。

そしてこの間、「全員参加型社会」を多くの人たちが口にするに至っている。

新元号「令和」に込められた想いは、2度の政権交代を経ても繰り返し唱えられてきた日本社会の理想を、元号という形に、さらに高めたものだと言えるように思う。

一人ひとりがその能力・技能を開花させられる世の中に

私自身も、今まで同じような発言を繰り返してきた。

誰もが誰かを支えられる人になる――自分なりに一貫して主張してきたのは、ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)、つまり全員参加型社会の実現だった。

6年前にはこうも書いている。

「少子高齢化の中で、一人一人の能力・技能を開花させることでしか社会の持続可能性は生まれず、将来の展望も切り開けない、という全員参加型社会の発想」が必要だと。

出典:湯浅誠「私の社会保障論 弱さを認め包み込む」、毎日新聞2016年3月9日

客観的な条件を見据えて

2度の政権交代を経ても、この理想が維持されてきたのには理由がある。

それが日本社会の客観的な条件だからだ。

高齢化率28%

未成年人口15%

加えて、

女性 全人口の半分

外国籍2%

障害者7.4%

LGBT8.0%

ひきこもり112.7万人(若年51.4万人、中高年61.3万人)

介護離職 毎年約10万人

35~44歳で親と同居している未婚の男女300万人

……

と、マイノリティと言われる人たちの数を足し上げていけば、すでにマジョリティで、

かつてマジョリティと言われた「若くて、健康で、正規で働いている、日本人の、男性」は、すでにマイノリティだということがわかる

(総務省労働力調査2018年速報値で、男性正規職員・従業員は2,339万人で、人口全体の約6人に1人)。

日本社会の持続可能性のために

外国人やAIの「活用」がにぎやかに言われるのは、裏を返せば、かつての担い手だけでは日本社会はもう回らなくなっている(持続可能でなくなっている)からだ。

だからこそ、若くなくても、仮に病気があっても、正規でなくても、日本国籍でなくても、そして男性でなくても、さらには親の介護があったり、子どもが病気がちだったり、地図が読めなかったり、満員電車に乗れなかったりしても

つまり、かつて想定していた「フルスペック」でなくても、その人なりの最大限をその人なりに開花させられるような、社会づくりが必要だ。

私たちのこの客観的条件とそこから来る要請は、誰が総理大臣になっても、短期的には変わりようがない

だからこそ、10年以上唱え続けられているし、だからこそ、より長期にわたる時代の理想を込めるべき元号に取り入れられたことに、私は感慨深いものを感じる。

一人ひとりの潜在力が最大限に発揮できる社会を、みんなで前向きに考え、進めていけたらと思う。